Daily Life *M 【6】
薔薇と夜景とチョコレート
「はー……日が沈むと途端に寒くなるな。」
エイトが身を丸め、両手を擦り合わせながら呟いたそこはトロデーン城屋上――では、なく。
珍しくも、サヴェッラの空中大聖堂、その庭先にいた。
庭園に咲く薔薇の様子を見に来ていたのだが、うっかり作業に集中しすぎてしまい、気づけば日はとっぷりと暮れていた。
冷えた空気。速いとはいえ、その空の中を移動魔法で飛ぶのはあまり好きではない……というか、寒いのが嫌なのだ。
なので、今日はココへ泊まる事にした。
勿論、大司教様に許可は貰ってある。
忙しい中、わざわざ面会を取り付けて。それも、思いっきり強引に。
「まあ、代わりに今夜の夜警と翌日の業務の手伝いを引き受けたんだから、平等か……。」
一人呟きながら、庭園の薔薇を見回る。
上等な部屋とふかふかの布団を条件にした上での、この状況。
……さて、これは本当に対等な条件なのだろうか?
などと一瞬思わなかったりしないでもないが、けれど。
薔薇は綺麗だし、夜景は美しい。
それらの光景と環境に免じ、それ以上は考えないことにした。
「しかし、意外と冷えるな……やっぱり高度があるからか?」
肩から羽織ったストールを引き寄せ、ぶるりと身震いする。
「結構高いもんな、ここ……しかも見下ろせば海だし。」
ここ一帯の海が放つ匂いは、あまり潮臭くない。
エイトは、ここが好きだった。
髪や肌がべたべたしないのも、お気に入りの理由の一つ。
その上、薔薇と夜景。
これは結構な贅沢かもしれない。
「あー……いいなぁ、ココ。このままサヴェッラの夜警に就任しようかなぁ――って、募集かけてるかどうか分かんないけど、」
「募集などは一切かけておらんが、お前なら即採用してやるぞ?」
「うぇっっ!?」
◇ ◇ ◇
独り言に、どこからか唐突に合いの手が入った。
エイトがギョッとして声のした方――背後を振り向くと、そこには案の定、すぐに脳裏に浮かんだ人物が笑って立っていた。
「マ、マル……ああ、じゃなくて、大司教様! いつからそこに!?」
エイトがすぐさま姿勢を正し、畏まってそう叫べば、マルチェロが苦笑する。
「無理に敬称で呼ばなくて良い。今は俺とお前、二人きりしかいないんだぞ。」
その言葉に、エイトは視線を僅かに逸らしながら頬を掻く。
「まあ、そうなんだけど。でも、誰かが通りがかるかも知れないだろ? ……用心のために、だよ。」
「それは兵士としての性分か? ……そういうところは少しも変わらんのだな。」
「ハイハイ、どうせ俺は馬鹿真面目ですよ。」
「そこまでは言って無いだろう。」
「もう顔が言ってるんだよ。――その笑いは何だ!」
失笑に近い笑みを浮かべるマルチェロをビシリと指差して咎めれば、相手がますます笑みを深くして――とうとう愉快げに笑った。
「ははっ! やれやれ、被害妄想も相変わらずだな。」
「妄想じゃない! ……って、それより・も、だ。」
エイトが両腕を組み、言い繋ぐ。
「大司教様が、何でこんな真夜中にこんな所をふらふらし・て・ん・だ・よ!」
「俺が庭を見に来てはいけないとでも?」
「そういうことじゃないだろ! 分かってるくせに!」
「――ああ。警備も付けずに無用心だな、と? そう言いたいのか。」
「当たり前だ!」
マルチェロに歩み寄り、掴みかかるような勢いで怒鳴る。
「今はそれなりに平和だけど、それでもまだ暗殺者とかは居るんだぞ! お前、気を抜いているんじゃないのか!?」
「――あのな、エイト。言わせてもらうが、そこらの暗殺者風情に俺がどうにかなるとでも?」
「いや、マルチェロの腕前は知ってるけどさ……。」
「それに、今夜はお前が夜警として就いているんだろう? これ以上ない護衛が。それなのに、何の心配があると?」
「う……。」
マルチェロの言うとおり、確かにエイトは強い。
暗黒神とも戦ったし、竜神王とも戦った。――マルチェロとも戦い、勝利もしている。
勿論、それには仲間の助けもあったこその勝利でもある。
だがそれでも、エイトは例え一人であっても、負けることは滅多に無い。
実際、ココへ来る途中に山賊集団に囲まれたが何ともなかった。
逆に全員打ち倒し、かつ足を洗うよう、こんこんと説教してやったぐらいだ。
(ちなみに、この辺のことをサヴェッラに着いた早々マルチェロに面白おかしく話したところ、直ぐに周辺警備の強化がされたりしたのだが、それをエイトは知る由も無い。)
ともかく、エイトは自分の剣の腕前を知っている。
だが、自惚れることも過信することもない。
油断は呆気なく死を招くことを知っているから。
マルチェロやククールは、そんなエイトに対し、「兵士の勘か、それとも性分の成せる業か?」などと冷やかしたりするが、エイトとしては、どうしてそんな台詞を言われるのかよく分からない。
生きる為に当たり前に身についたことなのだが、他者と自分では違うのだろうか?と思うほど。
「俺は……心配性、なのか?」
少し自分の考え方に迷いを見せたエイトが、訊ねるような声音で呟けば。
「心配性、というよりは……そうだな。気苦労を呼び込むタイプだな、お前は。」
などという答えをマルチェロから返され、溜め息を吐く。
「……兄弟揃って嫌なシンクロ発言をしてくれるなよ……。」
エイトが気鬱げに吐いたその言葉に、マルチェロが、ぴくりと片眉を上げた。
「今、何と言った?」
「は? 何が。」
「兄弟揃って――とは、どういう意味だ。」
「何って、そのまんまの意味だよ。いつだったか、同じ事をククールにも言われた。えーと……マイエラに出張した時だったかな。」
「……何でお前がマイエラに行くんだ。」
「あそこの院からも、警備の声が掛かるからだよ。たまに、だけど。そういや何でかな? 人手不足ってわけじゃあないんだろうけど。」
「疑問に思うなら、行かなければ良いだろう。忙しい身では無いのか。」
「そうもいかないだろ? あ、それにさ。あそこの兵士たち、優しくなったよな。俺が行くと、差し入れとかお菓子とか出してくれるようになった!」
それは優しいとかじゃない、お前だ。
お前を一目見たくて、奴らは召喚しているんだ! そのうち食われるぞ阿呆!
などと肩を揺さぶってやりたいとこだが、ここは落ち着こう。
「子供か。……鈍感にもほどがあるだろう。」
マルチェロは額に手を当て呻いたが、あいにくとそれは小さくてエイトの耳には届かない。
エイトはただニコニコしながら、他にこういう物を貰った、ああいう物を貰った、と嬉しそうに話している。
そんなエイトを見たマルチェロは、それ以上何も言うことが出来ず、空を仰いで一息ついた。
そこで不意に何かを思い出したようで、ローブの懐を探り出した。
「ん? どうした、マルチェロ。」
「――差し入れ、という単語が出たついでだ……受け取れ、エイト。」
「え? ……わっ!」
ずい、と急に何かを差し出された。
思わず受け取って見れば、それは両手に乗るほどの箱だった。
まるで、菓子でも入っているような造りの…………。
「何、これ?」
「問う前に、開けてみろ。」
「うん? ――……あ。」
中には、一口大のチョコレートが五、六個ほど詰まっていた。
エイトがチョコレートとマルチェロを交互に見て、笑う。
「これ……王家御用達!っていう売り文句のだよな? 一日限定生産でなかなか買えないやつ! うわ~~! くれるのかコレ? 貰っても?」
「見せびらかすだけの目的で俺が差し出したと思うのか? ――そうだ、お前にくれてやる。」
「大司教様ってば素敵!」
「……その敬称で呼ぶな。しかし、チョコ一つでそんなに喜ばれるとは思わなかったが。」
「あはははは。喜ぶよ! 差し入れを受けたのも嬉しいけど、やっぱり……マルチェロからだから、余計に。」
そう言ってチョコレートを一つ口に放り込み、エイトがふわりと微笑してみせた。
マルチェロは苦笑し、相手の腰を引き寄せて言う。
「この程度で喜んでくれるなら、幾らでもしてやるぞ?」
「こういうのは時々で良いんだよ。そんな、毎回・毎日は要らない。分かってないな。」
マルチェロの言葉を優しく跳ね返すと、抱擁される前に腕の中からするりと抜け出し、薔薇の一つに手を伸ばした。
夜の中、月光の加減からか、薄紫の薔薇が青く見える。
奇跡のブルーローズ。
丁度、マルチェロの服と同じ色の。
触ろうとすれば、棘で冷たく威嚇する。
気安く触れることを許さない、孤高の存在。
「……育て主に似ちゃいましたってか? あはは。」
心の中で呟いた筈の台詞だったが、どうやら口をついて出てしまったようだ。
笑われたと思ったのだろう。
マルチェロがジロリと睨み、不機嫌そうに言い返す。
「俺がチョコレートを贈るのが、そんなに面白いかエイト。」
「え? 、違う違う!今のはそんなんで笑ったんじゃないって。俺が考えてたのは別のことで、」
「――ほう? 俺のことなど眼中になかった……と?」
「あ~~、もう! ち・が・う! えーっと……」
思わず救いの視線を周囲に向けるも、辺りにあるのは薔薇と夜景のみ。
そうしている間に、マルチェロの機嫌はどんどん悪い方へ向かっている。
絶体絶命?――いいや、一条の光を見つけた。
エイトは近くにあった薔薇の茂みに手を伸ばすと、棘に構わず一輪を摘み取った。
その際、ちくりと棘で指先を痛めたが気にするのは後。
とりあえず摘んだものを、すいとマルチェロの前に差し出してエイトが言う。
「ん。」
「何だ、急に。」
エイトの行動が理解できないのか、マルチェロが後ろに身を引いた。
だが、エイトは更に腕を突き出し。
「――ん!」
受け取れ、と態度で示す。
言葉は一切使わず、マルチェロが受け取るまでその状態で黙していると、遂に相手が折れた。
首を捻りながらもエイトの差し出したものを受け取り、マルチェロが訊く。
「何だ? ピンクのバラが、どうしたと……?」
「……風情が無いのか学が無いのか、それとも両方か?」
今度はエイトが咎めるように眉を顰めて見返せば、マルチェロは暫くバラに視線を落としていたが、不意に目を丸くするとエイトを見て苦笑した。
「……お前には欲が無いのか。」
「あ、そっちの意味をとる? まあ、間違って無いけど。」
「しかし、どうせならレッドローズをくれて欲しかったがな。」
「だって普通すぎ。……あ。大輪のローズピンクとかのほうが良かったか?」
「あ、阿呆かっ!」
「あはははははっ!」
エイトが差し出して見せたピンクは、「満足・我が心、君のみが知る」
マルチェロが欲しがってみせた赤は、「あなたを愛します・熱烈な恋」
しかしまあ、薔薇の色が何であれ。
彼らは見事な両思いでいるらしい。
エイトが大きな声で笑い、マルチェロの胸元に擦り寄って言う。
「あはは……ちょっと温まった。」
「何ならこれから存分に温めてやっても良いぞ。」
「……一応、仕事中なんだけど。」
「別に強制はしない。選ぶのはお前だからな。」
「うわ、ずるい。」
「――で? お前は寒いのが良いのか、それとも暖かいほうか?」
「……後者をクダサイ。」
「了解した。じゃあ、俺の部屋に行くか。これ以上冷えぬ内にな。」
「そうだな……って。あのさ。何で俺はお姫様抱っこされてるわけ?」
「いや、何だかお前が無駄に風情ある流れで話を進めるからな。てっきり、そうされたいのかと。」
「いやいやいや!? 待て待て待て! 俺はそんなつもりで話してたわけじゃないぞ!? というか、何でそれがイコールお姫様抱っこになるんだよ?!」
「折角だ、このままで行くぞ。」
「恥ずかしいってば! ちょ……離せって! 下ろせってば! 勘弁してくれ~~っ!」
夜の中、二つの影が近づき、寄り添いあい、重ねて一つになったところで、場面は咲き誇る薔薇と美しい煌きを見せる夜空に移行する。
そうして後は、そのまま彼ら二人だけの世界に。
ある夜庭の出来事。
薔薇とチョコの甘い香りに包まれながら、話は一先ず静かに幕を下ろす。
なお、大輪のピンクの薔薇の花言葉は――「赤ちゃんが、できました」