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空に響く焦がれ唄

15



静かな風が、髪を凪ぐ。
一番高い建物の上に腰を下ろし、雲間から覗く景色を眺めた。
綺麗な青、綺麗な緑。この高さからでも分かる色付いた壮大な大地が眩しい。

闇を払った功績だと人々が称えるものがこの光景だと知ってはいたが、確かにこうして見ると、その価値はあるのだろうと思う。
ああ、この世界は美しい。

――この身には、痛すぎるくらいに。

優しい月人は結局、望みを叶えてはくれなかった。
いや、イシュマウリが悪いのではない。
エイトにかけられた、呪いを弾く効果がそれを妨げてどうしようも無かっただけ。

そう、悪いのは自分自身。
どこまでも、どこまでも。
――断罪は続くのか。

「は、は……ははっ……は、ははははは。」
エイトは虚しい笑い声をひとしきり上げた後で、ふらりと月の世界を出て行った。
背後からイシュマウリが名を呼ぶのを聞きながら、けれど全く振り返らずにそのまま現世に続く扉を開けて外に出た。
半ば悄然としたまま、ルーラを唱える。
地上も月の世界も駄目なら、次は空に行こうと思った。


◇  ◇  ◇


美しい世界を見ながら、項垂れたエイトがぼそりと呟く。
「……放っとけば良かった。こんな世界なんか……。」
「――こら。そんなことを言うものではないぞ。」
「……っ。」
背後から掛かった声に、びくりとして振り返れば、そこに立っていたのは気高き姿をした人の影。
荘厳にして偉大な、龍の神。

「竜神王……さま。」
愚かな独り言を聞かれた……。エイトが羞恥で顔を赤く染め、俯いたのを見て竜王が苦笑する。
「なに、そう己を恥じることではないだろう。人ならば、様々な感情を抱くものだろうに。」
「……醜悪だと、思わないのですか?」
「何故?」
「俺は、こんなことを考えながら世界を回っていたんですよ!? 人々の為に……世界の為に、闇を払ったんじゃない。ただ早く、面倒事を済ませてしまいたかっただけ……。けれど今は、暗黒神を倒したことを後悔していて……こんな愚劣なことばかり考えて……いて。」
「望んだものが叶わないから、そう考えるのだろう? 自分を貶めて愉しいか、エイト?」
「……王……。」
「そなた達は、誇れることをした。人ならず、世界をも救ったのだ。それを否定し、貶めることは止めよ。そなたの仲間までも、拒絶することになるのだ。それでは悲しいだろう?」
竜王はどこまでも優しくエイトを宥める。
けれど、エイトの表情は暗い。ぽつりと呟いた。
「――……俺は、聖者でも何でもない。」
「エイト?」
「言うのは易い。……言うだけなら、誰だって出来るさ!」
エイトが顔を上げるなり、竜王を睨みつけて叫んだ。

「俺は、全てを愛せるほど壮大な人間じゃない! 人々の願いが叶い、俺の願いが叶わない世界など、要らないんだ!」
「エイト!」
流石に竜王が眉を寄せて咎めるも、エイトは怒りを露にして叫び続ける。
それは正に、慟哭。

「あの人が――あの人だけが、欲しかったのに……!」
ぼろぼろと、涙を流しながらエイトが首を振る。
「……分かって、たんだ……俺の願いは、叶わない。こんな願いなんか、叶ってくれない……。知っていたさ……こんな結末になることは。」
声の覇気が薄れるに従って、エイトがまた項垂れながら、自分の両肩を抱いて呟く。
「……願いは、叶わない……記憶も、失えない……どうしろって言うんだよ……。」
それから、またふつりと沈黙するエイト。
あまりにも寂しげに儚いエイトの背に、どういった言葉を掛けようかと竜王が迷っている時だった。
エイトが、ふと何かに気づいたように顔を上げた。
寂しげな微笑を浮かべ、竜王に言う。

「貴方なら――……俺の、望みを……叶えて、下さいますよね……?」
「……エイト、それは……。我には、相手の願いを実現できるような力は――」
困惑の表情を浮かべる竜王に対し、エイトが不自然に落ち着いた声で告げる。

「俺を、殺してください。」
「な、……。」
柔らかな微笑で、エイトが言った。
笑って言う言葉では、到底ない。驚き、目を丸くする竜王に、エイトの言葉が続く。
「自分じゃ、この命を絶つことが出来なかったんです……。父が、母が、……思念が、邪魔をして。」
「汝は……!」
「だから、せめて――貴方が殺してください。俺を。」
恐ろしい願いの言の葉を前に、竜王が立ち竦む。
ヒトを前にして、龍の王が――恐怖を覚えて、動けずにいる。

「……願いを、叶えて、下さい。……俺の望みを――叶えて?」
竜王を正面から見つめ、エイトが笑う。
笑みと呼ぶには酷く掛け離れた表情をして、願いの残りを口にする。

「母を、愛していたのなら――……どうか、その形代の願いを受けて下さい。」
呪詛に似た願いが、竜王を襲う。
目の前で、愛しい想い人が遺したものが笑っている。
戦慄の微笑を浮かべ、絶望の願いだけを抱き望んで――離さない。