Paladin Road
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The Perfect Kiss
見晴らしのいい丘の上に、二人の青年が居た。一人は相手の膝を枕に、空を見上げている。
その時、涼しい風が吹いて横たわる青年の銀髪を撫で、軽く乱して通り抜けていった。
青年は特に気にせず空を見上げていたが、それを整えるように動く手があった。膝枕の主がその銀髪を指先で梳き、髪の流れに添って綺麗に撫でつける。
整えられた乱れ。そして手は動かなくなる。
しかし、そうして撫でるのを止めた途端、膝を枕にしている相手が僅かに頭を動かし、太股にぶつけてきた。
無言の抗議。もっと撫でろ、と言っているのだ。
膝枕をしている青年――エルドが苦笑を噛み殺す。猫を思わせるその態度が可笑しくて、何だか可愛らしい。猫のように不満をぶつけてくるのを眺めていれば、なかなか要望を叶えてもらえないことに焦れた相手が少しだけ顔を動かしてエルドを見上げてきた。いや、睨みつけられた。
「……なに笑ってるんだよ。」
「ん? いや――良い風が吹いてるなって、思ってさ。」
罪にはならない嘘を吐いて青年の頭を撫でてやれば、訝しげにしていた相手の眼から険が消え、所定の位置に戻って空を見る。
「良い風、ね……まあ確かに悪くはないけどよ。」
空気が澄んでいるせいか、空がやけに高い場所にあるように見えた。
青年は――テリーは片手を伸ばし、目を細めて呟く。
「……遠いな。」
見上げるものは、いつも遠いところにあった。
引き離されたあの日。姉は、手の届かない場所に行ってしまった。
手の出せないところへ連れていかれてしまった。
この手を引いて導いてくれた大切な人。
別れ際、助けを乞うこともせずただ美しい笑みだけを残して。
「……俺が欲しいものは、いつも遠かった。」
「――。」
髪を梳いていた手の動きが一瞬ばかり止まった。が、話の続きを促すように再開したので、テリーはそれが相手の相槌だと受け取って、独白を続ける。
「姉さんが連れていかれたあの日から、俺はひたすら強さを求めた。」
家を、生まれ故郷を捨てて剣をとり、追い求めたのは姉では無く姉を取り戻せる確かな力。
それ以外は切り捨て、力だけを求め、追い求めて――気づけば、大切な人の顔を忘れてしまっていた。
「……お前、さ。ヘルクラウドで戦った時、俺の攻撃からさり気なく姉さんを庇ってたよな?」
不意にそんなことを訊けば、相手が――エルドが空に視線を投げ、唸るような声を出す。
「うーん……どうだったかな。どちらかというと、ハッサンに盾になってもらって、俺は攻撃を分担してたかな。」
「……誤魔化すなよ。膝をついた姉さんに俺が雷鳴の剣を振ろうとした時、その前に立ちはだかって俺を殴ったくせに。」
テリーが空に向けていた手を下ろして殴られた側の頬を撫でてみせれば、エルドが空に向けていた視線を戻して苦笑した。
「あはは。よく覚えてるなあ。」
そう言ってテリーの頬に手を伸ばし、そこへ己の手を重ねて微笑む。
「気づいていたんだ?」
「当たり前だろ。あれだけ俺と姉さんをちらちら見てたらな。」
「そうか。」
エルドが苦笑を深めて、軽く息を吐く。
「姉弟で傷つけあって欲しくなかったんだ。……俺はもう、妹を守れなくなっていたから。」
「……。」
テリーは、陽気な声で儚く微笑むエルドの瞳に寂しげなものが混じっているのを見つける。
弱味を見せない王子様。人の痛みには敏感なくせに、自分自身に対してはどうにも無頓着になるのは背負う身分のせいか。
追及はしない。むしろその陰には気づかない振りをして、テリーは言ってやる。
「なに言ってるんだよ。お前にも居るだろ、山奥の村に一人。しょっちゅう城を抜け出して遊びに行っては手料理が上手いって俺に一々報告してくるだろ。」
「……ん。……そうだな、ターニアも大事な妹だった。」
「過去形にするな。」
「あはは……。……うん。過去じゃ、ないな。」
エルドが目を伏せてテリーの頬を撫で、感謝するように頭を撫でる。
「ありがとな。」
「別に。礼を言うことじゃない。」
「……テリーの手はもう大切なものを掴めているんだな。」
「ああ。でも、まだだ。まだ強さは足りてない。だから、剣の腕は磨き続けないとな。」
そう言って、ぐっと握り拳を作って宣誓する。
「打倒、デュラン!」
「あははは。大丈夫だよ。テリーはもっと強くなる。今よりもきっとな。」
優しい声音で語り掛けて励ますエルドを見上げ、テリーが鼻を鳴らす。
「ふん。そうだ、俺はもっと強くなる。だから――」
頭を撫でる手を掴んで相手を引き寄せ、他人事のような顔をして寂しげな笑みを浮かべている相手にテリーは言ってやる。
「お前も守ってやるぜ。」
「……何で、俺も?」
「お前も俺の大事なものだからだ。当然だろ?」
そう言って更に手を引いてエルドの後頭部に腕を回し、顔を近づけて囁く。
「いつもお前の側に居て、ずっと守ってやる。そうなれるようにするから、覚悟してろよ?」
「ははっ、何だそれ。何だか分からないけど、無茶だけはするんじゃないぞ?」
「分かってるさ。」
話しながら顔を近づけていけば、吐息が掛かる距離になってからエルドが言う。
「それで? これは何をしようとしてるんだ、テリー?」
「ああ。護衛料の前払いを貰っておこうと思ってな。」
「ちゃっかりしてるな、全く……」
呆れた声にはけれど甘やかな者が混じっていて、嫌悪は無く。
「エルド――」
「ん……。」
重なる唇。二人の間を、涼しい風が通り抜ける。
「っは……。なあ、お前の所って、まだ兵士募集とかやってるんだよな?」
「ん? うん。やってるけど?」
「そうか。」
「テリー? 今の質問ってなに――」
「――今度、いつ会える?」
「え?」
「いつ会えるかって聞いてるんだよ。お前、王子に戻ってからごちゃごちゃ予定あるだろ。」
「ご、ごちゃごちゃしてるかなあ……普通に一日を過ごして、」
「良いから、空いている日か時間帯を教えろ。」
「え、ええと――」
矢継ぎ早に話を遮られて質問を返され、エルドは戸惑いながらも自分の予定を話す。城の機密や内情には深く触れない程度に。
テリーはそれをふんふんと頷きながら聞いていて、エルドが一つ話すごと何事かを呟いていた。口元を覆っていたのでよく聞こえなかったが、「フランコが邪魔だな」とか「完全に一人になるのはその辺か」というのは断片的に拾えた。
その際、妙に難しい顔をしていたので何か深刻なことだろうかと訊ねかけたものの、「意外と二人きりになれる時間が少ないな」と呟くのが聞こえた瞬間、質問するのは止めた。
エルドは苦笑を深めると、窘めるようにテリーの頭を軽く叩いてからもう一回だけキスをくれてやった。
それは忠誠を交わす前の残影。
見晴らしのいい場所で二人が願った、何の対価も制約もない約束。
透き通る空の下、光差す幸福の時間が確かにあった。
Amor, ut lacrima, ab oculo oritur, in pectus cadit.