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優しい祈りの欠片の下で

・1・



遠い空の果てで、誰かが祈る。
ただひたすらに、切々と祈り続けるのはたった一つの願い事。

――貴方の側に、愛する人が居ますように。


◇  ◇  ◇


「エーイト! 今日ヒマか――って。んなわけねぇよな。」
「いきなりやって来て何なんだよお前は。」

相変わらずトロデーンの屋上に警備配置されているエイトを尋ねてやって来たククールは、そう自己完結すると呆れたように溜め息を吐いた。
ククールが訊ねて来ると、エイトは大概……というか確実に何かの仕事をしているのだ。
休憩している姿など見たことが無いくらいに。

ちなみに、「これなら休息しているだろう」と思われる時間帯――例えば昼食時や、午後三時刻など――に足を運んだこともあったが、それでもエイトは仕事をしていたのだから堪らない。
何でも、全員が寛いでいるという状態は、警備上あまりよくないらしいとのこと。
「じゃあお前は、始終動き回ってなきゃなんないのか!?」
そう言ってやりたいところだが、公務をこなしている時のエイトには何を言っても通用しない。
……というか、聞き入れてはもらえない。
エイトの真面目っぷりの前では、ククールは苦笑するしかないのだ。

それなのに、エイトは少し冷ややかな眼差しをして、追い討ちをかける様に言う。
「予想が付いてるなら会いに来るな、阿呆。」
「阿呆って……仕事馬鹿第二号にバカ扱いされるいわれはねぇんだけど?」
「誰が二号だ。勝手に変な連作名を付けるな。」
「あぁ? だって、仕事馬鹿はもう居るだろ。誰とは言いたくねぇけど、ほら、サヴェッラに。」
ククールが敢えて口にしようとしないのは、嫌いだから、という理由ではない。
ただ、まだ少しばかり――苦手なだけ。
全てが平穏である今、昔に生じた確執は消えはしたが、苦手である意識は変わらない。
火に油、というほどの大きなものではない。
多分、水と油ぐらいなだけだろう。
小さな反発、混じることの無い互いの思想はどこまでも。
けれどその反発の間にエイトが居るせいか、それ以上にややこしい軋轢は起こらない。
エイトの、お蔭で。

ククールとしてはそんなエイトに感謝しているのだが、当の本人にはどうにも伝わってくれていないようだから切ないところ。
エイトはというと、素っ気無い態度を崩さずに遠慮ない言葉で言い返してくる。
「俺がその誰かさんの後継者だって言うんなら、どこかの無職騎士は俺以上にそいつに近いわけなんだけどな。血筋的に。」
「腹違いだけどな。」
折角逢いに来たというのに、この仕打ち。
ククールは心中で溜め息を吐きつつも表には出さず、どこまでも空惚ける振りをするに留めてやり過ごす手段をとる。

「それに、俺は俺で混じりもんが多いからな。血縁だって言っても、どれ程のもんだか。」
己のことを劣等生の如く皮肉って言うと、エイトの表情が僅かに曇った。
「……阿呆……お前は……。」
エイトは溜め息を吐いて何か言おうとしたが、途中で止めたらしく、悲しげに首を振ると肩を竦めてククールを見て言い返す。
「……血縁の話は、もういい。――それで? 今日は一体何の用事だ?」
「ん? いや。何の用事も無ぇけど。」
しれっとした顔をして笑うククールに、エイトが眉根を顰めて睨みつける。
「お前な……」
とにかく今は仕事中だ。帰れ、阿呆――といった言葉をエイトが口にする前に、ククールが先に会話の流れを掬った。
「エイトに逢いたかった。逢いたくなった。だから逢いに来た。これじゃ理由にならねえか?」
「う……、ま、真顔で言うな、阿呆!」

軽薄な笑みから一転、向けられたのは真摯な眼差し。
”理由”を吐いたククールの声は、真っ直ぐにエイトを直撃して黙らせた。
どうしたらそんな声が出せるんだ、とエイトはいつも思う。

低い声は極上の絹のように柔らかく、蜂蜜以上に滑らかな上、おそろしく甘い。
これまでにも数多の女性にかけたであろう、洗練されたビロードの囁き。

同じそれを、一体何人の女性に味わわせてやった?

ククールはその辺に関しては自覚が無いのだろう。過去のことなのだと、すっかり割り切っているのかもしれない。
だがエイトは、そんなククールの仕草を前にすると、いつも複雑な心境になる。
洗練されたものだからこそ、その声は自分だけのものじゃないのだと、思い知らされる気がするのだ。
どこまでが口実で、どこからが本当なのだろう。
本気と冗談の境界線が見えない。


真実の価値は――いかほど?


考えすぎて、今ではもう分からなくなってしまった。
いつも答えは出なくて、空白のままになる。
それがエイトの心を乱し、苛々させてくるのだ。
エイトは、きつい視線でククールを睨みつけると、尖った声で言い返す。
「お前、本当に阿呆じゃないのか!? だいたい、そういうのは女性にするもんだろうが! 男の俺にしてどうするんだ! 言っとくが、俺にそんなことしても何の得も見返りもないからな!」
けれども、その顔は赤いまま。
先程の恥じらいがのこっているせいか、それともたった今生じた怒りの為のものなのかは自分でも分からない。
ククールは微かに笑うと、エイトの心を読んだかのような台詞を口にする。
「今の台詞に嘘は混ぜてないぜ? 一切、どこにも。俺は欠片すら持ってこなかった。」
そして大袈裟に肩を竦めると、まるで演説でもするみたいに空を見上げながら言う。

「――それなのに、お前は俺を疑い、怒る。これって随分理不尽じゃないか?」
ククールはそう言って、わざと嘆いた顔をすると天を仰いだ。
天に祈りが届かぬと嘆く、聖者のように。
わざとらしい反応に、エイトが眉間に皺を寄せる。
「理不尽も何も、」
「――でも俺は」
胸の前で祈りの形をとると、ククールはエイトが何か言い掛ける前に言葉を繋いだ。

「俺は、お前に信じてもらえるまで祈り続けるからな。」
「はっ!? な、何……馬鹿な、こと……」

エイトが絶句し、ククールを凝視する。
ますます赤く染まっていくエイト。
首筋から頬、そして眼へと。
その羞恥が行き渡ったのを見計らってから、ククールが眼を細めて言い告げる。

「これでも一応、元神殿騎士だぜ? 俺なんかの祈りでも、そこそこ力はあると思うんだよ。」
「俺なんかって……言うな。」
自分を貶める言い方をするククールに、眼を逸らしたエイトが小さな声で咎めた。

修道院で過ごした幼少時代の記憶が苦いものであったせいだろう。
ククールは、いつもそうだった。
エイトの機嫌が悪い時も、疲れて気分がまいっている時も。
自分を引き合いに出して、纏わり付いた陰を拭ってくれる。
必ず笑顔をつけて。

どうして信じることが出来ないのだろう。
どうしていつまでも、こんな風に……。

「ごめん、クク――」
「お前って、ほんと馬鹿だよな。」
エイトの謝罪を遮って、ククールが頭をコツンと小突いた。
顔を上げたエイトが疑問符を張り付かせた眼を向ければ、ククールが笑みを更に深くして言う。

「考えすぎた挙句に勝手に自爆かよ。しかも早すぎるし。今日び、爆弾岩でももうちっと粘ってくるもんだぜ?」
「なっ……! お、俺をモンスターと一緒にするな!」
思わず振り上げた拳は、けれどいとも容易く受け止められて。

気づけば、そのまま――優しい人の、腕の中。

「ば、バカバカバカバカ! こここここをどこだと……!」
「”バカ”も多いけど、”こ”も多いな。つーか言語崩壊しすぎ。」
「ううううるさいな! いいから、も、もう離せってば! 誰かに見られたら――」
「良いじゃん、見られても。」
「っっっ! お前は良くても俺が駄目なんだ!」
「いいじゃん。見られて職失って、一緒に路頭を迷おうぜ。そうすりゃ一緒にいられるし。いつも一緒。ずっと一緒。……名案だろ?」
「……っ!」

一緒に居よう。
ずっと、一緒に。
なんて嬉しい言葉。
嘘の偽りのない告白が、切ない喜びで胸を焦がす。

けれど――何度も言うが、ここはトロデーン。
そして今は昼時、エイトは勤務中。
うっとりと抱擁などをされている場合じゃない。
思わず出かけた嬉し涙を乱暴に拭うと、エイトは声を上げて抗った。
「阿呆! 名案じゃない! そんな案件は要らない! とにかく今は離してくれ……!」

嬉しいけど、けれど。
頼むから今は離してくれと。
そう言わずにはいられない。
場所がとにかく問題なのだから。

「もうお前の本気は解ったから、だからもう……――本当に、勘弁してください。」
「真面目だな、お前は。世間体と俺。大事なのは周囲の目かよ。」
ククールはつまらなそうな顔をして不平を零すと、名残惜しげにしながらも一先ず素直にエイトを解放した。すると、エイトがその場にヘナヘナと崩れ落ちる。

「ああ、もう……信じられない……この、非常識……!」
「非常識で結構。――素直じゃないお前も悪い。」
「お、俺は――」
ククールを見上げたエイトが試みるのは、せめてもの反論。
「俺はただ、状況を弁えているだけだ!」
「それ、ただの言い訳。」
「言い訳じゃない!」
「……。何つーか……お前を見てると、”私と仕事、ドッチが大切なの!?”って金切り声上げる女の気持ちが凄ぇわかる気がする。」
「な、何だよそれ! というか俺こそ、”誰にでもそうやって優しくしてるんだろ!”って言いたくなるんだからな!」
「くはー……まーだ、そういうこと言う?」
「何だよその溜息は。」
「あーあ。今しがた宣誓したばっかなのになー俺は。」
「最初に難癖つけたのはククールのほうだろ!?」
「……決めた。」
「決めたって、何――」

「宣誓じゃ生温い……つーことは、それ以上に強いもんを刻めばいいんだな、お前に。」
「は? 刻み?って……いや待て待て!? 何か非常に嫌な予感が――」
「ご名答、だ。覚悟しろよエイト。」
「待て、だからここはトロデーン……!」
「んーなもん場所を移りゃあいんだろうが! お望み通りにしてやるよ――集え時の風、空の翼持ちて我を誘え……ルーラ!」
「待て、どこへ――というか仕事中――……!」
ククールはもう意見を聞こうとせず、エイトをその素直じゃない心ごとを抱えて空を飛ぶ。
その行き先は多分、入る邪魔など無くエイトに思う存分”証”を刻み込めるような場所であることは言うまでもない。

辿り着く結末は、一つ。
貴方を包む光が、ずっと側に在りますように。