雪国のAlcohol Trap
・5・
顔を顰めたまま、エイトは尚も酔い覚ましの紅茶を飲んでいた。
一向に引かない頭痛に顔を歪め、憂鬱げに溜め息を吐く。
「あー……頭痛い……。」
「完全に二日酔いってやつだな。ま、自業自得だろ。ご愁傷サマ。」
「くっそ……こんなに悪酔いしたのは初めてだ。」
「言われてみりゃ、お前が泥酔したところって見たことないな。」
ククールがそんなことを言えば、エイトは額を押さえながら頷き、気怠げに答える。
「ああ、まあ……護衛の立場上な。酔って使い物にならない兵士なんか兵士じゃないだろ。」
「使い物って。コラ。なにサラリととんでもない発言してんだよ。」
「とんでもない? どこが。」
「どこもなにも、人をモノ扱いしてたじゃねぇか。」
顔を顰め、ククールが咎める目つきで見返す。
対しエイトは不思議そうに首を傾げると、また紅茶を一口飲んでから言った。
「忠誠心まで深くは問わないが、給料分は働く義務があるだろう?」
「そりゃそうだけど――」
「平和になったのはいいけど、最近それに乗じてサボタージュする奴が多いからな。使いものにならない奴なんか、モノ以下だ。」
「……。」
人当たりの良い微笑を浮かべつつ、その唇から吐かれるのは冷ややかな言葉。
その対極さに、ククールは口を噤む。
時々だが、エイトはこういった風に冷めた発言をすることがある。
良くて生真面目、悪くて冷淡。冷酷めいたその姿勢は、マルチェロとどこか似通っている気がしないでもない。
あの気難しい兄上様とも普通に会話が出来るのも、そのせいか。
まだ怯んでしまう、この裏表の差が大きい二面性。
今回はエイトの言い分に幾らかの理があるが――いつかそれは、完全な冷酷さに変わってしまうのだろうか?
「ん? どうした、押し黙って。」
ククールの沈黙を訝しんだらしく、エイトが顔を覗き込んできた。
「熱気のせいか? 火、少し小さくしようか?」
手をかざし、そうして頬に触れてくる様はまるで子供を労わる母親のようで。
怜悧な態度から一転して、この温かな日差しのような優しさ。
だから惹かれるのだろう。
だから惹きつけられたのだ。
心配そうな顔をしたエイトを見つめ返し、ククールは何事もなかったかのように笑みを浮かべる。
「……ちょっと考え事してただけさ。気にすんな。」
「そうか? ん、なら良いけど。」
言いながらエイトは紅茶を継ぎ足し、リラックスするようにソファに深くもたれ込んだ。
◇ ◇ ◇
昔の回想やお互いの近状を話し、雑談に興じる。
暖かい空間、静かな部屋に二人きり。それは随分と久し振りのことだった。
しかしこの会話の最中、エイトは度々紅茶を飲んでは額を押さえ、溜め息をつくという行為を繰り返している。
目障りではなかったが回数が多いため、やや気になったククールが何度目かのところで訊ねてみた。
「おい、大丈夫か? さっきから同じことばっかしてるぞ。」
「う、ん……大丈夫、というか。どうにも気分が優れないというか……何だろう。」
自分でもよく分からない状態なのか、エイトは首を傾げている。
「はあ……しかし、恐るべきはオークニスだな。俺、ここの酒だけは輸入しないでおこうと思ったよ。」
「ハハッ! 大袈裟なやつだな。あ、そうだ。ちなみに、酒ならリブルアーチのがお勧めだぜ? あそこのは度数も低いし、口当たりが軽くて飲みやすい。」
「んー……そうか。分かった、メモにとっておく。」
ククールの助言もそこそこに書き留めると、カップを置いたエイトはそのままソファにぐたりと沈み込んでしまった。
「うー……目が回ってるような感じだ……。」
「つーかお前、今度は紅茶飲みすぎ。」
「喉が渇くんだよ。ふぅ。酔っ払いも大変なんだなぁ……。」
などと、遂には感嘆したような呟きを零したものだから、ククールは思わず噴き出してしまう。
「アッハハハハ! バッカ、お前なに変なところで感心してんだよ!」
「いや、ほんと……身体も重いし、それに何か……、……腰が、痛い。」
「……腰?」
「うん。アルコールのせいかな? だとすると、腰じゃなくて、肝臓の辺りかも……。」
「あー……。」
ククールが間延びした声を出しながら、天井を仰ぐ。
少し間を置いたのち、口を開いた。
「あの、さ、エイト。」
「んー?」
目を閉じているエイトに、気まずげな顔をしたククールが告げるのは真相。
「それ――俺。」
「……? いや、アルコールとお前と、何の関係あるんだよ。」
「お前が酔ったところ見るのって、珍しかったからさ。……つい、その……な?」
「……は。……なに。……。」
エイトは大きな目を更に大きくし、じっとククールを凝視した。
見詰め合う二人。
静かになる部屋。
その沈黙も、ククールが先に目を逸らしたところで終わった。
凝然とした顔で、エイトが訊く。
「まさか……、……抱いたのか、俺を?」
「……おう。」
「意識も不明瞭なのに、……襲ったのか。」
「や、最初はちゃんと介抱してたんだぜ? でもよ、お前がやたら甘えてくるわ擦り寄ってくるわでさ。……これで据え膳食わねーっつーのは、男の恥だろ?」
「なっ、何カッコイイ言葉で誤魔化そうとしてんだ! 阿呆、というかこの見境なし!」
エイトは大声を張り上げ、ついでに腕も振り上げてククールを殴ろうとしたのだが――。
「……ぐ。」
途中で顔を歪めると、口元を押さえて呻きながらソファの上に突っ伏してしまった。
「き、気持ち悪いー……。」
「大声上げるからだろ。まだ安静にしとけよ。」
言いながらエイトの前髪を掻き揚げ、そこに口付ける色男。
優しい仕草だが、今は誤魔化されている感じがして憎たらしい。
「誰のせいだ、誰の――っ……くそ……自分の声が頭に響く……!」
再発した頭痛にエイトは呻く。
「ま、今度は真面目に介抱してやるから。大人しく寝とけって。」
ククールはそう言って立ち上がると、エイトの肩に毛布を掛けてやる。
「謝罪ついでに、城の方にも連絡しといてやるよ。これで良いだろ?」
「良くない! ……けど……うん、任せた。」
エイトは納得できかねない様子でいたが、今の状態ではやり返す気力も無いらしい。ぬくぬくとした毛布に包まり、身を丸めて言い返す。
「ついでのついでだ……土産の配達リストを道具屋の主人に渡してあるから、それも頼む。」
「お前……どさくさに紛れて俺を使いっ走りにしてんじゃねぇよ。」
「煩い。俺を抱いた代金だ。とっとと行って来い! 阿呆、ぅ……っ」
「代金ねぇ……お釣りとか出んの? お前の身体で。」
「あっ阿呆っ……! ……ぐ、……頭、いた……。」
あはは、と笑いながら部屋を出て行ったククールを恨めしく思いながら、エイトは今日一日、大人しく寝ていようと思った。
そして今回、エイトはここで初めて酒の持つ魔力と恐ろしさを、深く思い知った。
遅すぎた学習。
だが、役に立たないことは無いだろう。
問題はそれが、後悔役に立たず、にならないことを祈るばかりではあるが。
……お酒は程々に。