Trouble Traveler
11
声が、聞こえた。
聞き覚えのある声が、呼びかけてくる。
――誰が?
何を――?
ゆっくりと目を開ければ、こちらの顔を覗き込む男の顔が見えた。星の欠片を砕いたように煌く銀の髪には、見覚えがある。
「良かった! 目ぇ覚ましたか!」
”おにいちゃん”と呼んでくれたあの子供が、すっかり大きくなっていた。
「……おっきいククール、だ……。」
不満の音が、無意識に零れた言葉に混じってしまった。それに気づいた銀髪の青年が――ククールが、訝しげに顔を顰める。
「あ? なに言ってんだ。俺は逢った時からこんなもんだろ。……頭でも打ってんのか?」
ククールはエイトを抱き起こそうと屈み込んだが、無闇に動かすのもどうかと思ったのだろう、直ぐに立ち上がると、手についた土を払いながら言った。
「よし、ちょっと待ってろ。いま人を呼んできてやるからな! そこに居ろよ!」
「……っ、待っ――」
引き止める言葉を紡ぐ前に、ククールは森の向こうへ走り去ってしまった。エイトは呆然としながらも、そこでふと考えるような顔になる。
(……あれ? この展開って――。)
疑視感。何度目だろう。
首を傾げつつ、思い出したように喉に手を当る。
そして――声を、出してみた。
「けほっ……ん、あ、あ……――あ。治ってる。」
声が出る。それは紛うことなき自分の声。
意識したことは無いが、多分こういう声だったのだろうとは思う、が……自分ではどうにも、分からない。
「おーい。エイトー!」
「あ。戻ってきた。」
身体を起こして向こうを見遣れば、赤い服の後ろに青い影。
「あれ。……マルチェロ、も?」
エイトの元に駆けつけたのは、今度はククール一人だけではなくマルチェロも一緒だった。珍しい組み合わせの二人を前にしたエイトは、彼らを不思議そうに見上げ、一言。
「兄弟揃って外出なんて、珍しいな?」
すると、それを聞いた当の”兄弟”は、お互いに顔を見合わせ、肩を竦め――そして、同時に溜め息を吐いた。
「え? な、何だよ、その反応。」
見事に息の合った反応を見せ付けられ、きょとんとしたエイトに、ククールが口を開く。
「あのなぁ、エイト。今日の茶会に俺らを招待したの、お前だろ?」
「茶、会……?」
言われた言葉をぼんやりと呟き返せば、今度はマルチェロが口を挟む。
「俺とコイツに招待状を出しただろう。日付は今日になっているが……何だ? まさか、忘れていたのか?」
「今日、が……お茶会……。」
――え?
エイトの混乱が酷くなる。
確かに、自分は切れた茶葉の買出しに出掛けて、そしてその帰り道にシャドウパンサーに襲われて……。
――崖から落ちて、何日が過ぎた?
表面上は落ち着き払いながら頭の中で時間を整理していれば、ふと辺りを見回していたククールが指を差した。
「なあエイト。そこに落ちてんの、お前の荷物か?」
何かを見つけたらしく、草叢のほうへ歩いていくと、そこで身を屈めた。そうしてヨイショと持ち上げてみせたのは、大きな布袋が一つ。
「何だこりゃ?」
自分で拾い上げたにも関わらずにククールが顔を顰めれば、それを聞きつけたマルチェロが同じく袋に顔を近づけて呟いた。
「ふむ……コレは紅茶葉だな。」
「はぁ? 葉っぱぁ? ……ああ。もしかして、コレって今日の為のやつか?」
「だろうな。そうだろう? エイト。」
「……。」
「エイト? どうした。」
「お前いつまでボーっとしてんだよ。大丈夫か? おい――エ・イ・ト!」
「――あイテッ!!」
あまりにも反応が鈍いのを見て取ったククールが、エイトに近づくなりその額を指先でピシリと弾いた。痛みで我に返ったエイトを見て、兄弟が笑う。
「目ぇ覚めたかよ? ほら、トロデーンに戻るぞ。みんな待ってんだからな。」
「城の者達が、帰宅の遅いお前を心配していた。……早く戻って、安心させてやれ。」
「あ……うん。」
エイトは額を擦りながら、先に歩き出した彼らの後を追いつつも、未だ少しボンヤリと考える。
過去で過ごした時間は数日である筈なのに、未来では一日も経っていないとは。
あれは何だったのだろう?
あの刻は、あの日々は、あの世界は――彼らは?
(夢……だったのかな?)
時間の感覚も、記憶も、曖昧なまま。全ては、最初から夢だったのだろうか。
崖から落ちて、今こうして目覚めるまでの全ては、エイト自身の夢の産物だったのか?
(あ、そうだ……アレは!?)
不意に何かに気づき、エイトは腰に下げている道具袋を覗き込んだ。
そこには、着替えた服が丸めて入れていた筈――だったが、しかし詰め込んだであろう服は見当たらなかった。
(じゃあ――こっちは!?)
次に、ポケットを探る。夢でなければ、あの世界でエイトが帰る為の情報を書き留めたメモがある筈……だが、やはりそこにも何もなかった。
どうしてか酷く気落ちし、エイトは嘆きにも似た溜め息を吐く。
(……夢だったのか?)
くらくらとした眩暈に襲われて、エイトは顔を歪めた。
子供らしい甘さの残る少年ククールも、大人びすぎた青年のマルチェロも。
本を読んでやった記憶も、頭を撫でた感触も、一緒にケーキを食べた出来事も、全部、全部。
悲しみで身体が揺れ、思わず立ち止まってしまえば、前を歩いていた彼らが振り返り、エイトに向かって叫んだ。
「オーイ。何やってんだ? 置いてっちまうぞ。なんなら、マルチェロにおぶってってもらうか?」
「阿呆! ……エイト、具合が悪いのか? それなら、馬でも呼んできてやるが。」
「あ、いや……俺……。」
「せっかくお前に追いついたんだ。今度はお前が追いかけて来いよ?」
「ふっ、そうだな。俺達は散々探し回ったのだ。今度はそっちが追いつく番だな。」
「……っ!」
彼らの台詞に、エイトは目を瞠った。
それはまるで過去での別れ間際に、エイトが発した声なき挨拶に対する返しのような台詞に思えた。
『往くな!』
『行かないで!』
青年と少年が――過去で見たマルチェロとククールが、笑顔で手を振る光景を見た気がした。
『待っててくれたんだろう?』
(はは……そっか。)
エイトの顔に、微笑が戻る。
過去は、過去。
今は現在であり、未来でもあるこの世界。夢でも現実でも、どうでもいい。
また会えた。逢うことが、出来た。
追いついたんだ、彼らは。
そして俺は――彼らに、追いつかれた。
それで充分――じゃ、ないか?
「言っておくけど、俺は俊足だからな? ……直ぐにでもそっちに行ってやる!」
先程の、憂鬱な気分はどこへやら。エイトは満面の笑みを浮かべると、先を歩く彼らに向かって走り出した。
そして合流する。過去と現在を繋いだ先の未来へ。
それは冬の気配がまだ残る、ある日のこと。
白昼夢であったのかは分からないが、とにかくその出来事は一つの思い出として、エイトの心の中にのみ収められることになる。
夢の狭間。
記録に残ることの無い、不思議な旅の終わり。