Trouble Traveler
7
彼らと男を繋ぐ延長線上に立てば、後ろからグイッと強く腕を引っ張られた。
見れば眉間に皺を刻んだマルチェロが何とも言い難い表情をしてエイトの腕を掴んでおり、視線だけで警告を寄越す。
”何の真似だ”と言いたいのだろう。
エイトは微苦笑だけを浮かべて返すと、キツイ視線をものともせず、マルチェロの腕を掴み返して自分の背後へ下がらせる。
だが、それでもマルチェロは従おうとしなかった。エイトの背後に立つと、ドンと背中を叩き、小声で話しかけてくる。
「貴様は部外者だろう。要らん節介は焼くな。」
「――。」
マルチェロを見返し、肩を竦めるエイト。
やれやれ、この兄さまは素直で無い。
弟のククールは、とっくにエイトの腰辺りにしがみ付いて隠れていると言うのに。
いいから下がっとけ、と手を振る素振りをしてみるも、マルチェロは尚も食い下がってくる。
「相手が誰か分かっているのか? 北方教会を束ねる司祭だ。下手に揉め事を起こすな。」
言われて、男を一瞥したところでエイトはふと思い出した。
そうだ、あれは北国特有のデザインだ。
成程、意外と歴史がある模様だったんだな――と状況を忘れて男の服をまじまじと見つめていると、ぐいと腕を引っ張られて我に返った。
「俺の話を聞いているのか!?」
囁きは先程から同じ小声ながらも、今度のものは怒気を孕んでいた。エイトが意識を何処かへ寄せて――上の空、になっていたことに気づいたようだ。
(……こういうところは鋭いよな。)
苦笑を浮かべて誤魔化そうとすれば、そこでマルチェロが顔を歪め、吐き捨てた。
「これは他人である”貴様”には何の関係も無いことだ。」
「……。」
急に口調を変えたマルチェロに、エイトが目を丸くすれば相手は眉を顰めたまま目を伏せて。
「だから……俺達には、構うな。もう良いから……放っておけ。」
突き放した台詞とは裏腹に、声には棘が無く、険も無く。
腰元にしがみ付くククールと背後に立つマルチェロを交互に見遣れば、揃って同じ表情になっていた。
悲しげな目、けれど泣かないように憂いで涙を抑えて。
救いを求める、こどもの瞳。
助けてと何度叫んできたか分からない、悲しい眼。
このような表情を見て、立ち去れるわけがなかった。
目の前の男が、最も嫌悪する類の輩であったからこそ余計に――この状況が、許せない。
◇ ◇ ◇
エイトは口端を上げて彼らに笑みを返すと、まだ何かしらの抵抗をするマルチェロを自分の背後へ押し込んで、男に向き直った。
一連の行動を見ていた男は、やっと自分の方へ意識を向けたエイトに、薄い笑みを投げる。
「……麗しき下男殿が、何用かな?」
男は端からエイトを使用人だと決め付けているらしく、見つめる視線に僅かな侮蔑が窺えた。
エイトが背筋を伸ばして笑みを引き兵士としての気配を纏ってみせれば、雰囲気の変化に気づいた男が怪訝そうに眉を顰める。
「む。お前は……?」
「……。」
失声状態のエイトが返せるのは、何かしらの動作と視線だけ。
エイトは男を見つめ――笑ってみせた。
しかし、それはククールやマルチェロに見せていた微笑では全くに無い。男の見せる侮蔑以上に冷徹で、冷ややかな眼差しはどこまでも冷たかった。
確実な殺気を滲ませて。艶やかな殺気を滲ませて。
静かに、ただ静かに――冷たい微笑みを向ける。
「う、……。」
男が唾を飲んで後退るも、エイトは視線を外さない。
真っ直ぐに貫く。喉元に突き付けた剣を思わせる鋭さで。
その状態から言葉無く瞳だけで告げるのは”命令”。
”この兄弟に構うな。目障りだ。”
”今すぐ、この場から出て行け。”
それから、唇で声無い言葉を紡いだ。
”消えろ。――……でないと、殺すぞ。”
言葉の形だけをなぞった瞬間、男はヒィッと短い悲鳴を上げるなり転がるようにして部屋から出て行った。
その様子をエイトは暫く無言で見つめていたが、やがて相手が完全に立ち去ったのを気配で読み取ると、息を吐いてドアを閉めた。
彼らの方を振り返る前に、笑みではない代物をきちんとした微笑に戻す為に手の平で顔を一度擦り上げる。
人に殺意を向けるのを、エイトはあまり好まない。”兵士”としての生業上、癖にしてしまうとそれは悲劇しか招かないからだ。
”人”を安易に殺める兵士は、もう兵士では無い。
「――。」
はあと息を吐き、飲みかけのカップに口をつけた。
すっかり冷めてしまったミルクティーは、気のせいか少しだけ苦い。
頭の中で、ずっと声が響いている。
過去に干渉するな。未来を変えるな。
分かっている。
だけど――だけど!
(禁止する行為を、俺の前で……俺が居る前で、仕掛けて来るな!)
運命を変える気は無い。それでも、これだけは見過ごすことが出来なかった。
「……。」
エイトは溜め息を吐き、肩から力を抜いた。何だか変に疲れてしまったが、気にすまい。彼らを護れたのが、救いなのだから。
そう思いながら背後を振り返れば、そこには揃って目を赤くした兄弟がエイトをじっと見つめていた。
二人からの注視に、微苦笑するエイト。余計なことをしたかな、と思ったのだが……。
「……すまん。」
「……ありがとう。」
二人が同時に口にした言葉を聞いて、エイトは心の底から浮かび上がる感情のままに、柔らかな微笑を返した。
そして、剣を下げている腰の辺りに居たククールを、まずは誉めてやりたかった。
もしこの位置にククールが居なければ、エイトは遠慮なく剣を抜いてしまっていたかもしれなかったのだから。
それはさておき、いつまでも物騒な”兵士”で居ることもないだろう。
(さて。邪魔者も追い払ったことだし、お茶会の続きでも――……。)
そんなことを考えながら、彼らの方へ歩き出す。
(……? ……あ、れ……?)
何だか息が苦しいような感じを覚えた。
気を張り詰めすぎたかと思い、再度落ち着こうと胸元を抑えつつ――何気なく立ち止まった時にそれは、起こった。
「っ、……ぁ……!?」
ひゅっと息が出来なくなったかと思うと、そのまま足から力が抜けていき、そして。
「おにいちゃん!?」
「おい、どうした!?」
血相を変えたククールとマルチェロが走ってくるのが辛うじて見えたが、反応を返す間もなくエイトの意識はぶつりと途切れてしまった。