Dear Dragon
2.世界が色づきはじめる
毎日がどうしようもなく退屈で、ただ息をして生きているだけの日常だった。
子供の頃に両親を失い、孤児として流された先は修道院。最初は迎えに出てくれた男が優しく手を差し伸べてくれたが、こちらの正体が分かった途端に冷たい態度に変わり、以降その手を取ることはなかった。
手を払われた時は絶望したが、年月を経た今はあの時の男の心を理解できないことも無い。
修道院に送られた妾腹の子。
対し、裕福だった腹違いの弟。
――ああ、それが落ちぶれて自分と同じ場所に来たところで、優しくなどできるものか。聖者でもない限り。
そうして閉じ込められたのは厳しい規律と清潔な教えと……それらに隠された秘密。
神様なんてものはいやしないんだとその身に叩きこまれることになるのは、様々な昏い掟に“躾けられて”幾らか過ぎた頃だった。
全てが灰色に見える世界。
面白みのない乾燥した空間。
綺麗ごとばかり言うゴミのような人間。
歪んだ信仰心でくすんだ十字架。
――全く、ウンザリだった。
けれどあの日、俺の世界に色彩が戻った。
しかし、それが一人の人間……それも「男」との出会いによって、というところが何というかイマイチ素直に喜べねぇんだがな。
◇ ◇ ◇
その日も俺は、ほとんど習慣になりつつある酒と女と娯楽を求めて、行きつけの酒場に寄った。
規律なんてクソ食らえ。まともに守っていたって見返りはない。神サマを素直に信じていた子供時代は錆びた思い出の向こうに置いてきた。
そんな聖職者でも、運気は寄ってくるらしい。
その日のゲームは快勝。むしろ、相手があまりにも”鈍い”ので、そのまま身包み剥がせそうなくらいだった。
さて、と。
じゃあここで一発デカイ手を出して叩きのめしてやるか。
そう思ったときだった。
「ゼシカちゃん。これ、何してるの?」
どこか舌っ足らずな子供の(だろうと思う)声が俺のすぐ背後から聞こえてきた。
(……おいおい。ガキの来るところじゃねぇぜ、ココはよ。)
そう思いながら、ちらと声のした方へ目を向けて……驚いた。
”子供”は男だった。まぁ、この辺は別に問題じゃない。
問題は、……その美貌だった。
黒目がちの大きな目と男にしては長い睫、そして絹糸のように煌く焦げ茶の髪。襟元から覗く、滑らかそうな白い肌。それらが相まって、そこいらの女よりも色気のあるやつが居た。
男に見惚れるなんて、前代未聞だ。が、その極上の艶は周囲の全ての人間にも作用していたようだ。全員の視線がこっち……というか、その子供に向けられていた。
時が止まったような感覚。
その中で、無邪気な子供の声が続く。
「ねぇ、おにぃさん。これ、何してるんですか?」
いつの間にか、肩越しからそいつが覗き込んでいた。甘い匂いが鼻腔を掠める。菓子の匂いか、それともソイツ自身の匂いなのかは判別がつかない。……いや、正直、理性が飛びかけた。
「……何だ? カードを見るのは初めてか。」
どうにか冷静さを保ちながら、俺は少しばかり素っ気無く答える。頬が無様に緩んでないか、心配だったのだ。例えば、俺の目の前の勝負相手のように。だらしなく呆けて、馬鹿みたいに口を開けてやしないかと。
俺の問い掛けに、子供が小首を傾げた。
「うーんと……数字のついたカードは、初めて見ます。」
「……ふぅん。まぁ、今は勝負の最中なんだ。私語は謹んでくれねぇか?」
「しご、……って、おしゃべりのこと、ですよね?……えっと、はい、わかりました。」
そう言うと子供は顔を上げ、小さく頭を下げた。
「邪魔して、ごめんなさい。」
そうしてから俺の対戦相手を見て、こちらにも丁寧なお辞儀をするように頭を下げる始末。馬鹿真面目……いや、これは純粋な素直さがそうさせるのか。
ちょこんとした風情で、ぺこりと頭を下げて。その後は、自分の同行者がいる方へ戻って行った。てててっと擬音が聞こえてきそうな小走りで。
それは見事な、小動物の動きだった。
(……っ! なんだこいつは! 可愛いすぎるじゃねぇか!)
あーもう、こんな勝負なんか放り出して、こいつ連れてどっかしけ込みてぇ!――なんて、性別すら忘れて邪な考えすら湧き出たほどだ。
そんな、俺の願い(欲望)が天にでも通じたのか。目の前で行われていた勝負は途中で流れ、この小動物ご一行様に加えて頂けることになる。――幾らか後味の悪い出来事つきではあったが。
それでも――神よ、と。
常日頃、全く信じても居ないものに、この時ばかりは感謝してしまった。
しかし色褪せた世界の着色に対する代償は大きすぎて、暫くは自己嫌悪に苛まれたが。