TOPMENU

Trouble Traveler

4



「……。」
マルチェロが去った後の部屋に一人きりになったエイトは、天井を見上げながら大きな溜め息を吐いた。

ククールという名の、子供。
マルチェロという名の、男。
同姓同名にしては何もかもが重なりすぎており、他人の空似にしては面影がありすぎた。

ここはドコだ?
ここは一体―― ”何”なんだ!?
次々と浮かぶ疑問。残されるのは謎ばかり。だが、調べようにも今だ身体はまともに動かせず、声も出せないから会話も魔法も不可能でどうしようもない。

(……はあ。そういえば……買った紅茶葉、どうなったんだろうなぁ……。)
あまりにも不甲斐ない己の状態に、エイトが遂に現実逃避しかけた時だった。
部屋の戸を、叩く音がした。
こん、こん、こん、ときっちり三回小さな音。続いてゆっくりドアが開いたかと思うと、隙間から控え目に顔を覗かせる人影が一つ。それは、マルチェロに怒鳴りつけられて泣きながら部屋を出て行ってしまったあの子供だった。

(ククール……。)
「こ、こんにちは。」
子供は――”ククール”はエイトと目が合うと、はにかみながら挨拶をした。
「お部屋に入っても、いいですか?」
躾けられた丁寧な喋り方にエイトが笑いながら頷けば、ククールは辺りをきょろきょろと見回してから、急いで部屋の中に入った。
マルチェロに見られて叱られるのを恐れていたのだろう。慌てた様子でドアを閉めると、真っ直ぐにエイトの元へと走ってきた。
側まで来ると、そこでやっと安心した顔になる。床に膝を付いてベッドサイドにもたれかかると、エイトを見つめて口を開いた。

「おにいちゃん、痛いところはない?」
大丈夫だという意味を込めて頷き返すと、ククールは控えめに笑う。
「よかった。僕、ずっと心配だったんだ。」
「……。」
そういえばこの頃のククールは、マルチェロから理不尽な扱いを受けていたのだったか。
思わず不憫になり、どうにか動かすことの出来る腕を持ち上げて手招きをした。

「なに? どうしたの、おにいちゃん。」
不思議そうな顔をして近づいたククールの頭に手を伸ばし、そっと髪を撫でてやる。
普通に接したつもりなのだが、しかしククールは目を丸くし、ひどく驚いた顔をした。
(な、なんで驚いてるんだ?)
そんな反応をされると思っていなかったエイトもエイトで、びっくりした顔になった。
が、恐る恐る口を開いたククールが注いだ言葉で、答えは分かることになる。

「あの、僕……な、何かワルイことしたの?」
「……?」
「だって、ワルイことをすると、告解室に連れて行かれて……僕、いまみたいなこと……」
「――。」
そこで言葉を切るなり、ククールは俯いてしまった。
”いまみたいなこと”――その後に続く台詞は……あまり考えたくは無い。
エイトは思わずククールから手を離したが、けれど……放っては、おけなくて。

「……? おにい――……」
顔を上げかけたククールを、そのまま胸元に抱き寄せた。相手が、ぎくんと身を硬くしたが、それでもエイトはククールを抱いたまま、離さない。
その髪に顔を埋め、ぎゅっと目を閉じる。
ククールの過去は本人から聞いたことがあるけれど、こんな――。

(――こんな小さな頃から……っ!)

「……泣いてるの? ねえ、どこか痛いの? だいじょうぶ? おにいちゃん。」
腕の中で、ククールが心配そうに話しかけてきたが、エイトは何も言えず――離すことが出来ていたとしても、何も言えやしない――ただただ、その小さな身体を抱きしめる。

こんな世界は大嫌いだ!――と。
エイトは涙を流しながら、声も無く叫んだ。


◇  ◇  ◇


(……ん。……あれ?)
泣き疲れたのかいつの間にか眠ってしまっていたようで、次に目を覚ましてみれば、ククールは居なくなっていた。あれからどのくらいの時間が過ぎたのか知らないが、あまり長居すると”にいさま”に怒られるから、戻ったのだろう。

(あー……帰っちゃったか。ま、仕方な……っ!?)
その代わりなのか何なのか、マルチェロが側にいたのは一体全体どういうことか。
しかしエイトもエイトで、こうした「突然」なことにはあまり驚かなくなっていた。
兵士としての順反応か、それとも声の喪失と共に感覚が一時鈍くなっているのか。
それでも一応、そこそこに驚いた振りをしてみせたのは最早ご愛嬌。
だが相手には通用せず――マルチェロは片眉を上げると、エイトを見据えて言った。

「下手な芝居は止めてもらおう。何故だか知らんが、不愉快だ。」
「……。」
流石はマルチェロ、しっかりお見通しですかー、などと暢気に心の中で呟いていると、急に手が伸びてきた。何だ、と思う間もなく不意にがしりと喉を掴まれて、反動で僅かに体が仰け反る。
「!? ……っ!」
口をぱくぱくと開閉させて「これは何の真似だ」とエイトが視線で問えば、マルチェロの口元に薄い笑みが浮かんだ。

「そういえば……お前の名前を、まだ聞いていなかったな?」
「……?」
「出身も名前も不明、か。ははっ。そう偽れば、幾らでも侵入できるという訳か。大したものだよ……はははははっ。」
「……??」
何を言われているのか、エイトはさっぱり分からない。
最初の慇懃な物言いから一転して高圧的な口調になっているのは、コチラの身分が曖昧なままであるからだろう。
上の機関に尋問を止められている、ということを最初の時に聞かされたが、それでもマルチェロは何かしらの手段を用いてエイトの素性を調べたようだ。
けれど、答えは見つからなかったらしい。……この時代のトロデーンとそこに居るであろう自分がどうなっているのか気になるところだが、いまだけは素性がばれないで良かったと心の底から思う。
むしろ、このまま正体不明扱いであってくれたほうが、こちらも助かる。
きっと、確実にややこしくなるので。

それはそうと、マルチェロだ。
不可解なセリフとこの行動。コチラが怪しすぎるから、というのを理由にしても、こうも唐突に息の根を止めに来るのは性急すぎやしないだろうか。
マルチェロは頭の良い男だ、とエイトは認識している。
現に彼は、世界征服まであと一歩、というところまでやらかしてくれた。
そんな男(になる予定)が、こうも浅薄な行動に出たのは何故だ?
締め上げられる喉の苦しさと痛みに耐えながら、エイトはマルチェロに視線を戻す。
ふと、薄笑いを浮かべているマルチェロから僅かだが酒の匂いがした。
と、いうことは――。

(コイツ、酔ってるのか!?)
エイトの思考に答えるように、マルチェロが喉を掴んだままで顔を近づけてきた。

「何が目的だ。金か? それとも、別のものか……?」
ああ、喋る息が見事に酒臭い。エイトは眉を顰め、顔を横に背ける。
(どれ程の酒を聞こし召したのでしょうかこの阿呆兄さまは……って――えっ!?)
ふざけようにも、マルチェロに圧し掛かってこられたものだから思考が止まってしまった。
いやいや、ふざけている場合ではない。本当のピンチだ。
それでも、こちらに全体重を掛けてこなかったのは、せめて残る優しさか。

(いやいや、優しくないから! というか、何でまたこんな――!)
せめて呼吸だけでも確保しておきたかったエイトは、ぎこちなくながらも手を動かし、喉を掴むマルチェロの腕に触れた。
「マ……、……せ。」
マルチェロ、離せ。
頼むから、せめて、腕を……。
だがエイトの懇願を嘲笑うかのように、マルチェロの手に力が篭められる。
更に息苦しくなる気道。これは少し……いや、だいぶマズイ。
ろくに声も出せず、抵抗しようにも体力がまだ戻っていないこの状態。
そんな今のエイトに出来ることといえば――。

――何が、あるのだろう?

(今の俺って……ほんと、無力だよなぁ……。)
意識が眩み、朦朧とする。この世界へ来てからというもの、非常識なことばかりだ。
過去らしき現在。日常の中の非日常。もっとも、ここ自体は既にエイトの知っている”日常”ですらないわけだが。
(意……識、が……このままじゃ……――くそっ!)
諦めるな、エイト!
自己を叱咤したエイトは歯を噛み締めると、残っている力を振り絞り、相手目掛けて大きく腕を振った。

「――ぐっ!」
それはマルチェロの顔に当り、怯ませることに成功する。
喉を締め付ける腕が離れ、呼吸が楽になった。急いで大きく息を吸う。
「っ、ぁ……。――っ。……っ。」
水を得た魚の気分とはこういうものか、と空気の美味さをしみじみと味わいながら肩で息をしているエイトに声が掛かったのは、そんな時だった。

「……すまなかった。」
意外にも早く、謝罪が返って来た。相手は正気を取り戻したらしく、気まずげに頬を押さえながら立ち上がる。
「自分でも、何故このようなことをしたのか分からん。……本当に、すまない。」
声は真剣味を帯びており、本気で反省している様が窺えた。
いつも見る、皮肉屋の表情はどこにも無い。昔はまだこのように幾らかは素直でいたのかと、先程の危機感をすっかり忘れてそんな事を考えた己に感嘆する。

(落ち込んだマルチェロなんか見るの、初めてかも。)
目の前で膝を付き項垂れている今まで首を絞めていた相手を見ながら、エイトはその場に似つかわしくない苦笑を浮かべた。

こんなことを考える自分も、”非常識”なのだろう。
しかし、こうも考えてみる。
このマルチェロは、エイトが知っている姿よりだいぶ若い。
つまり、今の行動は若者に良くある”若気の至り”なのだ。……と、かなり強引だが、このように考えないとどうしようもないわけで。
エイトは顔を上げてもらう意図を込めて手を伸ばすと、マルチェロの髪に触れた。
途端にマルチェロはビクリと肩を震わせ、驚きの表情でこちらを見る。

「……。」
疑視感。
エイトの表情が曇り、触れかけた手が止まる。
今のは、ククールが見せたのとまるで同じ反応だった。
他者に触れられると、緊張したように体を強張らせる。
そして、そろそろとコチラを見つめるのだ。……今日はどんな酷い目に遭わされるのだろうと、そこから先に与えられる絶望を前に怯える眼を向けて。

(まさか……こいつが酔っている原因は――)
酔わざるを得なかった、原因は。

この兄弟は。
……彼らは。

「どうした? 何故……」
眉根を寄せながら、マルチェロが手を伸ばす。
そしてエイトの髪に触れながら言うのは、戸惑いの問い掛け。

「何故、お前が泣くんだ?」
だがエイトは答えられない。俯き、悲痛な顔で首を横に振るだけ。両手で顔を覆い、彼らに対して残酷な世界を声無く非難する。
純粋な信仰心を持っていた子羊たち。
彼らは祈りを捧げていれば、いつかその御手が差し伸べられると信じていただろう。

(――彼らが貴方に何をしたというんだ、神様……っ!)
だから数年後に、世界はあのような目に遭うのか。遭わされるのか。
自らが汚した羊の手によって。
「首が痛むのか? 怖がらせてしまったか? おい、泣かないでくれ。もうこのような馬鹿なことはしないから。なあ、おい――」
戸惑ったようなマルチェロの声がする。
不器用な仕草で頭を撫でられたところまでは覚えているが、そこから先は悲しみの方が強くて、記憶にない。……覚えていたくない、こんな悲痛な感情は。


Don't cry baby