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曲がる和を解いて

・2・ 差し出したのは代償



来い、とも着いて来い、とも言われなかった。
ただ急に腕を捕られたかと思うと、そのまま強引にずるずると引き摺られていった。
いや、それは引き摺るというよりも、執行人が罪人に対する行為――”連行”に近かった。
どこかの空き室――調度品からして、恐らくは客室――に引きずり込まれ、有無を言わさず押し倒された時には、驚き過ぎた為に何の対処もしようがなかったほどだ。
とにかく展開が急だった。

「マルチェロ、これは何、を――っぐ……!」
背中から床に叩きつけられて、思考と呼吸が一瞬間止まった。
その際に一応は受身をとったのだが、衝撃を軽くすることしか叶わず、打撃はそのまま。
結果、軽い脳震盪を起こしてしまって暫く相手のされるがままになってしまった。
布の引き裂かれる鈍い音が、近いところ――けれど意識とは遠いところで聞こえていた。
それから、素肌が外気に晒されて少し寒いなと虚ろに思った。
ただ、ぼんやりと。
とにかく意識がふわふわと彷徨っていた俺は、マルチェロの不機嫌さが怒りに代わっていく様を、眺めていたように思う。
そうして俺が解けた意識の綱を結び終えた頃には、自分の衣服と自身の体が何とも大変な事態になっていた。

「狼藉一歩手前」――柔らかい表現でいうと、こうなる。
しかし率直に言わせてもらうと、もう強姦される寸前だった。
敢えて柔らかく述べてみたのは、服がひどい破かれ方をしていないせいだろう。マルチェロも、その辺は気を遣ってくれたのか。怒り心頭になったとて、冷静さはぎりぎり残っているらしい。ありがたい。
……などと、この状態に置かれても何となくマルチェロをフォローしてしまう俺はもしかしたら人間として偉いのかもしれない。
しかし、この事態を招いたのもまた俺自身であったりするわけで。
俺は半分現実逃避をしていた意識を今に戻すと、肩を押さえつけている狼藉者の手に触れて話しかける。

「……何でこんな状態に追い込まれたのか、そろそろ訊いてもいいか、マルチェロ?」
あくまで抵抗はしなかった。
尋ねる声も平静を装って。
それが功を奏したのか、今にも噛み付きそうな体勢をとっていたマルチェロが上体を起こして俺を見た。ただし、依然として俺を組み敷いたままで、だが。
「……何故、抵抗しない?」
どうしてそこで不機嫌になるんだ。
思わず出かかったツッコミの言葉は何とか飲み込んで、俺は苦笑を交えて言い返す。

「抵抗した方がいいのなら、そうするけど。……それをマルチェロが望むなら。」
マルチェロの顔が、ますます歪んだ。
嫌悪か、それとも嘲弄か。苛立ったような舌打ちの後に、溜め息を吐かれた。
怒りを増幅させたのだろうか? 眉間の皺は、まだ深い。
そんなマルチェロが言葉を紡いだのは、沈黙の空間が少し流れた後だった。

「普通、こういう状況に置かれたら抵抗なり拒絶なりするだろう。お前は、阿呆か。」
だから何でお前が怒るんだ。
そう言ってやりたかったが、俺は何とか我慢した。
とりあえず、どうしてこういう行動に至ったか、という事柄から解決しよう。
マルチェロを見つめたまま、笑顔を一つ。
「だから、そうして欲しいんだったらその通りにしてやるって言ってるだろ。抵抗か、反抗か……好きな方を選んで良いぞ。」
「それはどういう意味だ? 何故、俺の意見を求める。危険に晒されているのはお前なんだぞ、エイト。」
――で、危険に晒しているのはお前なんだよな。
そろそろ自己ツッコミが増えてきた。
視線はマルチェロに留めたまま、俺は思考だけを少し中空に飛ばして考える。
遠回しに気持ちを伝えていたのでは駄目らしい。
――仕方ない。
俺はマルチェロが怯むように強い視線で睨みつけてやると、ライドンの塔から飛び降りるような気迫で言い返した。

「お前がどういう誤解をしているのかは知らないが、抱きたいんならとっとと抱け。」
売り言葉のような台詞に、マルチェロが短く唸って睨み返す。
「”抱く”というよりは、”犯す”といった方が正しいかもしれんぞ?」
そう言いながら、マルチェロは俺の胸に触れていた手を、ひどくゆっくりとした動作で下へと滑らせていく。
挑発か、扇情か。
いいさ。そっちがそういう手段で来るのなら――乗ってやる。

「どっちにしろ、マルチェロが相手なんだろう? なら、俺が拒絶する必要は無い。」
そのまま全身から力を抜いて、マルチェロの下でくたりとした。
それから、止めとばかりにこの上ない笑みを一つ作って言ってやる。

「どちらにせよ、快楽であることに変わりはないだろ?」
その時、俺はどんな笑みを浮かべてみせたのだろう。
マルチェロが絶句し、俺をまじまじと見た。
何をそう驚くことがあるのか。マルチェロの無言は苦笑に代わり、やがて直ぐに軽やかな笑い声となって室内に流れた。
部屋に篭っていた全ての陰気が飛んでいった気がした。

「全く……お前という奴は、何という――……」
泣き笑いの表情に、子供のような笑い声。
そんなマルチェロを見るのは初めだった。
嬉しいような、悲しいような。
「マル――……?」
俺は急に不安になってしまい、手を伸ばしてマルチェロに触れる。
「……気を悪くしたのか?」
「――その逆だ。……そんな顔をするな、エイト。」
大人に戻ったマルチェロが、そう答えて俺に口付けた。
久し振りの、長いキス。
そうして俺の口内を充分に蹂躙して満足したのか、マルチェロは唇を離して微笑すると、会話の続きを繋ぐ。
「俺は猜疑心が強いようだ。その上、お前以上に嫉妬深いかも知れない。……こんな目に遭わせて悪かったな、エイト。」
自身の愚行を悔い、すぐさますらりと謝罪の言葉を口にした姿勢に、尊敬する。
俺には到底そんな芸当は出来ない。
だが、折角謝ってもらったとこで悪いのだが……別に、俺の上から退く必要は無いと思う。
何故ならば、ここ最近、仕事三昧でお互いに会う事も出来ず、ほとんど禁欲生活だった俺にとって、先程の挑発めいた愛撫と今の長すぎたキスは……刺激が強すぎたわけで。

言っておくが、俺はマルチェロほど大人ではない。
いや、大人というか、若さ的な。その”若さ”というのは、本当に――馬鹿正直すぎて困る。
身体を引こうとするマルチェロの服を掴むと、俺は眼を逸らしながら言ってみる。
「謝るのは、どうでもいい。」
「俺の謝罪が、どうでもいい?」
「あ、いや、どうでもいい、というか……その、……出来れば、続き、を……だな……」
歪曲な台詞しか言えない自分が非常に恨めしいが、言えないものは言えないのだ。
俺はククールじゃない。ククールとは違う。
だが、今はククールみたいに在りたいと思った。切実に。
「何だ? 言いたいことがあるならハッキリしろ。」
それが出来るならこんな苦労はしていない。
「だから、あの……今、の……続きを……だから……」
視線がこれでもかと逸れていく。か細くなっていく声は震えて定まらない。
顔なんか真っ赤になってるだろうが、それすら気にしている余裕は無い。
……余裕”が”無い。

「ああ。待っててやるから、ゆっくり確実に話せ。」
この状況でのそういう気の遣われ方は、もはや極上の拷問でしかない。
いいや、それ以前にそういう台詞が出た時点で、マルチェロは分かってて言ってるのだ。
敢えて理解しているからこそ、優しい口調で言うのだ。
俺の下肢を撫で上げながら。
俺の欲を更に強く煽るように。
この……サディスト!

「ほら……どうした? 遠慮せずに言うがいい。」
「だ、からっ、あっ……お、前っ、それ、反則――!」
俺たちは互いに素直に気持ちを伝えることが出来ない性格だ。
だからこうして、代わりに何かを差し出すことで想いを感じてもらう。
例えばそれは言葉の一端だったり、ちょっとした表情の変化だったりと難しすぎるものだ。
だが、一応それで俺たちの関係は繋がっている。
それなりに、平穏に。
多分……平和的に。
「言わないと、ずっとこのままだぞ? まあ――俺はどちらでも構わんが。」
「あっ!? ふ、ぁっ……や、め――……あ、ぁっ……!」
だがしかし、こいつのこの見事なサディストっぷりはどうにかならないものだろうかと俺は真剣に考える。
無論、それに対する答えや解決策など見つかった例は一度も無い。
それはきっと、これからも見つかりやしないのだ。
こんな性格のマルチェロが悪いのか、それともそんなサディストに惚れた俺が悪いのか。

――ああ、結局は俺が悪いんだろう。
……くそぅ!

和解