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Trouble Traveler

3



声が……聞こえた。
舌足らずな声が、呼びかけている。

誰が……?
……何を?

ゆっくりと目を開ければ、こちらの顔を覗き込んでいる子供が見えた。
生きていたことが分かり嬉しかったのか、泣きそうだった表情がたちまち笑顔に変わる。
「あ、よかった。目を開けた!」
「……? ……ぁ。」
どうして子供がこんな山奥に?とか、パンサーどもに襲われるから危ないぞ、とか。
色々言おうと思ったのだが、落下のショックか声が出ない。頭を打っているせいか、意識も何だかボンヤリしたままだ。
とりあえず体を起こそうとした――ものの、途端に背中に激痛が走り、その場に伏せることになってしまった。
それを見た子供が小さな手でエイトを制して、言う。
「だ、だめだよ! じっとしてなきゃ。頭、うってるかもしんないんだから。おにいちゃんは、ココで待ってて! 今、にいさまを呼んでくるから!」
「ま、っ……!」
一人じゃ危ない!と叫ぼうとしたが、やはりまともな言葉は出てくれず。その間に子供は駆け出し、森の向こうへ消えてしまった。

「……っ!」
エイトは、鈍い痛みに耐えつつも身を捩って、ぎこちなくも周囲を見回した。
すぐ側にそびえる崖は、滑落点である上のほうが、まるで見えない。これはまた随分高いところから落ちたんだな、と実感する。
良くもまあ無事でいたものだ。そう考えると、これはまだ”運が良かった”範囲なのだろうか?

(そういえば……ここって、どの辺りだ?)
トラペッタ方面を歩いていたから、恐らくトロデーンからはそう遠く離れてはいまい。
先程の子供は、トラペッタかその近隣に住んでいるのだろうか? どちらにせよ、無事であれば良いのだが……。

(あー……ダメだ。何か……目の前、が、暗く……なっ……て……――)
解決出来ない疑問を抱いたまま、エイトの意識は次第に遠くなっていった。


◇  ◇  ◇


「……?」
次に目を覚ましてみれば、今度はどこかの部屋に居た。冷たい地面に寝転がっているよりはだいぶマシだったが、見知らぬ部屋というのもあまり安心出来ない状況だと感じるのは、兵士としての性分か。
しかし、それにしては「見知らぬ」割に何となく見覚えがあるのだが――ここは?

不思議に思いながらエイトが身体を起こしかけたところで、不意に部屋のドアが開いて一人の男が入ってきた。
幾つくらいだろう? エイトに二つ三つ年を重ねたように見える。
相手はエイトが目を覚ました様子に気づいて一瞬だけ眉間に皺を寄せたが、後ろ手でドアを閉める頃には表情を元に戻し、話し掛けてきた。

「気が付かれましたか。お体の具合はどうです?」
「っ、き……っ。」
平気です、と言ったつもりだったが、まともに言葉が紡げない状態では意味が無さ過ぎた。
相手もそれを感じ取ったらしく、鼻先で笑って言う。
「背の強打による一時的な言語消失ですね。まあ……傷が癒えれば、治ることでしょう。」
男は喋りながら、エイトが横たわるベッドに歩いてきた。側に置いてあった椅子に腰を下ろすと、エイトを見ながら話を続ける。

「貴方のような旅人は、本来ならばまず尋問を行い、身分をはっきりさせる必要があるのですが……上のほうから抑制されましてな。今回は敢えて不問にしております。」
「……。」
それは”普通の”尋問ですねよ?と訊ねたいところだが、声を出すのを諦めたエイトは、頷きの反応だけを返しておいた。うんうんと相槌を打ちながら、先を促す。
「それに……あとは、我が不肖の弟が騒ぐものですから、上の手前、邪険にも出来ないところでして。……全く、あいつのせいで余計な手間を!」
「……?」

――弟?
(この人、弟がいるんだ? いや、あれ……もしかしてあの子か……?)
エイトは何だか頭がこんがらがってきたような気がしたので、これまでに聞いた話の断片や情報を纏めて、頭の中を整理してみることにした。
男の反応と話から察するに、エイトを見つけたあの子供と、目の間で不機嫌な顔をしているこの男は、どうやら兄弟らしい。
似ていないな、と思ったが、すぐに、いや似ていたところもあったな、という思いがあった。

(似ていないけど……やっぱり似ている?)
この、妙な感じは何だろう?
エイトはここに来てから、何だか奇妙な感じを覚えていた。
見知らぬ子供、初対面の男。
なのに、何かが逆棘みたいに引っ掛かる。
(何だこれ。もやもやする……!)
考えを纏めたらすっきりすると思っていたのに、余計に混乱してきた。今やエイトの顔は、男よりも気難しくなっているだろう。
メダパニよろしく頭がクラクラしていたエイトを正気に戻したのは、急に開かれたドアから室内に飛び込んできた子供の声だった。

「目が覚めた!? おにいちゃん!」
勢いよく駆け込んできた子供は、けれどすぐさま黙り込むことになる。何故なら、男が肩越しに振り向いて冷たい眼差しを向けていたからだ。
「あ、あの……」
「……入室する際にはノックをすること、と言っておいた筈だが?」
「ご、ごめんなさい、にいさま。でも、僕、おにいちゃんが心配で――」
「だからと言って、無作法の理由にはならん! 目障りだ!」
年端も行かぬ子供に、何もそこまで厳しい叱咤を投げることも無いだろうに。仲裁に入ろうと上体を浮かしかけたエイトは、男が怒鳴った次の台詞を聞いて硬直する。

「貴様は今一度、礼拝堂で礼儀書を読み直して来いっ! ――出て行け、ククール!」
「ふっ……ぇ――……っ!」
男に叱られた子供は目にいっぱいの涙を浮かべると、そのまま部屋を出て行ってしまった。そうして、険しい顔をした”にいさま”と言葉無く呆然とする迷い旅人の二人きりに。

「……。」
今回は、あまりにも突飛なことが多すぎる。はじめ、エイトは声を一時的に失ったことが手痛く思っていたが、今はそれで良かったとすら感じていた。恐らく、とんでもない声で叫んでいただろうから。

(しかし……今のは……――嘘だろ?)
座りなおした男を見つめながら、エイトはまたまた考え込む。
今のは単なる同名詞だ。偶然、自分の知ってる者と同じだけなんだ。それに、ククールと言う名前など、そうそう珍しくも――あるような、無いような?

いや、しかし。
はは……まさか。
心の中で疑問を重ねていると、男がエイトに向き直り、話し掛けてきた。

「……とんだ恥を見せてしまいましたな?」
エイトが引き攣った笑みを浮かべながらも首を横に振ってみせると、相手が僅かに笑った。苦笑したのだ。
「それは同情ですか? それとも、本心から? いや、どうにも……貴方は不思議な人ですね。」
先程の剣幕から一転、男は苦笑交じりにそう言うと、ふと何かに気づいたような顔をして言い繋ぐ。
「ああ、そういえば自己紹介がまだでしたね? 失敬。」
そして口にするのは、己の名前。

「私の名前はマルチェロ。――若輩者ながら、ここの管理を任されております。」
「……っ!?」
声が出せる状態でいたなら、やはりさぞ頓狂な叫びを上げていただろう。
乾いた笑みを顔に張りつかせたが、もう限界だった。
「――……っ」
「どうかされ……あ、オイ!?」
精神的な疲労も重なったエイトは意識を手離すことに決めたようで、そのままベッドに沈み込むなり気を失ってしまう。
男の――マルチェロの慌てるような声が、薄っすらと聞こえたような気がした。


Really?