Dear Dragon
9.続・甘い悪夢
珍しく静かな朝。
俺は暖かい布団に身を包みながら、その穏やかな眠りに身を委ねていた。
こうもゆっくり出来るのは何時ぶりだろうか。修道院時代はさておき、院を出てからは何とも久し振りな気がする。
寝坊しても、朝食抜きの懺悔室が待っているわけでもない。食べ損ねても、自分で買いに行くことができる。
冷たい部屋で空腹を抱えて蹲ることも、しなくていい。
元々は団長殿に追い出されるような形でこの不思議な旅の一行に加わることになったのが、ああもう今となっては団長サマサマだ。追放万歳。(言っておくが、虚勢じゃない。……違うからな?)
ともかく、そんな気分のまま二度寝に入ろうと、肩口まで毛布を引き上げた時だった。
とてとてとて。
小動物が立てる足音のような、何か軽やかなものが廊下を走っている音を聞いた気がした。
「ククちゃん、ククちゃん、ククちゃ――ん。」
続いて、舌足らずな甘い声が俺の名を口にしているのも聞こえた気がした。いや、俺の名前とはいっても無残に省略されているわけだが。
とてとて……とて。
ドアの前で、足音が止まる。
続いて、こつこつと戸を軽くノックする音がした。
「……ククちゃん?」
囁くような声と共にドアが開いて、小動物が入ってきた。控えめに、けれど大胆に。
ベッドサイドに気配。けれど俺は寝たふりを決め込むことにする。
言っとくが、無視じゃ無いからな? ……ゆっくり休みたいんだよ、俺も。分かってくれ。
「ククちゃん、朝ですよー。」
エイトが枕元で小さく囁く。その吐息が、俺の耳元にそっと掛かる。
……ずきり。
(……あれ?)
「朝なんですよぅ。ごはんの時間なのですよぅ。」
甘い声、俺をゆすゆすと揺さぶる手は暖かく、気持ちが良くて。
……ずきり。
(……う、わ。)
眼を閉じ、寝たふりをする俺の脳裏を、嫌な予感が特急速度で走った。
意識を自らの下半身へ向ける。エイトに気づかれないように、そっとそこへ手を伸ばしてみれば――硬質な感触がするものが一つ。
ははははは。
そうだよな、俺も健全な一男子だもんな! まだまだ若いんだよな、俺も!
エイトのお守りで、ついうっかりしてたぜ! いやー参った参った!
……、立ってます。朝から。俺のが。
何が”たってる”のかは、各自の知識に委ねるとして。
(やべぇ……どうするかな。)
このまま狸寝入りの振りをしていても、エイトは立ち去りそうに無いだろう。なにしろ俺を起こしに来たのだから。
……ひとまず、起きるか。俺は、わざとらしく上体を捻って眼を開けた。
「……何だよ、朝から煩ぇな。」
「あ、おはようございます、ククちゃん。」
てへ。
そんな効果音が漏れなく付いてきそうなエイトの笑顔に、俺は額を押さえて唸る。男のくせに可愛い生き物なのだ、コイツは。
正直言って、効いた。がつんと。モノに。
身体を起こせば、はああああと長く重い溜め息が出た。
「勘弁してくれ……。」
「ククちゃん? お顔が赤いですよ?」
「……いいから、お前は近寄るな。」
エイトが小首を傾げて大きな瞳で俺を見つめてくる……が、それから盛大に眼を逸らし俺はベッドサイドから下に足を下ろした。
腰掛けるような形をとって、そのまま僅かに前屈姿勢になる。その中心の存在の熱はまだ治まりそうにないらしく、意識しないようにしても無駄だった。
若いって、ほんと、良いよな……。と、遠い眼をしながら俺は他人事のように心中で呟く。
とりあえず、膝の上には掛布を乗せたままにしておこう。
「ククちゃん。どこか悪いんですか?」
近づくなと言ったのに、この小動物は更に近寄って来て、俺の側に膝をついた。その体勢から俺の顔を覗き込むように見上げ、小首を傾げる。
「おくすり、要りますか?」
「……エイト、頼む……頼むから、俺を一人にしてくれ。」
でないと、お前の身が危ないんだ。
それと、俺の身も。
「ククちゃん?」
たし。
エイトが、俺の膝に手を着いた。
柔らかい手、温かい体温の感触に、俺の限界反応が超えた。
決壊。
「……この、小悪魔めぇ――」
中心が、じっとりとなった。下半身のべたついた感触に泣きそうになりながら、俺が項垂れて恨めしそうに呟けば。
「ふぇ……ご、ごめんなさい……?」
俺の吐いた言葉が理解出来ないながらも、声音で雰囲気を察したのだろう。涙目で謝るエイトを見て、俺は頭痛を覚える。
ゼシカに見つかる前に、この状態(二回目)を収めきれるだろうか、と。
そんな色んなものと戦いながら、側であわあわとしているエイトを横目に、俺は再び大きな溜息を吐くのだった。
――ちなみに。
この後、俺は、どうにかエイトにご退出願って自己処理(何の処理かは詳しくは言うまい)をしようとしたのだが、追い出されたエイトがドアの外でしくしくと泣いてるのをゼシカが見つけてしまい――運悪く部屋に踏み込まれた時には、処理にとりかかり始めた最中で。
「このっ――変っ態っ! エイトに何をしたのっ!」
凄まじい声で恫喝され、挙句の果てにはバイキルト仕様の双竜打ち(往復)を喰らった。
そんな俺を助けたのは、これまた泣き喚くエイトだったのだが、丁度その時ゆっくりと彼岸を渡りかけていたので、そんなことは知る由の無いことだった。
というか、知っても意味が無い状態だったわけだが。
これは、幸せな朝が一転して最悪なものとなったとある聖堂騎士の日記。
得た教訓は――部屋に鍵を掛けておこう。