悪夢から醒めた後に
・2・
城の屋上、その陰で。
エイトの膝を枕代わりにして空を仰いでいるククールを見つめながら、ふうと溜息を吐く。
どこの遠方に連れて行かれるのかと思ったら、まさかトロデーン城の屋上だとは。
ククールの態度は今だ硬化しており、口を開く様子はないのだが、一応は気を遣ってくれたのだろうか?
眉間に皺を寄せて、考え込むように空を見上げている。
当人には悪いが、その表情はどこかマルチェロに似ていた。
同じ癖。腹違いだといえども、さすがは兄弟だ、と感心するほどに。
だが勿論、そんなことは考えるだけで、迂闊に口に出して言ったりはしない。ここでククールの機嫌を更に損ねてしまうのは、盛大にまずいからだ。
それはそうと、この行動。
膝枕を強請る、この行為。
意味するものは、何だろう?
単に甘えたかっただけだろうか。
――いや、そうだとしたら不機嫌なままでいるのはおかしい。
「なあ。何が、あったんだ?」
だいぶ間を置いた後にエイトが二度目の質問をしたところで、ククールが視線を合わせてきた。気の無い溜め息を吐いて、口を開く。
「……別に。ただ、お前に逢いたくなったから来ただけ。」
「それだけじゃないだろ。眉間に皺が寄ったままになってる。」
「……目聡い奴だな。」
ククールが不機嫌そうに呟き、また視線を逸らした。指摘したのは拙かったか。
ぶすっとした顔をした相手の前髪を、そっと撫でてやりながら、エイトが言い繕う。
「何か思うところが有るんなら、吐き出してみろ。その方がスッキリするぞ? 教会で懺悔するよりも、ずっとな。」
そう言うと、ククールがますます表情を歪め、鼻先で笑った。
「ふん。懺悔室なんざ、偽善か自己満足の巣窟だろ。あんなとこに行く奴の気が知れねぇな。」
「ははっ。そう手厳しいことを言ってやるなよ。」
「……。」
「……。」
「……それだけかよ?」
「何が?」
「普通、そんなことは言うな、とか説教するもんだろ?」
「普通か? 価値観は、人それぞれだ。俺が立ち入ることじゃないし、異論を唱えることでもない。
それが、偏見であれ何であれ、な。」
「……何か、今日は妙に優しくねぇか?」
「誰かさんが妙に弱気なせいだろうな。」
その言葉に、ククールがじろりとエイトを睨む。
「何だよ、それ。……ガキ扱いしてんじゃねぇよ。」
「じゃあどうして欲しいんだ。いつものように、突き放した方がいいのか? ”仕事の邪魔だ、阿呆”とでも言えば満足か? ……俺はそこまで薄情じゃないつもりだぞ。」
「……。」
「俺に話せないんなら、別に言わなくても良いけど。」
「……バカバカしい話だ。」
「それでも良いよ。話してくれるんなら。」
「……笑いたくなったら、笑っていいからな。」
「ん。」
エイトが優しく微笑して頷くと、ククールは躊躇いがちに話しだした。
「夢を、見たんだ。」
「うん。」
ククールが、夢の内容を語る。
◇ ◇ ◇
夢の中の自分は、広い宮殿に居た。
城か、聖堂か。とにかくそこは、どこか広い建物の中だった。
「暗黒魔城都市、覚えてるか? ……あんな感じだよ。全然人が居なくて、薄暗くて……。
そんなところに居たんだ。――なんでだか、俺一人だけで。」
独りだった。一人きりだった。
仲間の姿はなく、名前を叫んでもただ反響するだけ。
脱出口を探して人の居ない町を歩き回ったが、見つからず。
声だけが響いた。
自分の声が。
助けを呼ぶだけの声が。
それだけが、どこまでも虚しく反響するばかり。
「平気だと……思ってたんだ。昔と変わんねぇような感じだったし、別に良いか、これくらいって。」
「……うん。」
「……バカだった。俺はガキのまんまだった。本当に無音な世界ってもんを、分かっちゃいなかったんだ。」
走った。声を上げて仲間を呼んだ。
ひたすら走った。辺りを見回して、人の姿を探した。
けれど、人は居なかった。他の音もしなかった。
無人の箱庭。
無間の薄闇。
気が狂いそうだった。
誰もいない。
何も無い。
出口もない同じ光景が続く場所を走って、走らされて――それでも尚、一人きり。
ククールは遂に立ち止まり、上がる息の中から絶叫した。
◇ ◇ ◇
「そこで……飛び起きた。現実に絶叫したのかは、知んねぇけど。」
夢だと分かっていたのに、妙に現実感が無くて暫く身体が震えていた。
情けなかった。見っとも無いと思った。
子供の頃、一人寝の夜に怯えていた姿そのままな状態であるのに気づいて、ますます落ち込んでしまった。
だから着替えて、人に会いに行くことにした。
誰か人に、仲間に――エイトに、逢いたくなって。
それなのに。
「居ねえんだもん、お前。”エイト隊長は只今、遠方に出掛けていておりません。”だぞ? 朝っぱらにどこに行ってんだよ、お前は。」
「何だ、朝方に一度来てたのか。」
理不尽な怒りをぶつけられたエイトが、苦笑しながらも言い返す。
「その時間帯は、サザンの会議に行ってた頃だな。悪かった。」
「朝から会議だぁ?」
「今度のバザーに、トロデーンから名産物を出すんだよ。それで、な。」
「……お前が居なかったから、俺は他の奴らに会いに行くしかなかったんだぞ。」
「そっか。――で?」
「……。」
「ククール?」
「……誰にも、会えなかった。」
「え?」
「だから! 居なかったんだよ、どいつもこいつも! ゼシカもヤンガスも、マルチェロすらも! 何で誰も彼も揃いも揃って居ねぇんだよ!?」
「……そんなことって、あるんだ。」
エイトが少し驚いた顔をして、呟く。
「それは運が悪かったな。いや……この場合は逆に運が良いのか?」
マルチェロはともかく、ゼシカやヤンガスまでが不在というのは結構珍しい。
不運であることは確かなのだが――しかし考えようによっては、これはこれで、あまり遭遇できることではないので幸運と言ってもいいかもしれない。
「幸運の類でもあるような気がするけど。」
と、ついそんな言葉がエイトの口を付いて出た。
無意識というのは、時として恐ろしい。
気づいたエイトが思わず口を押さえるが、もう遅い。ククールは顔を赤くし、エイトを睨みつけるなり叫んだ。
「お前なぁ! 笑い事じゃなかったんだぞ、コッチは! どこ行っても知ってる顔を見ねぇもんだから、夢が現実になったんじゃねぇかって、もう――!」
「分かった分かった。失言だったよ、悪かった。それで、心配になったから、もう一度ここに来てくれたんだよな? もう一度、俺に逢いに。……ありがとう。」
機嫌を損ねて起き上がろうとするククールを何とか宥めながら、柔らかく抱き締めてやった。
それで少しは帳消しになったのか、ククールはムッとしながらも、また元の位置に凭れかかる。
空を睨むようにしながら、ククールがぼやいた。
「あーもう。ほんとバカだ俺は。こうやって冷静になってから考えると、凄ぇバカ。馬鹿すぎて泣けてくる。こんなんなら、人に会えなくてよかった。マジで。」
そう言うなり、ククールは体勢を変えると、そっぽを向くように身体ごと横向きになった。
表情は隠れたが、耳が赤いのは隠せない。
気づいていないのかもしれない。
自分の行動の子どもっぽさを思い出しているのだろう、耳といわず首元までもが、どんどん真っ赤に染まっていく。
エイトは笑みを深めると、ククールの頭をぽんぽんと叩いてやりながら言った。
「なあククール。逆夢……って知ってるか? お前が見たのは、多分それだと思うぞ。」
「何でそういうことが言えるんだよ。……正夢、かも知れないだろ。」
「正夢だったら、俺とはこうして逢えなかった筈だろ? だから、逆夢だよ。」
「……ま、別にもうどうでもいいけどな。」
「ん。そうやって引き摺らないとこは凄いよ。お前のそういうところ、俺は凄い好き。」
「……恥ずかしいこと言うんじゃねぇ。」
ククールが目元を染め、逃げるように目を閉じた。
エイトが笑い、尚も言葉を繋ぐ。
「気分直しに、そのまま少し寝るか? ちょっとだけなら枕代わりにされてやるから。」
「……随分と気前がいいな。何か企んでんのか?」
「突っかかるなよ。今日の仕事は午後までなんだ。付き合ってやるよ、ククール。」
「そっか……サンキュー。」
「ん。」
エイトの優しい声を聞きながら、ククールは言われるままに眠りに落ちる。
逆夢なのかどうかはともかく、正夢でなくて良かったと思いながら。
「……逢えて良かった、エイト。」
「俺もだよ、ククール。」
応えたエイトは夢か現か。
悪夢だろうが何だろうが、愛は全てに打ち勝つ。
そんな言葉が、ふとククールの脳裏を過ぎって消える。
――悪夢はもう、見なかった。