Trouble Traveler
6
ククールに小言を落としかけるマルチェロの脇を小突いて阻止しながら、エイトは彼らとのティータイムを楽しんでいた。
過去ながらもそれは未来でよく見られた光景であり、エイトはますます時間の感覚があやふやになりかけているのだが、当人は気づいているのだろうか。
馴染んでいる場合ではないのだと――分かっているのだろうか、この時空迷子は。
そんな危機感は当人に任せるとして……ともあれ。
彼ら兄弟は現在、エイトに付き合って(付き合わされて)、ティータイムの真っ最中なわけで。
+ + + + + + +
「……ごちそうさま。」
小さな声でそう言って、ククールがかちゃりとフォークを置いた。
自分のカップに紅茶を注いでいたエイトはそれを見て手を止めると、ククールに向かって首を傾げてみせた。
(なんだ、もう食べないのか?)
ククールの周りには、まだ幾つもケーキの乗った皿がある。その一つを取り上げ、彼に向かって掲げて見せるも、ククールはおずおずと目を伏せて言う。
「ん……ううん。もう、いいや。」
あれほど喜び、食べたがっていたケーキ。ククールが食べたのは、まだ小さなタルト一つきり。
子供が小さなケーキ一つ食べただけで満足するだろうか?
不思議に思いながら、紅茶に入れるミルクのボトルに手を伸ばそうと振り向いたところで合点がいく。――マルチェロがまた、ククールを睨んでいた。
どの辺りからかは分からないが、”調子に乗るなよ”という無言の圧力を掛けていたのだろう。どうりで、途中からククールが静かになったわけだ。
エイトは机越しに身体を伸ばすと、ククールの前にケーキの乗った皿を置いた。
「え? あ、あの……」
驚いた顔をして何か言いかけるククールに、「いいから食べろ」と言うように微笑を投げておいて、それから肩越しにマルチェロを見遣り、片眉を上げた。
(子供に凄むんじゃない。阿呆。)
声が聞こえたわけでは無いだろうが、マルチェロはエイトの視線から意図を読み取ったらしく、憮然とした顔をした。
「……就寝前の子供に、そんなに食わせるな。」
(歯は磨かせるぞ?)
「甘やかすな、と言っている!」
(……。)
マルチェロが怒鳴るも、エイトは不思議そうに首を傾げ返しただけ。
(こいつ、さっきから甘やかすなって同じこと言って……――あ、そうか。)
そこで何かに気づいたエイトは両手を叩くと、マルチェロにずいと近づいて。
「……なっっ!?」
微笑みながら頭を撫でてやれば、マルチェロが絶句して大きく目を見開いた。にこにこと笑みを絶やさぬまま、エイトはマルチェロの頭を撫でたまま頷いてやる。
(そういえばお前は”甘やかして”なかったよな。……うん、これで公平だ。)
見事にずれた論点である行為をしていることに、勿論エイトは気づかない。わなわなと身体を震わせて凝視するマルチェロを余所に彼の頭を撫で続け、そしてククールはオロオロしながらも、見事な子供の適応力で新しいケーキをぱくつき始めた。
過去も未来も、そして現在も。
彼らはエイトに敵わない。
そんな愉快ながらも穏やかな時間は、しかし突然の来訪者によって中断されることになる。
◇ ◇ ◇
「おお。こんな所にいたのか。」
その男が部屋に入ってきた時、明らかに空気が変わったのが分かった。
年齢は四、五十代辺りか。現代では見覚えが無いその男の服は上等で、布の飾りつけ、模様の具合から見て上位の司祭らしいことが窺えた。
親しげな口調から察するに、男はククールとマルチェロの近しい人物であるようなのだが、そうなのだとしたら、彼らのこの様子はどういうことだろう。
緊張したような……いや、何処か怯えたような、この反応は。
オディロ院長の若い頃かと思ったが――…断定できる。
この男は、オディロとは”違う”と。
「そなた達のことを随分と探しておったのだよ。……ああ、小休憩の時間だったか。」
男は卑屈めいた笑いを浮かべながら、呼んでもいないのにテーブルへと歩み寄って来た。少し前で立ち止まり、そしてそこでエイトに気づいたようだった。
「おや……これはこれは。また見目麗しい下働きが入ったものだ。」
男はエイトを無遠慮な視線で上から下まで見回すと、ぐんにゃりとした笑みを浮かべた。
(……コイツ。)
嘗め回すような視線とべたついた微笑に、エイトの瞳に嫌悪の色が混じる。
エイトは素性も何も明かしていないため、マルチェロがどういった報告をして誤魔化してくれているかは知る由も無い。
だから、どのような”身分”で見られても仕方の無いことだし、抗議する気は無かった。
だが、この男の人を見下した態度には……。エイトの、不審と嫌悪も余所に、無神経な男はマルチェロとククールに振り向き、話しかける。
「そろそろ懺悔の時間だぞ。用意して、告解室に来なさい。」
「――。」
「……っ。」
男の言葉に兄弟は揃って目を伏せ、ピタリと口を噤んでしまった。ククールは僅かに震えており、マルチェロに至っては強く唇を噛んでいる。
食べかけのケーキ、冷めていくミルクティー。
重苦しい雰囲気の中で、男の話は尚も続く。
「どうしたのだ、二人とも。主の前で懺悔をする時間だ。来なさい。」
ククールもマルチェロも、何も言わない。
だが、少ししてマルチェロが動いた。
彼はカタリと席から立ち上がると、男に向かって口を開く。
「……承知、致しました。今、弟と共に向かいます、ので。」
「……。」
答えるマルチェロと、その台詞を側で聞くククールの視線は伏せられたままだ。
対し、男はそんな兄弟の態度には気にした様子も無く、ただ、それでいい、とでも云う風に満足げに頷いた。
そのうちにククールも観念したように椅子から下りると、ゆっくりとした足取りで歩き出したマルチェロの後に続く。エイトは暫く呆然とし、その場から立ち去ろうとする彼らの背を見つめていた。
『過去には不必要に干渉してはいけない。未来を守りたいなら。』
本で読んだ硬質な禁則事項が、エイトの脳裏に浮かび上がる。
知っている。
分かっている。
でも、このまま何もせず見送れと?
手を出さずに、このまま彼らを……見捨てろと?
――ふざけるな。
冷静な思考に反して、身体が勝手に動いた。
”余計な真似はするな”と警告する何処までも馬鹿真面目な理性が邪魔をしたが、振り払う。
エイトは前に進み出ると、マルチェロとククールの進路に立ちはだかった。
そして彼らに背を向け、男を正面から睨みつける。
それは盾。
頑固で融通が利かないけれど、それでも未来の存在は迷いを見せず、過去に立ち塞がる現在の護りとなって立ち向かう。