SEASONS [M] *Oct.1
Halloween's Sweet
近頃は、夜の訪れがすっかり早くなった。
だが、そんなものは仕事をするマルチェロには関係の無いこと。
いつものように遅くまで一人、部屋で執務をしていると、戸口に誰かの気配がした。
続いて、控えめに戸を叩く音。
マルチェロが手を止めて顔を上げれば、そろりと静かに開かれた戸の間から顔が覗く。
「こ、こんばんは……。」
「エイト? どうした、今日はココの夜警では無いだろう。何かあったのか?」
「いや、その……。」
だが相手は口篭り、隙間から顔だけを覗かせた状態で、なかなか部屋に入ってこようとしない。
マルチェロは、さして短気な方ではないが、しかしこういった曖昧な態度は好まない。
「……いつまでそうしているつもりだ? 用が無いなら帰れ――邪魔だ。」
だから相手の行動を促す為に、そんな言葉を投げかければ、冷たく突き放されたとでも感じたのか、エイトが寂しげな顔をして目を伏せた。
「ご、ごめん……えっと、……あの……お邪魔、しました。」
しかも言い淀みながら、そのまま戸を引いて素直に帰ろうとする。
大抵こういう場合、いつもならそう簡単に引き下がろうとしないで、強引に部屋に入ってくるというのに。
(おかしなところで素直になるな、こいつは。)
マルチェロは思い切り呆れた溜め息を吐くと、引き止めるべく言葉を返した。
「……過ぎた後でも構わんのなら、付き合ってやるぞ。」
「え?」
戸を閉めかけたエイトが、きょとんとして足を止めると、マルチェロが苦笑して言い繋ぐ。
「"Trick or treat"……そう言いたかったのだろう?」
「何で……」
「その為の装いをして来たが、見せる段になって急に羞恥を覚えたから部屋に入ってこないのだろう? ……違うか?」
「う……。」
「そら、折角来たんだ。――入って来い、エイト。」
「わ、分かったよ。分かったけど……笑うなよ?」
マルチェロに優しく手招きされたのが嬉しかったのか、エイトが戸を開けた。
そうしてやっと姿を見せたエイトに、マルチェロが呆気にとられるのは直ぐ後。
頭上にある、ふわふわの獣耳。
腰から下で、ふさふさとたなびいて見えるのは尻尾だろうか。
ぱたん、と戸が閉じた音がやけに大きく響いた。
水を打ったように静まり返る、二人きりの室内。
気まずいような、重苦しいような沈黙だと感じたらしいエイトが、もじもじと身動ぎして一言。
「……何か、言えよ。」
すると、マルチェロがぽつりと言った。
「それは――……猫、か?」
「~~~っ! 狼だっっっ!」
顔を真っ赤にして怒鳴るエイト。
だがその格好のせいか怒る形相は何ともなく、ただ可愛らしいだけ。
思わずマルチェロが忍び笑えば、それを嘲笑だと感じたのかエイトが唇を噛んで睨む。
「わ、笑うなって言ったじゃないか……!」
そのまま小走りに駆けて来たエイトが、マルチェロに掴みかかった。
だが逆にその腕をとって引き寄せて、マルチェロが囁く。
「嘲笑ったわけではない。早とちりをするな、阿呆。」
「嘘つけ! 絶対、馬鹿にしてるだろ!?」
「違うと言ってるだろう……。」
むしろ、想像以上に可愛らしい格好をしていたものだから楽しいだけだ。
「そりゃ、俺だって本当はもっと別の装いをしてくるつもりだったさ! でもな、一番まともなバンパイアの格好は既に無くなってて、後はコレしかなかったんだよ!」
「別に吸血鬼でなくとも他にもあるだろう? ……ウィッチやら、ジャックランタンやら。」
「……後者はともかく、ウィッチって魔女だろうが!」
子供のように喚きながら、腕の中で騒ぐのを止めないエイト。
それを見かねたのか、マルチェロが溜め息混じりの吐息を吐き、それから静かな声で名を喚ぶ。
「……エイト。」
「――っ!」
その低い声に、エイトがびくりとして動きを止めた。そしてマルチェロを見上げ、押し黙る。
どうやら、怒られると思ったらしい。
だがマルチェロは苦笑を微笑に変え、エイトの頬に触れながら言う。
「……騒ぐ方向が違うだろう?」
「え? あ、あの……?」
「ハロウィンの常套文句は言わんのか?」
「文句って――あ。」
子供たちは、お菓子をねだる。
「……ト、Trick or……treat?」
「そうだ。菓子もケーキも、幾らでも用意してある。存分に食べて行くがいい。」
「俺が来るの……分かってたんだ?」
「当然だろう。まあ、デザートの前に――」
「な、何を……っ! ちょ、く、くすぐったい!」
ちゅっ、と小さな音と共に首筋につけられた赤い跡に、エイトが顔に疑問符を張り付かせ、マルチェロを見た。
「何でキスマークなんか……?」
「菓子を強請るだけがハロウィンではないんだ。暗きものを払うための儀式でもあるのだぞ?」
「ああ、そういえば――じゃあ、これは、」
「魔除けの一種だと思え。」
「まよっ……ぶっ!ははははは! そう来たか、そう来るか!」
エイトが嬉しそうに笑い、マルチェロに擦り寄った。
きゅうと胸元にしがみ付き、くすくすと笑いながら言う。
「魔除けって言うか、虫除けっぽいけどな。ははっ、何だ……じゃあ、マルチェロは菓子に興味ないんだな。」
「いや――そんなことはない。」
「へ? あ、ちょっと、そんな、いきなり……っ!」
「魔除けのついでだ。祓っていけ。」
「払って、だろ――っていうか……こら、マル、し、仕事は良いのかよ!」
「今日中にやらねばならんものなら、既に夕暮れ前に片付けてある。」
「じゃ、じゃあ何で書類なんか見て――」
「あれはお前を油断させるための罠だ。」
「この、卑怯者……っ!」
「今更だろう。」
Trick or treat?
そう言って、悪戯をしにきた青い龍。
けれど、敷かれた罠には気づかずに。
まんまと嵌まり、腕の中。
悪賢い司教が、ちろりと舌舐めずり一つ。
それから笑みを深め、そのまま朝まで離さない。
それは、子供のような甘い罠。