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Heavenly Blue

1. Interest



その光景は、よく夢で見た。
――よく悪夢として見てきた。過去の嫌な記憶として。

紳士的には到底見えない男たちに連れ去られていく姉を、必死に追いかけるところからが始まり。
ようやく追いつけたと思ったら、男の手で簡単に振り払われてしまい、地面に転がる子供の自分はとても情けなくて、その姿は無様としか言いようが無かった。
殴りつける男の罵声を聞いたのか、それとも自分が地面に転がる音を聞きつけたのか。肩越しに振り返った姉が叫ぶのは、悲鳴でも懇願でも無い言葉。

「私は大丈夫だから……!」
何が大丈夫なのか。
子供の自分の目から見ても――身内としての欲目を除いても、姉はその頃から美しかった。
物静かで大人びた雰囲気を持つ自慢の姉。下衆な男の元に貢物にされて”大丈夫”な筈が無い。
現に、悲痛な声で叫んだ姉がそれでも浮かべていた優しい微笑は、悲しいくらいに綺麗だった。この先、自分の身に起こるのが何か想像がついていたのだろう。分かっていたのだろう、何をされるのかを。
そのせいで、嫌でも焼きついた最悪の記憶。

あの時、どうしてあんな顔をしたのか。
「助けて」とは、とうとう言ってはくれなかった。

――どうして、姉さん。

そんな自分はといえば、姉を連れて行こうとする男たちに殴られた拍子に口の中を切ったらしく、血の味を噛み締めていただけ。それがますます惨めさを加速させ、そこへ追いうちのように涙が頬を濡らす。
何も出来なかった自分が歯痒くて、ただただ地面を殴って姉の名前を叫んでいた。

姉さん。
姉さん。
姉さん。

二人きりで生きてきたのに。

――姉さん、どうして俺を一人に。

呻いた自分の声のその情けなさ、あまりの身勝手さは、いま思い出すと吐き気がする。
俺はその時、一番無様で一番愚かな子供だった。
その日から独りで生きていかなければならなくなったことよりも、連れられていく姉を前にして何も出来なかったことよりも、そう呟いた自分が許せなかった。

だから、ひたすら剣の腕を磨いた。心の弱さには気づかない振りをして、力を磨けば全てが守れるのだと考えた。…それも、いつしか死を恐れ、生きることを最優先に考えた時から歯車はおかしくなったのだが。
道場破りのような真似をした。
汚い仕事もやったし、卑怯な行いもやった。
眉を顰める相手を見れば、反省するどころか逆に、あいつらにはその勇気が無いのだと嘲笑うようになっていた。
罪悪感など覚えている余裕も無かった。――考えないようにしていた、という方が正しいのか。よく覚えていない都合のいい記憶。
強さを求め、力だけを求め、誰の手も借りず、誰の助けも受けず、がむしゃらに前だけを見て歩いていた。
利用できるものは何でも利用して、邪魔になるものは何でも裏切って、そうやって、ずっと一人で生きるようにした。

残りの人生、自分はそういう風に生きるのだろう。そして独りきりで死ぬのだろう。
誰にも知られぬままに、墓すらも無く終わる人生になるのだと、そう思っていた。
道端の雑草のように生きて、誰にも顧みられず死ぬこの命。

天空の城で、「彼ら」に会うまでは――そう、考えていた。


◇  ◇  ◇


空の晴天をそのまま写したかのように、青い髪が煌めいている。木陰に上半身を凭せ掛けて目を閉じているところを見る限り、多分眠っているのだろうとは思う。
だが、たまにそうでない時もある(いわゆる寝たふりというやつだ)から、どうにも油断が出来ない。とにかく、行動が読めない男なのだ。
山育ちだから野生の勘が鋭いんだ、と本人は軽口を叩いているが、それをそのまま鵜呑みにするほど俺は素直じゃない。
そんな子供じゃない。
そんな子供は、もういない。
だから、出来るだけ足音を忍ばせて近づいてみることにした。

一歩。
二歩。
三歩。
そうして、距離があと数歩になったところで、相手がゆっくりと目を開けた。

「……テリーか。」
こちらを探すことも無く直ぐに焦点を合わせたところを見ると、実は結構前から起きてたのかもしれない。食えないやつだ。
「どうした? 俺に何か用か?」
声に、まどろみの気配は残っていなかった。この分だと、最初から寝た振りをしていたのだろう。そう考える方が妥当だ。
食えない――どころか油断がならないにも程がある。
となると、足音を気にするのは最早無駄だ。
ざかざかと近づいて目の前に立てば、相手はこちらを見上げて笑いかけてきた。

「ん? 今日は町の宿に泊まるから、ゆっくりしてていいんだぞ。」
子供を相手にするかのような声音。どうしてか、カチンときた。
「んなことは知ってるよ。というか、その話をしてる時、俺も居ただろ。」
「いや、確認の為に言ったんじゃなくて、ただの世間話……いいや、もう。あ、ちなみに、バーバラならミレーユと一緒に買い物出てるから。」
「……何でそこで出てくる名前が、姉さんじゃなくてバーバラが先なんだよ。」
「……ん? だってテリー、バーバラのこと気にしてただろ?」
ああ。お前と話す時に距離が近いから、気にはしていたさ。気になってたさ、「お前が」「バーバラと」「そういう関係」なんじゃないかってな。それを確認する為にこっそり見てたつもりだったんだが……まさかバレてるとは思わなかった。
「俺の見てたものが、たまたま同じ線上にあっただけだ。別にバーバラを気にして見てたとかじゃねえよ。」
「そうか。でも、バーバラと同じ方角に何がいたんだ? 俺も近くにいたけど、珍しいものは見えなかったなあ。」
「……そりゃそうだろうな。」
俺が見てたのはお前なんだからな――などと言えるわけがない。
なんというか、時々コイツはズレた発言をすることがある。
山育ちが原因というよりはもう本人の性格なんだろう。
天然。純朴。そういえば聞こえは良いが、これは別ものだ。初めて見る人種だからよく分からないが、間違いないだろう。

コイツ――エルドは、「天然ボケ」だ。

「お前ってさ……絶対、詐欺とかそういうのに引っかかってるよな。」
「いや、……ああ。」
質問めいた言葉を受けて、エルドは精霊祭に使う精霊の冠を引き取りに、シエーナの村に下りた時のことを思い出す。
時期的なのもあって丁度バザーが開催されており、そこでは色んなものが売られていたのだが、中には明らかな”ぼったくり”もあった。
エルドは、”それ”に一回だけ――繰り返すが、本当に一回だけだ――引っかかってしまったことがある。
なべのフタを二倍ほどの値段で買ってしまったことは、未だに誰にも言っていない。

「うん、まあ……人生は複雑だからな。」
曖昧な顔をして笑った――誤魔化しやがったなコイツ――エルドを見て、テリーは溜息を吐いた。
ああ、やっぱり騙されて生きてきたんだな?
そうだ、お人よしな人間はいつもカモにされる。
俺だって、そういう奴を騙してきた。善人も悪人も騙して生きてきた。

でも今は違う。
エルドがそういう目に遭うのは――。

「なあ。」
「ん、何だテリー。」
「これから買い物とかする時は、俺も一緒に連れてけよ。」
「……? 金が足りない、なんてことはないぞ?」
「……そんなんじゃない。いいから、連れてけ。」
「あー、まあ……別にいいけど。」
首を傾げつつも、とりあえずは頷いたエルドのその顔は、やっぱりお人よしで田舎者で騙されやすそうに見えた。

ああ、コイツは守ってやらないと。
背中に負った剣の柄を軽く握り締めて、テリーは誓う。
そうだ、今度こそは守ってみせる。
離さない。離れない。

独りは――寂しかったんだ、姉さん。

「なんか……テリーって意外と寂しがり屋?」
いつの間にか思い切り手を繋がれてしまっているエルドが、小さな声で呟き苦笑した。

好奇心には利子がつく