Trouble Traveler
9
煌々と輝く月明かりの下。
庭の中央に、鋼の鉄球を手にした首の無い騎士が居た。
(これは……。)
現場の惨状に、エイトは眉を顰める。
首の無い騎士の周囲には傷付いて倒れた兵士が何人かいて、指揮を執っていたマルチェロが姿を見せたエイトに気づき、驚いた顔をした。
が、それも一瞬。
すぐに駆け寄ってくると、肩を掴んで叫ぶ。
「何で貴様まで来るんだ! 危ないから下がっていろ!」
「……。」
だがエイトは動かず、マルチェロではなく目の前のものを凝視する。
(あれは――……。)
どうして、『今』。
どうして、『ここ』に。
(何であんな奴が居るんだ――!?)
エイトは息を飲み、呆然とした面持ちで立ち尽くした。
――デュラハーン。
首なしの重装騎士。
闇の気配が濃くなってからの世界に現れた、屈強なモンスターの一種。
それが何故、まだ闇が薄いであろうこの世界、この時分に現れたのか。
ここの兵士達には基より、多分――若いマルチェロですらも、手に余る相手。
対処方法を考えているエイトのその肩を、何も知らないマルチェロが揺さぶって叫ぶ。
「おい! 貴様はまだ病身なのだろう! ここはいいから、部屋へ戻れ! そしてついでに、あの阿呆も連れて行け! 邪魔だ!」
「……?」
あの阿呆?
ふと意識をマルチェロに戻し彼の視線を辿れば、柱の影から様子を窺う小さな人影が見えて、エイトは更に仰天する。
(ククール!?)
恐らくこの騒ぎで目を覚ましたのだろう。寝巻き姿のままの子供は、酷く怯えた顔をしていた。エイトが目を丸くしていると、マルチェロがぐいと肩を押して言う。
「分かったら中へ戻れ! あのようなモンスターなど今まで見たことないが、危険なものだということくらいは分かる!」
(……危険、どころか。)
今の世界、彼らの実力では――勝てやしない。
エイトは腰元の剣に手を掛けると、マルチェロの制止を振りきり、デュラハーンに視線を向ける。
敵はこちらの戦力差を見切ったようで、鉄球を振り回している手にどことなく余裕が見えた。
エイトが身構える姿勢をとれば、デュラハーンもまた同じく構える。
そして、退屈していたところだといわんばかりに大きく鉄球を振り回すと、ジリジリとこちらへにじり寄って来た。
(元が”近衛兵”だからか? 強敵に会えて嬉しそうだな、お前。)
デュラハーンに笑いかけ、エイトは切っ先を上げる。
「馬鹿者っ! 下がれといってるだろう!」
そのまま剣を構えていれば、後ろからマルチェロの怒声が聞こえてきた。
エイトは肩越しに一瞥し、大丈夫だと言うように頷く。
「自信過剰も大概に――……!」
尚も叫ぶマルチェロの声を背に、エイトはデュラハーンに突撃した。
「――おにいちゃん!」
ククールの声を聞いた。
それは声援か、それともマルチェロと同じ制止であったのか。
ともかく全てを振りきり、エイトは単身で敵の懐に突っ込んでいった。
ここは自分の世界ではなく、彼らはまだ自分を知らない者たちだったが、それでもひたすらに護りたかった。
それは、もしかしたら重なるものを思い出していたせいかもしれない。
この場所で、目の前で行われたドルマゲスの非道を、惨劇を。
止めることの出来なかった、凶行を。
守れなかった者を。
救えなかった命を。
今度こそ。
今度こそは――守りきってみせる。
◇ ◇ ◇
鎧を着込んでいるせいか、デュラハーンの防御力は高かった。おまけに魔法にも耐性があるため、攻撃はもっぱら武器に頼る他ない。しかしそれらを差し引いても、本来ならこちらは多人数で、苦戦するわけが無いのだが……。
(聖堂騎士サマってのは、戦い慣れしてないのかな。)
デュラハーンを包囲しながらも、ただガクガクと震えて動かない兵士達に、エイトは嘆く一歩手前の視線を向けて溜め息を吐いた。
(力量差があるからかなぁ……。しかも、未知のモンスターだし。)
職務の手前もあるのか踏み止まってはいるが、マルチェロが居なければ逃げ出しているんじゃないかすら思う。何故なら皆、一様に腰が引けていて、怯えている様子が見て取れるから。
(――勤め人も大変だよなぁ。)
エイトは彼らに、少しばかりの同情をする。
だが、言わせてもらうと……少しでもいいから手伝って欲しい、というのが本音のところ。
(仮にでも神殿兵士なんだ。動けそうな人間は居ないのか!?)
戦いの最中にちらと背後を見るも、そこには怪我をした同僚を見舞う者、怯える者ばかり。
辛うじてマルチェロだけが冷静で、彼らの指揮を執っているのがまともな箇所か。
(スクルト……それかバイキルトとかっ! 俺を補助する余裕も無いっていうのかよ!)
補助魔法どころか魔法すら使えない今の自分に、これほど歯痒さを感じたことは無い。
それと、改めて痛感したことが一つ。
仲間がいてこそ、より強く戦えるのだと。
一人きりで剣を振るいながら。
独りだけで傷を負いながら。
自分の強さは彼らに支えられていたものだと痛切に思い知りながら、たった今、顔の横を通り抜けた鉄球を目で追いつつ、エイトは疲れで痺れ出しつつある腕を振って呼吸を整えた。
(う~~。……やっぱり、一対一だと手こずるな。)
息が上がりだしてきたのを敵に悟られないよう、何度か手の甲で口元を拭い呼吸を整える。
勝機よりも敗北の予感のほうが強い。
しかもデュラハーンは時折、マルチェロたちが居る方向へも鉄球を投げつけたりするので手に負えない。エイトは庇う事にも気を取られてしまい、そのせいで体力を削られていった。
だから――すっかり息があがり、エイトが地面に片膝を付いてしまった状態でいても、責める者など誰も居ないだろう。
(腕、が……鈍ってたのかな……はは……。)
声が出ないから、回復魔法が使えない。ベホマだけでも使えていたら随分と助かるのだけれど。
顔を上げれば、デュラハーンがほくそ笑むように、ゆっくりとした足取りで近づいてくる。絶体絶命なんてものは体験し尽くしたと思っていたが、どうやらまだまだあるらしい。
(俺は未来の人間だけど……過去で死んだら、どうなるんだろうな……?)
月を背に浮かび上がるデュラハーンの不気味な鎧を見つめながら、エイトが力無い笑みを浮かべた時だった。
「……降り注げ純粋なる祈り。一心に集いて彼の者に万全たる潤いを。――ベホマ!」
暖かな光と共に、体に活力が戻るのを感じた。
今のは?と顔を上げた時だった。
「もたつくな! 死にたくなければとっとと立て!」
言われるがままに立ち上がり、振り下ろされた鉄球を慌ててかわす。
「こちらはもう大丈夫だ。貴様は何も気にせず、そいつに集中しろ!」
振り返ろうとする間もなく、声が飛んできた。それでも肩越しに背後の様子を窺えば、成程、倒れていた兵士達は建物の中へ運ばれ、他はすっかり安全圏に避難していた。
ズルイな、と少し思ったが――誰かに死なれるよりは、ずっと良い。
「今更だろうが、これから貴様を助勢する!」
凛とした指示の声と共に、補助の力が掛かる。
「そのまま一気に畳み掛けろっ!」
その後に、別の声が重なった。
「光よ、はがねの力をおにいちゃんにあげて! ――バイキルト!」
それは非常に舌足らずで魔法にしては不完全な詠唱ではあったが、エイトを柔らかく微笑させるものでいた。
(ありがとう、マルチェロ。それと……ククールも!)
剣を構え直したエイトは、気力・体力共に充分な状態で敵に向かっていく。
もう負ける気などしなかった。
ああ、負けるわけがない。