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Stop the Rain!

・2・



叩きつける雨が凄まじい音を立てている外に反比例して、室内は静かだった。
石造りが為せる防音効果のお蔭だろうか。それはともかく、エイトは目の前で鼻歌を歌いながら作業をしているククールに目を戻してみる。
すると、そこにはやはり、夢ではない光景が広がっているのだった。

「……信じられない。」
ボソリと呟いたエイトの声は、運の良いことに相手には届かなかった。
ククールは楽しげにフライパンを持ち上げると、鼻歌交じりにそれを片手で振るっている。
ちなみに、ココはエイトの自室。
ククールは簡易調理器一式――よく探し出してきたもんだ――をそこへ運んでくるなり、マントを脱いで袖を捲くり上げ、料理をし始めたのだから驚かないほうがおかしい。
黄色の物体が、綺麗な弧を描いて空に浮かんだ。
落ちてくるそれを器用にフライパンで受け止めると、火を止め、近くに置いてあった皿の上に手早く、かつ丁寧に盛り付けていく。
手際が良い。
良すぎてビックリするほどだ。
声も出ないくらいに。

「よし、完成~っと。――エイト、出来たぜ。」
そう言うと、ククールは皿とグラスとワインを一気に手に持ち、無駄に優雅な足取りで簡単な食事を整えた。
「ほら、食えよ。味は保証するぜ?」
言いながらテーブルの上に置くと、グラスにワインを注いだ。
勿論、グラスは二つ。そしてワインもグラスもこの城のもので、どちらもいい値段がする。エイトは溜め息を吐くと、今度は相手に聞こえるのを承知で呟いた。

「……これは夢だろ?」
すると、チーズを盛り付けていたククールが顔を上げ、苦笑交じりに言い返す。
「その通りだとすると、お前はどこでぶっ倒れてやがるんだ? 頬、つねってやろうか?」
ククールがエイトの頬に向かって手を伸ばしてきたので、エイトは眉を顰めて身を引いた。
「止せ、阿呆。」
「馬鹿はどっちだよ、いいから、それ食え。食ってから文句を言ってくれ。」
「……。」
エイトは微かに不機嫌そうな顔をしたが、結局は空腹に負けたらしい。
手にフォークを持つと、渋い顔をしながらもククールが作った黄色い物体――オムレツに、ようやく手をつけた。ふんわりと焼きあがった表面からは、既に香ばしい匂いが漂っている。一口切り分けて口に放り込むと、溶け出した卵の甘さに口の中が蕩けた。
中に何も入っていない素朴なプレーンオムレツだが、卵の味付けといい中の半熟加減といい、文句の付けどころがないそれに、エイトが口にした賛辞はただ一言。
「……美味しい。」
「だろ?」
唖然とした声で呟いたエイトを見て、ククールは空になったグラスにワインを継ぎ足し頷いた。そして自分用に用意したチーズを齧り、満足げに笑う。
「これでも一応、それなりに家事は出来るんだぜ? ……お前、俺は何も出来ない奴だと思ってただろ。」
「思ってた――というか、お前、現に旅をしてる間は何もしなかったじゃないか。」
エイトの抗議に、ククールは軽く肩を竦めて苦笑する。
「そりゃあな。俺よりも料理の出来る奴が居るんだ。手を出す必要なんかねぇだろ。」
「……卑怯者。」
「そう睨むなよ。その代わり、戦闘では役に立ってただろ、俺。」
「まあ、そうだけど……。」
「だろ? 相殺してたんだから、いいじゃねぇか。」
「でも……俺ばっかりに料理させて……お前、こんな……」
もぐもぐと口篭るのは言い淀んでいるのか、単にオムレツに夢中になっているせいか。
まあ、どちらでも一向に構わないわけだが。

「それよりもエイト。おかわりは?」
「いい。これで充分……。ん、ほんと美味しいなコレ。」
不機嫌の虫はどこかへ行ってしまったらしい。
皿の上が片付いてきた頃になると、エイトの眉間にはもう皺など無く、ただひたすら嬉しそうな微笑が広がっているのみだった。
蕩けた微笑みは、オムレツと同じ加減で。
それが見れただけで、ククールシェフとしては大満足。釣られて似たような笑みを浮かべれば、エイトが微笑の変化に気づいたらしく、食事の手を止めて言う。

「オイ、何を笑ってるんだよ。……俺の顔に何か付いてるのか?」
「ん? ああ……ついてるついてる。」
くくっと笑って、エイトに手を伸ばした。
きょとんとしている相手を警戒させないよう、そっと腰を浮かせて上体を伸ばすと、身を屈めて囁くように告げる。
「ここんとこに――幸せの、欠片が。」
そう言って親指の腹でエイトの口端に付いていたソースを拭うと、ぺろりと舐めた。
「なっ、こ、今っ……~~~」
ククールの仕掛けた行動に、エイトが目を見開き、口をパクパクさせた。が、言葉が出てこなかったようで、顔を真っ赤にすると頭を抱えて俯き、呻く。
「この……阿呆。場所を考えろ、場所を……!」
悪態をつきつつも、残りのオムレツをまた一口、ぱくん。

甘いのに、少し、塩辛い。

「ほんと、お前って意外に泣き虫だよな。」
不意に、ぽたぽたと涙を流し始めたエイトを見て、ククールが困ったように苦笑した。それから今度は本当に席を立つと、机をぐるりと回ってその側へと移動した。



◇  ◇  ◇



懸命に涙を拭っているエイトの背後に立つと、ククールは手を伸ばして相手に抱きついた。
優しく抱き締め、宥めるように頬を撫でながら、耳元で柔らかに囁く。
「泣かれると結構困るんだぜ? ……分かってんのか?」
そんなことを言うと、エイトは涙で濡れた目でククールを睨んだ。
「……誰のせいだよ。」
「俺だな。俺のための涙――だろ?」
「嬉しそうな顔するな……阿呆。」
エイトは再び涙で滲みだした目元を押さえつつ、もう片方の手でククールの頬を軽くつねった。
「痛ッ……おいおい、手料理を披露してやった褒美がこれか? 酷いやつ。」
痛そうに顔を顰めたククールだが、それでも口元に浮かぶ笑みは隠せていない。
事実、嬉しいのだ。
この素直でない恋人が、喜んで泣いてくれるのが。

――困るだなんて、嘘。

「なあ、泣くなよエイト。」
長い睫に濡れて光る涙の雫を目に留めながら、真実ではない言葉を口にする。

「泣き顔なんか見せられても、ちっとも嬉しくなんか無ぇんだぜ。」
潤んだ瞳で睨みつけられて、焦がれるのは身か心か。

「ほら、涙を拭けよ。そろそろ泣くのを止めないと、目が腫れちまうぞ。」
自分を見上げる相手の赤い目元にキスを落としながら、もっと俺の為に泣いてくれ、と願う。

昔は、煩わしかった。泣く人間が。簡単に涙を見せる人間が。
顔では泣いてみせてても、その本性はどうなのだか。鬱屈とした修道院での暮らしの中で見てきたものは、欺瞞と自己欲に塗れた人々の姿ばかりだった。
だから、簡単に涙を流す者を、ククールは信じてこなかった。……信じようとはしなかった。欠片ほども。

けれど今は、雨が降るように惜しげも無く涙を流す相手を前に、心喜ぶ自分が居る。

「泣いてる人間を前に、よくもまあ笑えるもんだな。」
ククールの心中など知らぬエイトは、心配げな言葉とは裏腹に顔を綻ばせている相手を見て眉根を顰めた。
その表情を咎めるように。その行為を諌めるように。
(そこは恋人の勘で解れよ――って、無理だよな。)
自己完結。ククールはエイトに同調する。
「だよなぁ……でも、俺がこういう人間だってのは、出会った当初から分かっていただろ?」
「う……まぁ、な。」
訊かれて、エイトは、小さな村の宿で荒くれ者たち相手にイカサマ勝負をしていたククールを思い出した。
町の宿に泊まる度に、一人ふらりと酒場へ寄って、店で働く女性を口説いていた姿も記憶にある。軽薄な遊び人。浮ついて、自堕落な、神を信仰しない神殿騎士。
「でも……いや……今は……だって……」
困惑するように考え込みだしたエイトを抱き締め、ククールは重ねて訊ね聞く。
「幻滅、したか?」
「……阿呆。」
「良いんだぜ? 素直に言ってくれてもさ。――突き放されるのは、初めてのことじゃ無ぇし。」
「――っ……」
ククールの言葉に、エイトが僅かに固まった。
一瞬の沈黙は長いようで、短いようで。静まり返った室内、沈黙を破ったのは、不意に顔を上げたエイトだった。
ククールの拘束を強引に解いて向き直ると、怒りの表情で叫んだ。

「この――阿呆っ!」
「なっ……イテテテテ! 痛いってエイト、おい、馬鹿、冗談――!」
今度は両頬を思い切り強くつねられ――つねり上げられて、ククールが演技ではない悲鳴を上げた。それでもエイトは手を離さず、これでもかという風にククールの頬をつねりながら言う。

「誰がお前を突き放すだと? 俺はその程度の存在か!? そうやって笑いながら……そんな風に冗談めかして言うことじゃないだろう、阿呆っっ!」
頬の肉が、ぎりぎりと音を立てているのを聞いた気がした。
ククール自身としては、それこそ、いつもの軽口で――例えば酒場で女の相手をする時の調子で――本当に冗談で言ったつもりなのだが、エイトには通用しなかったらしい。
いや、通用しないどころじゃない。
逆鱗にでも触れてしまったのか、エイトは本気で怒っていた。

「悪い、冗談だってエイト! ほんと、今のはただの酒場のジョーク――……」
「心を試して……面白いのか。」
「エ、エイ……ト?」
「お前の過去は聞いてるけど……でも、俺は……」
「何?」
「――俺はっ!」
エイトはククールの顔を両手で挟み込むと、ぐいと顔を近づけて叫ぶ。

「俺は、お前が嫌になっても側に居てやるんだからな!覚悟しとけ、阿呆!」
「……エイト。」

何という啖呵の切り方。
顔を真っ赤にしながら、それでも言い切ったのは生涯の誓い。
たまにエイトは、ククールが敵わないほどの男前っぷりを見せてくれる。
逢いに来て癒すはずが、逆に癒されるというこの立場の逆転。
頬の痛みが、一瞬で吹き飛んだ。

「……悪かったよ、エイト。」
頬を掴むエイトの手の上から、自分の手を重ねてククールが笑う。
「試すつもりなんて無かったんだ、本当。」
「……自覚無しっていうのが、一番性質が悪いんだよ。」
「悪かった、ごめんってばエイト。」
「知らん。阿呆。」
「ああほら、雨――上がったんじゃねぇ?」
「ん……?」
機嫌を損ねた子供の意識を逸らす親のように、ククールがわざとらしく窓を指せば、エイトが素直にそちらを向いた。
だが、窓の外から見えるものは、尚も降り続ける雨。雨天の空。
エイトが振り返り、眉を顰める。
「……まだ降ってるじゃないか。」
「距離があって見えなかったんだよ。」
「……。」
そこでエイトが黙り込んだ。何かを思い出したのか首を傾げて黙していたが、やがてククールを見て言った。

「この土砂降りの中、来てくれたんだよな。」
「ん? あー、そうだっけ。ま、雨が降ってたってのは覚えてるけど。」
「嘘、ばっかり……。」
誤魔化し笑いを浮かべるククールのその態度に、エイトの表情が崩れた。
ククールの首元にきゅうと抱きつくと、耳元で小さく囁きを返す。

「ごめん。ありがとう。――愛してる。」
「……ああ。俺も愛してるぜ。」

雨でも何でも、構わない。
そんなことなどお構い無しに、こうして逢いに来てくれる人がいるのだから。
例えそれが、水を被ったみたいでも、水に落ちたみたいでも――格好悪いなんてこと、ない。

美味しい手料理を作ってくれた。
優しく気遣ってくれた。
柔らかく慰めてくれた。

「馬鹿なのは俺だよな。……ありがとう。雨の中、来てくれて嬉かった。」
「それが聞けて俺も嬉しい、つーか、今日はココに泊めてくれるんだよな?」
「ん。そうだな……まあ、客室が空いてるから、そこを――」
「ここが、良い。」
「……狭いぞ?」
「良いんだよ。どうせ雨だから外勤なんか無ぇんだろ? 一緒に、居たいんだ。」
今までの余裕と包容さはどこへいった。
途端にワガママになったククールを見て、エイトは眉間を押さえる。
「子供みたいなことを……ったく。分かったよ。その代わり、狭くても文句言うなよ?」
「勿論。」
「もしかしたら、仕事も手伝ってもらうかもしれないぞ?」
「難しいのじゃなけりゃーいいぜ。」
「……遊ぶなよ。」
「それは無理。」
「……じゃあ、せめて仕事の邪魔はするなよ?」
「それはエイトが俺を構うか構わねぇかの時間による。」
「この――阿呆。」
殴るマネをして腕を振り上げたエイトの顔には、ククールと同じ微笑が浮かんでいる。
二人は互いに笑い、肩をぶつけ合ってじゃれあうと、そうして合意の口付けをした。

外は雨。しかし、屋内に居る彼らにはもう全く関係の無いことだ。
雨は部屋の中にまでやっては来ないのだから。

こんな雨の日は、嫌いじゃない。