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Trouble Traveler

8



時の防衛力を侮っていたかもしれない。
借り受けている部屋のベッドにまた逆戻りしたエイトは、大きく息を吐いて天井を見つめた。
白い壁は所々汚れており、自分の居る未来よりは過去の方が詰めが甘いのだろうと、どうでもいいことを考える。
”どうでもいいこと”でも何でも、考えるなら何でも良かった。そうでもしないと、この不自然な息苦しさと不可解な痛みにどうにかなりそうだったから。

体が重い。とにかく怠い。
風邪の初期症状にどことなく似ているが、原因は別にあることをエイトは自覚する。
理由。
それは恐らく、過去を”邪魔した”からだろう。
だから過去が……”時間”が、怒ったのだ。
故に、その罰を今、受けている。

(時間サマは意外に心が狭いな……と。)
エイトは顰め面のまま身体を起こし、ベッドの端に腰掛ける。
痛みも苦しさもそのままだが――動けないことは、無い。側のテーブルに置かれた夕食に視線を向けると、よいしょと身体を伸ばしてそれら一式を引き寄せた。

とりあえず、空腹では何も行動する気にならないから、食事を摂ろう。
あまり上等ではないらしいローストビーフに、気怠く握ったフォークをグサリと突き立てると、夕食にしては遅すぎる食事を始めた。


◇  ◇  ◇


(うー……硬い。)
ウェルダンと言うには大袈裟な、しかし例えとしては非常に適切な肉をもぐもぐと噛みながら、エイトは顔を顰めつつ開いた本に目を落とす。
物を食べながら本を読むというのは行儀が良くない行いだが、部屋にはエイトしか居ないのだから誰からも怒られることはない。
パンを千切り、バターを塗り、そこに齧りつきつつページを捲る。
黒皮の表紙は薄汚れ、ページを捲る度にカビ臭い匂いがするが、言い換えればそれはこの本が貴重であることを意味し、長年保管されてきたからだという証にもなる。
”贋作”ではない確かな書物からの知識は、見事に糧になり――手掛かりにも、なって。

(んー……元の世界へ戻るには、どうにも複雑みたいだな。)
唸り、紅茶を啜りながらエイトは顰め面になる。
時空移動など、大抵はお伽噺か伝説でしか知らなかった、それこそ未知の代物だ。
暗号めいた文章や奇怪な図式などは、日頃の”勉強馬鹿”(とは何処かの兄様の談)の御蔭で、どうにか解読が出来たのだが――そこまでだった。

(魔方陣と詠唱はともかく……これを見る限り、俺じゃ魔力が足りないか。)
ゼシカくらい魔力が高ければ、後は補助の道具でも借りれば済む話なのだが。
――竜王ならば、どうにかなるだろうか?

(……って。どうにかなっても、無理だよなぁ。)
未来ではそれなりに交友があるが、今は――この縁が繋がれていない過去では、どうにもならない。
ルーラといった魔法全般は、声が出ない為に詠唱が出来ないものだから不可能であるし、第一、この時間軸では”まだ一度も行った事の無い場所”であるのだし。
溜め息を吐き、苛立たしく髪を掻き揚げるエイト。

(あ~、もう! 焦っても仕方ないんだけど……だけど、焦らないと、この痛みは引かないみたいだからな。)
紅茶を飲み干すと、書き散らしたメモをポケットに詰め込んで立ち上がった。
マルチェロは”病身に戻った”と思い込んだらしく、「食器は別にそのままで構わない」と言っていたが、兵士としての性分か、当の”病人”は自分で片付けねば気が済まない。
エイトは律儀にも銀のトレイに食器を纏めると、それを持って部屋の外に踊りでる。
少し足がふらつき、壁に手を付きかけたが――次の瞬間にはスッと姿勢が伸びたのは、兵士の性か、そういう性格か。
未来の誰かが見たら、「仕事馬鹿にも程があるだろ」と、さぞ不機嫌そうに呟いただろう。


◇  ◇  ◇


(……ん?)
台所で食器を洗っていると、水音に混ざって人の声のらしきものが聞こえてきた。
水を止めて気配に耳を澄ましてみれば、荒々しい足音と話し声も続いたので、気のせいでは無いらしい。手を拭いて廊下へヒョイと出てみれば、武器を持った修道騎士がバタバタと駆けて行くのが見えた。
泥棒でも入ったか?と思ったが、その程度でこの騒動は過剰すぎる。

(何だろう。……何か……。)
腰に差した剣の柄に触れながら、エイトは顔を顰めた。
妙な胸騒ぎがする。
予感にしては不穏な、この感覚は?
無意識に胸元を押さえると、目の前を横切っていく兵士達の後を追う。
(気のせいだと思いたいんだけど……でも。)
きいん、と耳鳴りがする。
胸騒ぎが収まらない。
廊下を走り、兵士達の後に続き、表情を曇らせたエイトが辿り着いた先は――修道院裏手にある、小さな庭。
(ここか? 一体、何が――……あ?)
乱れた呼吸を整えながら辺りを見回すと、騒動の元は簡単に見つかった。
庭の中央に、何か……居る。

兵士達に取り囲まれた得体の知れない”何か”が、月の光を受けて不気味に佇んでいる光景は、まさしく不穏以外の何者でもなかった。


Time of Night