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Autumn Rondo [マルチェロ編]

新しい称号を貰った日・2



時間が黙々と過ぎていく。
一時間経ち、一時間半経ち。
二時間、二時間半――……。

「そこの阿呆。今日は泊まるのか?」
夜がすっかり訪れた頃。
さすがに呆れたマルチェロが、とうとう声を掛けたのは夜もとっぷりと更けた頃。
声を掛けられたエイトが、ついと顔を上げる。
目が充血し、心なしか青褪めて見える顔。この数時間でひどく疲労したらしい。
はー、と疲れた溜め息を吐いて言い返すのは、疲れた言葉。
「……着替え。持って来てない。」
「来客用のを貸してやる。それよりも、本気で出来ると思っているのか?」
マルチェロはエイトの側に寄ると、どこまで作業が進んでいるのかと肩越しにノートを覗き込んでみた。

エイトが借りたがっている本は、その装丁からして難解な代物であることがマルチェロにも分かっていたが、中身を覗いて、改めてその難しさを知った。
不定形な記号や図形。文章に至っては失言語。
辛うじて文字に擦れなどは無く鮮明ではあるが――びっしりと書き並べられたその頁は、見ているだけで頭が痛くなる。
この本を書き上げた著者も著者だが、それを解読しながらこの数時間を書写に費やしているエイトも大概だ。
そろそろ止めた方が良いと思い、マルチェロはエイトの肩に手を置いた。


◇  ◇  ◇


「まだ三分の一にも達しておらんではないか。そんなスピードで間に合うのか?」
そう言って、ちらりと時計を見る。
残り、三時間弱。エイトがガリガリと頭を掻き、噛み付くように言い返す。
「煩い! 図もあるんだから時間が掛かるんだよ!」
「その上、解読もせんとならんしな? ……いい加減、諦めろ。」
「嫌だ。」
「エイト。」
「……やだ。」
唇を噛み、エイトは写す作業を再開する。
マルチェロは溜め息を吐くと、ペンを動かしているエイトの手にそっと触れて言う。
「そのように字が乱れて図もぐしゃぐしゃでいては、写す意味も無いだろう。」
「……っ……。」
エイトの手が、ピタリと止まった。
集中と意地は、似ているようで違う。

「俺のところに来て、好きなだけ読んでいけば良いだろう? 何をそうムキになっているんだ。」
「……明日のことなんて、分からないじゃないか。いつ何が起きるか、保証も無いんだぞ。」
顔を上げたエイトがマルチェロを睨み、言う。
「また悪神が現れるかもしれないし、天変地異が起きるかもしれないし!」
「……何を突拍子も無いことを。」
随分とむちゃくちゃな発言をするエイトに、マルチェロは目を丸くする。
秋がつれてきた寂寥感に当てられたのか?
いや、これは単に血糖値が下がっており、まともに思考が働かなくなっているのだろう。
そういえば、エイトはまだ夕食を口にしていない。――マルチェロも、だが。

「とりあえず、ペンを置け。話はそれからだ。」
「でも、まだ途中――」
「作業を止めるんだ。それと、少し目を閉じろ。」
「う……うん。」
宥めるように髪を梳かしてやりながら話しかけていると、気を張り詰めていたエイトの表情が和らぎ眉間の皺が消えた。それを見計らってから、マルチェロが言う。
「落ち着いたな? 写本作業はもう諦めて、そろそろ食事を摂らないか。」
「食事……? え?」
そこで改めて時計を見たエイトは――驚愕の表情になった。

「なんだこの時間!? いやその前に俺、思いっきり用事の途中だったんじゃないか!」
「……今更気づくようなことか、阿呆。」
再び溜め息を吐いたマルチェロに、先程の優しい憐憫は無く。
「俺のことを仕事馬鹿だと言うが、お前には学術馬鹿という称号が似合いだな。」
「ええいもうそれどころじゃない! 馬を貸せマルチェロ、一番早いやつ!」
そうしてエイトは狼狽しつつも、どうにか早馬を飛ばしトロデーン城に謝罪と事後の連絡を入れて何とか、事なきを得たのだが……その後でマルチェロに理不尽な怒りをぶつけてしまい、口論となる。

「何で途中で声を掛けてくれなかったんだよ!」
「何度か名を呼んだのに返事すらしなかった阿呆が何を言う!」
「嘘だ! 聞いてないぞ!」
「お前は自分の名も認識できんのか、阿呆!」
「何だと!」

子供みたいな喧嘩をし、不貞腐れたエイトが大人げなく廊下で寝ようとしたところで部屋に引き戻されてまた色々揉めるのだが、それでも結局は――相手の腕の中で、眠ることになる。
黄昏の終わり、鈴虫鳴く秋の夜長の出来事。
その日エイトは、「学術馬鹿」という称号を貰った。

学術の秋。
――読書は程々に。


仕事馬鹿と学術馬鹿