優しい祈りの欠片の下で
・2・
「一体全体何でまたこんなところへ連れて来たんだよお前は!」
到着した早々、エイトは一息つく間もなく開口一番にそう叫んだ。
それは怒りの類ではなく、悲観の度合いが強い悲鳴だった。
ククールが連れてきた場所は、ありきたりな街のどこかの宿ではなく、何故か上――上空にある竜神の里だった。
そしてここは、エイトのもう一つの部屋。
一応この里はエイトの実家に当たるらしく、トーポ――もとい、祖父であるグルーノがエイトの為にと用意した部屋である。
孫を想う心、とでもいうのか、それとも竜人の里のものは元からみんなこういうものなのか。
部屋にある食器や寝具などは質が良く、結構いい品を揃えている。
エイトは時折こちらに里帰りをしているようだが、現在はどうなのか。
それは先程の、エイトに会ったグルーノの顔を見れば一目瞭然のこと。
前に来たのはいつだったか。……いつぶりだろう、ここへ帰ってきたのは。
「お前さ、久し振りの里帰りだろうに第一声はそれなのかよ?」
ククールが呆れた声をしてそう言えば、エイトはぐっと唸り、言葉に詰まってしまった。
「トーポ……じゃなかった、今は竜人に戻ったんだっけか。そのグルーノの爺さんなんか、飛び上がらんばかりに喜んでたってのに、孫のお前ときたら……自分のことばっかりか。」
「う……。」
痛いところを突かれたらしく、エイトが表情を歪めて目を伏せた。
そうして押し黙ったエイトを見つめながら、ククールは尚も言う。
「仕事が忙しいのは知ってるけどさ、たまには顔見せに戻ってやれよな。
それくらい、出来る筈だろ?」
「出来る、けど……」
「けど……何だ? また何か言い訳を始める気か? 爺さんのあの顔を見た上で言ってんのか?」
「……言い訳なんかじゃ、……っ……」
だが、結局はエイトは何も言い返せず、俯くなりとうとう泣き出してしまった。
ボロボロとエイトの目から涙が零れ落ちる。
それを見て、ククールが表情を曇らせて頭を掻いた。
「あー……悪い。言い過ぎた。」
反省しながらエイトの隣に座って、頭を慰めるように叩いてやったが、けれどエイトは小さく首を振って答えた。
「違う……ちが……っ、ククールの、言う通り、なんだ……。」
「いや、ちょっとばかし責めすぎちまった。ごめんな、エイト。」
「……トーポは、いつも俺の側に居てくれた……だから今は、ゆっくりして欲しくて……っ」
いつも側に居たネズミの友達が、まさか老人、それも自分の祖父などとは思ってもいなかった。
それなのに、これまで何度無理をさせてきたことか。
尖った氷柱が落ちてくる、危険な氷の洞窟。
凶暴な敵が襲い来る、砂漠での戦闘。
正体を知ってしまったからこそ、平和になった今はこの里でゆっくりとして欲しいと思っていた。
自分がここに来れば、祖父はその為にひっきりなしに動く。
美味しい御飯を作ったり、風呂の用意をしたり。
エイトが自分で出来ることなのに、それでもやろうとするから――優しすぎるから、エイトは逆に申し訳なくなって、ここへはあまり足を運ぼうとしなかった。
身体を休めて、穏やかに過ごして欲しかった。
平和に、緩やかに。
けれど、それは間違いであったらしい。
「お爺さん、あんな……あんなに嬉しそうな顔して……なのに、俺は……俺っ、……!」
エイトの為に部屋まであつらえてくれたというのに。
こんなにいい部屋をわざわざ用意して待ってくれているというのに。
「俺、なんで……なんでこうも人の心が分かって無いんだろう……もう、馬鹿だ……最悪だ……。」
「違うってエイト。それは間違いだ。」
「そうなんだ。俺は最低なんだ……最低で、こんな酷い……」
「あー、もう。ちょっと黙れ。」
尚も己を責めるエイトを叱ると、ククールはその身体を引き寄せ、自分にもたらせ掛かるようにして抱き締めてやった。少しだけ、泣き声が小さくなる。
エイトの頭を軽く撫でてやりながら、ククールは優しい声で話しかけた。
「お前が酷い奴なんかじゃねぇのは、俺が一番分かってるし知ってる。
……何度も言ってるけどな、真面目すぎるんだよお前は。」
人を思いやりすぎているから、そういうことになるのだ。
エイトは、相手に余計な負担を掛けたくないと思ってしまうのか、変に遠慮をしてしまう。
そういう思考のせいで、逆に離れて行こうとする。
自分のせいで人に迷惑が掛かるのかも知れないと、心配しすぎて。
――全ては、優しすぎる性格のせい。
「だから、酷いとか言うなよ。後悔する前に、こうやって逢いに来ればいいだけなんだから、さ。」
「うん……うん……ごめん……。」
エイトは泣きながら頷くと、そのままククールの胸に顔を埋めた。
そして甘えるようにして顔を擦り付けて、言う。
「ごめん……それと――ありがとう……。」
「ハハッ、謝ってくれなくていいって。」
妙に乾いた声でわざとらしい笑い声を上げるククールに、エイトがぴくりと反応する。
「……急に調子を変えたな? どうかしたのか……?」
そろそろと顔を上げてククールを見上げると、何だか妙に楽しげな表情が浮かんでいた。
そういえば……と、エイトはここで、あることを思い出す。
自分はどうして、ここに連れてこられたのだったか?
確か、宣誓がどうとかで――……それじゃ足りないとかで、証を刻むとか……何とか。
エイトの顔が、途端に引き攣る。
「……なあ……ククール? このまま良い話で終わろう、とかそういうことは――」
「無しだ。つーか、無駄に喚いて勝手に泣いたお前が悪い。」
「な、酷っ……!」
「何だよ。散々慰めてやっただろ。それでもまだ不満なのか? ……ああ、そうか。」
ククールがここで不敵な笑みを浮かべて、エイトを見た。
ぎくりとするエイトに振りかかるのは、優しくとも何とも無い言葉が一つ。
「さっきのじゃまだ足りないって? んじゃあ、これから存・分・に、慰めてやるよ。」
それは、少し前に聞いたのと同じ、艶のある甘い声。
自分が好きな、低い声。
「騙されたー! しんみりした雰囲気に騙されたーっ!」
再び泣きながら暴れだすエイトを寝台に手際よく押し倒して、ククールが言う。
「騙すとか人聞きの悪い。お前だって納得しただろ? だったら充分に和姦の範囲じゃねぇか。」
「わっ、和姦とか言うな阿呆! 変質者! この詐欺師!」
「俺がイカサマ師ってのは、出会った当初に分かりきってたことだろうが。……ん?」
ずいと顔を近づけて、蕩けるような微笑を一つ。
「イカサマ師だけど、お前のための祈りは本物だぜ。――分かってるだろ?」
「っ……そういう声で、そういう顔は反則……んっ。」
深い口付けで飲み込まれる抗議。
重なる手。重なる吐息。
エイトはもう、抵抗しない。
「あんまり声上げんなよ? ――つっても、まあ別に俺としてはどうでもいいんだけどな。」
「お前は良くても、俺がマズイ……ひぁっ! ちょ、阿呆っ、加減しろ……っ!」
「久し振りなのに出来るか馬鹿。気になるんだったら、自分で口でも押さえとけ。」
「……っ……ふっ、んんっ……そん、な、勝手、な、こと……っっ!」
この二人の未来は、結構色々どたばたしたりするようだが……それでも。
祈る想いは、一つきり。
「愛してる、エイト。俺の祈りを捧げるのは、お前だけだ。」
「……うん……ありがとう。」
それは誰かの祈りの欠片。
優しく蒔かれた煌く光。
貴方たちの道が、どこまでも幸せでありますように。
誰かの優しい祈りの下で、今日も二人は穏やかに笑って過ごす。