Heavenly Blue
2. Appeal
部屋で本を読んでいた。大人しく、粛々と。
ただ、それだけだった。
――なのに。
いま現在。
耳元をくすぐって読書の邪魔をしてくる男が隣にいるのは、どうしたことだと質問したい。
何かの冗談か企みか、と最初のうちは警戒して様子見を決め込んでいたのだが、相手は口を開くことも無く黙々と耳たぶに触れているのみ。
目的が分からない。謎過ぎる行動にも程がある。
初めのうちは我慢していたのだけれども、十分経っても二十分経ってもやめようとしないので、流石に注意することにした。
エルドは本から顔を上げると、耳を触る手を振り払うように首を振って相手を見つめ、溜息を吐きながら口を開く。
「……あのさー」
「んー。何だよ。」
「さっきからずっと俺の耳を触ってるけど、何なんだ?」
「ああ、お前が付けてるのってピアスかと思ったらカーフだったから、驚いてるところ。」
「驚くのは勝手だけど、くすぐったいから止めてくれないか? というか、構図的に変だろ。」
そう言って、また読書に集中しようとするのだけども、そうは問屋が卸さない。
イタズラ小僧――テリーは、逆にエルドとの距離を詰めると、どうしてか幾らか不機嫌な顔をして言い返す。
「何だよ。別に良いだろ。姉さんも、人とのスキンシップは大切にしなさい、って言ってたからそうしてるんだぞ。」
「いや、これスキンシップじゃない――」
距離を置こうとして、エルドは身を引く。
だが、その腕をがっちり掴まれた。
グイと顔を近づけて、テリーが問いかける。
「なあ。何でピアスにしないんだ? そっちの方が似合うと思うぜ、俺は。」
どうしてお前の好みに俺が合わせなきゃならないんだよ、と思いつつも敢えて言葉を飲み込んだのは、ミレーユの顔が浮かんだからだ。
『テリーと仲良くしてあげてね、エルド。』
微笑んだ彼女は儚げで、たおやかで。そんな風にお願いされてしまっては、嫌だとも無理だとも言えない。
元より、エルドは人から頼られると断れない。村でそういう風に育ったせいだろうか、例えば馬鹿馬鹿しいランドの相談事(「ターニアを俺に下さいお兄さん」とか。勿論、笑顔で一昨日来いと追い返すが)でも、一応は聞いてしまうのだ。
柔軟な人柄……といえば聞こえはいいが、当人は優柔不断、八方美人ではないだろうかと悩む時がある。いい加減に、この性格を改善するべきだろう、とは思うのだが――とはいえ、今は自分の性格云々よりも、このイタズラ小僧をどうにかするのが先だ。
「なあ。ピアスにしろって。俺、お前に似合うの選んでやるからさ。」
まるで、恋人の買い物にでも付き合うような台詞に聞こえるのは考え過ぎか?
とにかく、この状況をどうにかしよう。エルドは相手に悟られぬ程度の溜息を吐くと、話題を終わらせようと口を開く。
「俺は、耳に穴を開けるのが嫌なんだ。」
「何で?」
さすがに、「嫌だから」だけでは引いてくれないか。
さてどう答えるべきか。エルドは考える。
一考、のち閃いた。――よし、コレで行こう。
「ほら、祀りをする村って風習とかしきたりとかあるだろ? 俺のところでは、神官職だけしかピアスしちゃいけないんだよ。だから。」
「……普通、耳に穴開けない方が、”らしく”ないか?」
うっ。意外に賢い。
エルドは急いで言葉を探し、繋げる。
「神の言葉を受けとる媒体だからピアスなんだ。あと、耳に穴を開けるのが俺は怖い。」
「――ああ。そっちのほうがお前”らしい”。ははっ! 意外に可愛いとこあるんだな。」
慌てついでについウッカリ本音を零してしまえば、案の定テリーが嬉しそうに笑った。
いや笑うところじゃないから。
あと――。
「可愛いとか言うな。俺は男だぞ。」
「何だよ。可愛いものは可愛い、だろ? じゃあ別の言い方で……愛くるしい。」
「……もういい。分かった。俺に凭れてていいから、喋るな。」
「え? お、おいっ……」
エルドはすっかり諦めたようで、テリーの腕を引っ張って自分の方へ頭を乗せてやると、再び本を手にした。
半ば強引に抱き込まれた形になったテリーは、目を丸くしてしばやくそのまま動かなかったが、エルドが本を数ページ読んだところで、ぼそりと呟く。
「なんだよ。こういうのズルイだろ……。」
どこか不貞腐れた声だったが、エルドはもう読書に集中していて聞いていない。
ただ、何かを言われたのは分かったようで、空いている片方の手を持ち上げるとテリーの頭に置いて言う。
「静かにしてろ。邪魔さえしなければ、ここに居ていいから。」
そう言うと、無意識にテリーの頭を撫でて髪を梳きはじめる。
エルドにしてみれば、それらはいつも妹にしていることなのだ。が、テリーにそんな事情など分かる筈も無い。
ますます顔を顰め、けれど頬を赤く染めると、目を閉じて呟く。
「やっぱり可愛いで合ってるじゃないか……クソッ。」
悪態をつきながらも、結局は心地よさに負けて大人しくなってしまったテリーは、そのままエルドの膝の上で眠り込んでしまうのだった。
その姿はまるで警戒を解いた猫のようで、エルドがつられて頭を撫でるには十分な無防備さでいた。