Trouble Traveler
5
カシャカシャカシャ、と軽快なリズムが室内に響いていた。
音の主は銀色のボウルを片手に持ち、もう片方の手に持った泡立て器で中身を掻き混ぜ、何かを作っている最中らしい。
ついと腕を上げれば、泡立て器に付いた生クリームに、ぴしりと見事にツノが立つ。それを見た青年は髪を揺らして満足げに頷くと、ボウルと泡立て器をテーブルの上に置いた。
そのテーブルには、ボウルの他にも様々なものが並べられている。
キイチゴ。ブルーベリー。ラズベリー。ミントの葉。
チェリー。クランベリー。プラム。粉砂糖。
他には、何も飾られていないスポンジケーキやクッキーがちらほらと。
青年は食後のデザートでも作っているのだろうか?
答えは――少し、違う。何故ならば、別のテーブルにもう幾つか別のケーキが載っているからだ。
イチゴのショートケーキやガトーショコラなどといった簡単なものから、ブラックチェリーをふんだんに使ったキルシュトルテ、薄い層を何度も重ねて出来たミルフィーユ、とろりとしたクリームが目を引くティラミスなど。
正にデザート一色、ケーキ尽くし。甘いものが苦手な人間が見れば、卒倒しそうな光景だ。
いや、甘いものがそう苦手で無くとも、室内に立ち込めた、甘い――まさしく甘ったるい匂いを前にすれば、食欲も減退しかねない。
だが青年は――エイトは笑顔を崩さず、せっせとケーキ作りに励んでいた。
振り返れば、視線の先には目を輝かせた子供が一人。片隅に置いた椅子に行儀よく座っている姿がある。
(ケーキ見るのって初めてなのかな、あいつ。)
そう思いながら背後を一瞥すると、相手はテーブルからエイトに視線を戻し、興奮交じりに声を上げた。
「すごいよ! こんなにキレイな……たくさんのケーキ、僕、初めて!」
子供は――ククールは並べられた菓子のどれもに視線が釘付けになりながら、それでも子供にしては見事な我慢強さで、つまみ食いなどはせずにじっとそこに座って待っていた。
エイトはケーキの一つにイチゴを飾りつけていたが、ふとククールを振り返ると、側のタルトを一個取り上げて微笑する。
”待ちきれないだろ? 先に、これ食べとくか?”とタルトを差し出して見せれば、ククールは首を大きく横に振って叫ぶ。
「ううん! 僕、待ってる。おにいちゃんと一緒に食べるんだ!」
そうか。偉いな。
(というか、可愛いな。)
あまりの行儀よさにエイトが微笑すれば、ククールは照れくさそうにエヘヘと笑った。
◇ ◇ ◇
(よし、これで最後……――完成!)
ガトーショコラの上にココアパウダーを振りかけ終わると、エイトはパンパンと両手を叩き、座って待っていたククールに向かって手招きした。
「出来たの? ――うわぁ! あはは、スゴイ! すごいよ!」
テーブルが見えなくなるほどに皿が敷き詰めて置かれ、色とりどり、種類も豊富なケーキの山々を見たククールが、やっと子供らしくはしゃいでくれる。
(そうだろう、凄いだろう。ふふん。)
エイトは誇るように胸を反らせて笑い、ククールを椅子に座らせた。
(さっき読んでやった童話に出てきたお菓子の家には程遠いけど……充分だよな?)
そう。そもそもの切っ掛けは、いつものようにククールに本を読んでいた時だった。
”お菓子のおうちかぁ……いいなぁ。”
不意に、ぽつりとククールが呟いた。
”ケーキなんて、ママが死んじゃってから……食べてないや。”
などと、あまりにも寂しげな台詞を口にしてくれたお蔭でエイトの胸は締め付けられ、居ても立っても居られなくなった。
なので、エイトはククールの腕を引いて台所にやって来ると、片隅の椅子を指差し、そこで待っているよう手振りで示して、自分は早速ケーキ作りに取り掛かったのだった。
そのとき、台所には二、三人ばかり修道士が居てなにやら雑談をしていたのだが、料理をするエイトにとっては邪魔だったので追い払った。
勿論、力ずくではない。ただ、柔らかに微笑を浮かべただけだ。
それは、戦略に長けたものが意図的に作る――言葉無くとも従わせる――微笑であり、修道士たちの心を見事に貫く効果を持っていた。
効き目は抜群、会心の一撃。
彼らは文句の一つも言わずに、何故だか顔を赤くしてエイトにその場の権利を譲り、そそくさと立ち去ったのだった。
その一連の状況にククールが目を丸くし、「おにいちゃん、何をしたの?」と無邪気に聞いてきたが――そこは流石に言えず、色々誤魔化しておいた。魔法だよ、とかなんとか言って。
純粋な子供に道理のアレコレを教えるのは、まだ早い。……というか、どうせ賭け事を覚えてて駆け引きに長けた男に育つのだし。
(ああ、勿体無い……。)
などと思わずにはいられないエイトだが、そうして成長したククールもそれはそれで嫌いではないのだから仕方のないところ。
「おいしい! おにいちゃん、まるでケーキのお城の王様みたいだ!」
(んー。ケーキの城、かぁ。)
にこにことしながらケーキをぱくつくククールに、エイトは僅かに苦笑する。
作ったものをそれぞれ皿に並べただけなので城というよりは唯の城壁な気がするのだが……まあ当人は喜んでくれているのだし、黙っておこう。いや。喋ることが出来ないので、黙るも何もあったものじゃないが。
(さて、飲み物を用意するか。ククールには、ミルクと砂糖たっぷりのミルクティーにしよう。)
確かティーセットはこの辺にあった筈だ、と未来の配置記憶を頼りに棚の引き戸を開けて探している時だった。
「……やはりお前が元凶の主だったか。」
声のした方を振り向けば、酷くウンザリとした表情を浮かべたククールの”にいさま”その人が、腕を組んで出入口に立っていた。
◇ ◇ ◇
「……っ!」
ククールが強張ったのが気配で伝わったが、エイトは「大丈夫だから」というように微笑みかけてやると、マルチェロに向き直った。
首を傾げて、”どうしたんだ?”という意思を示してみれば、相手は顰めた顔のまま言う。
「この院に似つかわしくない匂いが漂ってきたものだから、何があったのかと思ってな。」
それから、ふうと溜め息を吐き、エイトを見据える。
「……あまりその子供を甘やかすな。癖になる。」
言いながら、咎めるような視線をククールに向けるマルチェロ。
かちゃん、と小さな音がした。
恐らく、怯えたククールがフォークを置いたのだろう。そして、その子供はきっと泣きそうな顔をして俯いていることだろう。
エイトは振り返ることなくマルチェロを見返したまま、その視線を遮るように身体をずらした。
マルチェロからは、見えなくなるククール。
ますます顔を顰める、”にいさま”。
睨みつける彼の眼差しがきつくなるが――それが、どうした?
(お前のそういう顔には慣れてるんだよ。)
余裕があるのはいいことだ。
エイトは微笑を絶やさずにマルチェロに近づくと、その腕を掴んで引っ張った。
「な、なんだ?」
驚いた相手が質問を投げるが、構わずグイグイと引っ張ると、ケーキを並べ立てたテーブルのところまで連れてきた。
「おい、何を――」
(いいから座れ。)
何か言い掛けるマルチェロに構わず、がしりと両肩を押さえると、やや強引に席に着かせる。
「おい! 誰が参加すると言っ――」
ことり。
入れたての紅茶が入ったカップを目の前に置いて、尚も投げつけられる抗議を遮る。
「待て、俺はこんなものなど食わ――」
かちゃり。
更には幾つかのケーキを乗せた皿を並べ立て、これにて終了。
エイトはマルチェロの隣の席に着くと、彼ら兄弟に向かって、にこりと微笑む。
さあ、ティータイムを始めようか?