Trouble Traveler
10
泣かせるのはこれで二度目かな――と思いながら、エイトは胸に縋り付いて泣いている子供の頭を撫でていた。
その側では、未来と変わらない顰め面をした男が傷の手当てをしてくれている。視線の先――距離を置いた向こうを見れば、かつて鎧だったものが膝を付き、ボロボロと朽ち果てていくところだった。
重なりかけた悪夢が、消えていく。
(良かった……誰も死ななくて、本当に――……良かった。)
夜露で濡れた地面は冷たく座る場所としては全く適していなかったが、そんなことに気が回る余裕すら無く。
とにかく、酷く疲れた。
肩から力を抜けば、その反動か膝からも力が抜けてしまい、エイトは冷たい草の上にぺたりと座り込んでしまった。
そして目を閉じて安堵の息を吐いていれば、ぽん、と肩を叩かれて。
顔を上げれば、マルチェロと視線が合う。
誉めてくれるのだろうか――と思いきや、表情を見た限りでは、どうにも優しい台詞は望めそうにない。エイトが「何だ?」と首を傾げてみれば、相手は眉間に皺を寄せたまま口を開いた。
「単騎で挑みかかるとは何事だ、阿呆!」
「……。」
一喝。不機嫌一色。
ここまでは予想の範疇なのだが、表情から察するに、どうやらこれからとくとくと説教タイムが始まるらしい。
エイトは曖昧な笑みを浮かべつつ、反省する――”振り”を決め込む。
何にせよ、無茶をしたことは否定できない。
けれど、”いい加減な笑い”というものも、それはそれで駄目なのだということを、エイトはすっかり忘れていた。
「どうにか勝てたから良かったものの、一歩間違えれば死んでいたのだぞ! それなのに、お前は……うん? オイ、何をそう笑っている!? 事態の深刻さを分かっているのかお前はっ!」
「にいさま! おにいちゃんは僕たちを助けてくれたんだよ! だから怒らないで!」
胸にしがみ付いていたククールに庇われ、エイトの笑みは苦笑に変わる。
この図式は未来とあまり変わらない。
(最初はどうなるかと思ったけど……過去の世界も未来とそう変化がないもんだな。)
このまま還る方法が見つからなければ、いっそここに。
仮初の場所の心地よさに、エイトはうっかり留まり続けるのを肯定しかけた。
その時だった。
――ズキリ、と。
酷い痛みが、胸を刺した。
「……っ。」
”あっ”と胸を抑え、エイトはふらりと前に傾ぐ。
(……そうだ。俺――……。)
唇を噛むと、頭を振り、いま抱いた何とも愚かな”甘え”を追い払った。
そして己に自問する。
(エイト、お前は世界を壊したいのか? ……違うだろう?)
俺はこの世界に居て良い存在じゃない。
未来が過去に居るなど、許して良い摂理ではない。
未来へ帰らないと。
自分の場所へ――還らないと。
そう考えたエイトが、痛む胸を押さえつつ地面から立ち上がりかけた時だった。
「ぎゃあっ!」
◇ ◇ ◇
人の悲鳴が聞こえた。
その場に居た全員が、ぎょっとして声がしたほうを振り向けば、そこにはなんと、倒した筈のデュラハーンが動き出そうとしているところだった。
側には倒れている兵士が一人、二人。殴られたのか、腹や腕を押さえて呻いている。
「馬鹿なッ!? 何故だ!」
マルチェロが剣を構え、今しがた攻撃を受けて倒れた兵士達の下へ駆けていく。
「お、おにいちゃん……!」
ククールは酷く怯えた目でエイトを見上げ、きゅっと服に縋りついた。
(大丈夫。……俺が、護るから。)
涙を浮かべるククールの頭を撫でてやりながら、エイトは何故デュラハーンがまだ消えないでいるのかを考える。
(ここの地下には、まだあの瘴気があるんだっけ。)
流行り病で人知れず死んだ、名も知れぬ司教の怨嗟が積もっていた地下を思い出す。
その念がデュラハーンに届き、力を与え、立ち上がらせたのかもしれない。
様々な憶測が浮かぶが、しかし悠長に考えている暇はなかった。
エイトはククールに離れるよう手振りで指示すると、再び剣を抜く。
(属性がゾンビ系なのも関係あるのか? ――いや、考えは後だ!)
また補助魔法に頼って打ち負かすか、とマルチェロを見るも、彼は不意打ちを受けた兵士の治療に集中して当たっており、手が離せない状態になっていた。
エイトの視線にも、気づいてくれない。ならば、とククールに視線を向けるも――彼はすっかり怯えきっていて、呪文を唱えるどころではなくなっていた。
ククールが幼い子供であることを、すっかり忘れていた。
己の甘さと迂闊さに、エイトは舌打ちし、歯を噛み鳴らす。
(ということは、今度は一人で相手をしろってことか!?)
しかし、エイトは既に戦闘態勢に入っているというのに、当のデュラハーンはそれ以上動き出すことも無くその場に佇んでいた。息をするように僅かに肩を上下させ、ただ静かに異端者を見据えて立っている。
罠か?
どういうことだろうか、とエイトは首を捻る。
(……? 狙いは、俺――だけ、か?)
心の中で独り言のような疑問を零せば、デュラハーンがぴくりと動いた気がした。
(……。もしかして――。)
エイトは剣を仕舞うと、ゆっくりと相手に向かって歩き出した。
「なっ……!? 馬鹿か貴様! 剣を抜け、おい、何を――」
「おにいちゃん!? あぶないよ、おにいちゃん!」
当然ながら背後から怒声と悲鳴が投げかけられたが、エイトは振り返りもせずデュラハーンに向かって歩みを進める。
首の無い騎士。
自分と同じ近衛兵。
何かを守りしもの。
それは――。
◇ ◇ ◇
驚いたことに、デュラハーンは目の前まで近づいても、今度は襲い掛かろうとしなかった。
あの攻撃的な立ち振る舞いも今はなく、不気味とも思えるほどに静かに対峙している。
その重装兵の前に立ち、相手を見上げながらエイトは心の中で呟く。
(”俺”から……守りに来たんだな? 異端分子である俺から、この場所を……過去の世界を――護ろうと?)
当たり前だが、答えはない。両者とも会話が出来ない状態ではあったが、それでもエイトは心の中で話しかける。
(……還る手段が、見つからないんだ。)
冷たい鉄の鎧に手を伸ばし、エイトは思いを繋ぐ。
(でも、方法を見つけたら必ず帰るから。約束する。だから、だから……!)
エイトは顔を上げると、首の無い相手の顔を――本来ならばそこに顔のあるべき場所に視線を留めて、懇願する。
(彼らには手を出さないでくれ。誰にも何もしないでくれ。俺のせいだと言うなら、尚更だ。――頼む!)
エイトの予想は的中した。
デュラハーンは鉄球を己の肩に下げると、エイトに向かって両手を広げる姿勢をとった。こちらへ来い、とでも言うかのように。
大きく広げられた手は、ともすれば鉄の万力。罠であれば、殺される。
退くか、進むか。
エイトはそこで、ふと肩越しから背後を見遣った。
見えたのは、治療を終えたマルチェロが剣の柄を握っているのと、ククールも震えながらではあるが加勢をしようと身構えている姿。
どちらも必死な形相をしていた。未知の強敵を前に臆しながら、それでもこちらを護ろうとしている。
ああ。
別れの挨拶は……ここか。
エイトは、彼らに向かって微笑した。そして声が出ない状態であるのを自覚しながらも唇を動かし、音の無い言葉を返す。
”ありがとう。”
エイトの言葉に合わせるように、側にいたデュラハーンが天に向かって両腕を突き出した。
「空が……お星さまが、落ちてくる!」
ククールが叫べば、みなが一斉に上を仰いだ。
夜空で美しい輝きをみせていた星が傾いたかと思うと、こちらに向かって降り注いできている。驚きのあまり大声を上げて聖堂内へと逃げ込む兵士達とは反対に、二つの影が近づいてきたきた。
「どこへ行くつもりだ!」
「やだ……お別れなんていやだよ、おにいちゃん!」
混乱した兵士達をかき分け、押し退けながら。
「待て、まだ俺は――!」
「待ってよ、まだ僕……!」
青年と少年が、エイトに向かって走ってくる。
「名前を聞いてないぞ!」
「名前、教えてもらってないよ!」
重なった質問に、エイトは微苦笑と共に声の無い言葉を紡ぐ。
……また会えるさ。
だから、それまで――……。
「貴様、待てと言っているだろう……!」
「やだよ……やだ、おにいちゃん!」
その刻が来るまで、待っててくれ。
「往くな!」
「行かないで!」
いつかまた、きっと。
(未来で会おうな。)
”待ってるから。”
眩しい光が包みこみ、全てが白い世界に飲まれていく――。