TOPMENU

嘘の代償 断罪の宴 1

Lavender Lie



「お前、俺のこと好きだよな?」
ある昼下がりの午後。自室で本を読んでいたエイトのところへ、ノックも無しにククールがやって来て、そんなことを言った。疑問符が付いているが、尋ねるのではなく断定するような口調で。

「好きだけど。何だ急に?」
本から眼を離さず、エイトは素っ気無く答えた。ククールの不作法はいつものことで最早気にならなかったし、突飛な愛の軽口もジョークの一種だと思ったからだ。
こちらを見ようともしないエイトを見てククールは眉を顰めると、手を振り上げてその本を叩き落とした。
「痛って! ……何だよ。」
エイトがようやく顔を上げた。
顰め面。しかし、その顔に怒りの色は無い。むしろ妙な緊張感を滲ませていて、聞かれたくないことでもあるような――何かを恐れているような目をしていた。その上、ククールをちらっと見ただけですぐに視線を横へ逸らしたものだから、ククールは眼差しを一層鋭くして再度問い掛けた。
「――俺の目を見て答えろ。好きだよな? 俺を。」
「……。」
エイトは答えない。目を伏せ、叩かれた箇所を撫で擦る。
親に叱られた子供がとる拗ねた態度に少し似ていたが、その手元を見ると微かに震えていた。ククールはますます険しい顔になる。
「黙ってないで答えろよ、エイト。」
「――っ!」
ぐいと顎を掴み上げて同じ質問を繰り返せば、手の痛みもあってかエイトが噛み付くように叫んだ。
「……だから、好きだって! 何なんだよ一体――……っ!?」
急に視界が反転したと思う間も無く、床の上に強く押し倒されていた。
流石に今度の衝撃は痛みが強すぎたようで、背中を打ったエイトが顔を歪ませる。
「い、た……っげほっ、げほ……この、阿呆っ……急に何、……。」
咽ながら抗議するエイトだったが、その言葉が途中で止まった。
見上げた視線の先、ククールの表情にあったのは殺気じみた気迫。
エイトは一瞬、息を飲んだ。けれど不意に皮肉めいた笑みを浮かべると、咳き込みつつも苦笑するように言った。
「……何だよ? そんな怖い顔して。……けほっ……というか、そうやってキツイ顔したほうが男前に見えるんだな、お前。」
「……。」
ククールの気がきりりと尖ったのを感じながらも、エイトは何も言い返そうとしない相手に向かって矢継ぎ早に喋りはじめる。
「ほんと、普段のお前ってへらへらしすぎ。あー、そうだ。今度、サザンの研修に申し込んでやろうか? どうだ、精神修行。ははっ、似合わないなぁ。」
その場の雰囲気にはいまいちそぐわない陽気な声で、何かを誤魔化すように喋り続ける。
「それとも、何だ。これって、新手の口説き方か? 言っとくけど、女性にこんなことしたら平手じゃ済まない――」
「……ちょっと、黙れ。」
声は静かなものだったが、ビリッと強い怒りが肌を伝い、エイトがそこで口を閉ざした。
ククールは音の無い溜息を吐くと、眼を伏せて言った。

「……、……お前、あいつとも寝たのか。」
外はまだ陽光が指している時間帯なのに、今この部屋の中は暗く静まり返っている。
まるで、夜のように冷ややかさが漂う室内。長い沈黙が部屋を満たした後で、エイトがポツリと言った。

「……寝た。」
「――っ!」
そう答えたエイトの顔に、表情は無かった。俯いてグッと唇を噛み締めたククールをまともに見つめながら、エイトが口元を歪める。嘲りの形に。

「それがどうした?」
「……っ。どう、した、って、お前――!」
ククールは視線を合わせず――合わすことが出来ず、己の拳を握り締めつつ掠れた声で呟く。
「何で、そんなこと……お前は、俺を受け入れてくれたんじゃ、無かったのかよ……?」
声を絞り出すように問いかけてくるククールに対し、エイトは冷めた台詞を返す。
「お前は何が聞きたいんだ? 寝た理由か? それとも、別のことか?」
「……理由? 理由って、何だ? まさか、あいつに何か脅されていたとか、か? だから、抱かれた……?」
顔を上げ、救いを求めるような眼を向けるククールに、しかしエイトは歪んだ笑みを張り付かせたまま、淡々と言った。

「どんなものかと、思った。だから、そうしたまでの話だ。」
「エ、イト? 嘘だろ……?」
相手の眼が驚愕の色を浮かべるのを見ながら、エイトは口端を吊り上げて歪んだ笑みを作る。
「嘘じゃない。――何なら、どんな感じだったのか語ってやろうか? 具合とかを、詳細に。」
「止めろ……」
「遠慮するなよ。意外に、参考になるかもしれないぞ。」
「止めろ、……って……」
「そうだ。説明よりも、実際にやってみせた方が良いかもな。まだ日は高いけど……どうだ。試してみるか、ククール?」
「もう止めろ! 黙れ――!」

バシッと、乾いた、けれど鈍い音が室内に響いた。
加減のない平手打ち。
見る間に赤くなる頬。そこにそっと触れながら、エイトが眼を細め。

――笑った。

「折角こっちから誘ってやったのに。」
やれやれといったふうに肩を竦め、切れた口の端に滲む血をぺろりと舐める。
「もしかして、外が明るいうちからするのは恥ずかしいのか? ……意外と純情なんだな。」
「お前……お前は……っ!」
再び振り上げられる左手。
バシッ、と鈍い音がした。

それから。
布が引き裂かれる音。
誰かが泣きながら怒る声。
床の軋む音。
乱れた息遣い。

――後に訪れたのは、静寂。


◇  ◇  ◇


「痛っ……。」
すっかり日が暮れた室内。
冷えた床の上、後ろ手に縛られたエイトがゆっくりと上体を起こした。
部屋の中にあるのは、ぼろぼろになった服と、ぼろぼろになった自分。
ククールは、居ない。どこへ行ったのかは知らないが、完全に愛想を尽かしたのは確かだろう。こんなふうに抱いて――獣のように食い散らかして、後はそのままにしていくのだから。
「……はぁ……。……痛い。」
両手の拘束を何とか外し、手首に出来た擦過傷を擦りながら薄く笑う。暴れて抵抗するとでも思ったのか、こちらのベルトを引き抜いてそれを手枷にしてくるとは。
まあでも、お蔭で何の躊躇いも無く切ることが出来たから良いけれど。短剣を納め、部屋の隅に放り投げたベルトは屑籠の中へ落ちた。
「……はあ。」
嘲るような笑みは、もう無い。疲れた顔をして俯き、ひとり小さく笑う。
「全く、結構な無理強いをさせやがって。あー……服は捨てるしかないな……。……破れてるし、……血とかで……汚れてるし。」
殴られた際に口の中を切っていたので、錆びた鉄に似た味が口内に広がる。そこだけではなく、身体のあちこちに傷は刻まれていた。
爪を立てられた痕。噛み付かれた痕。下肢は乱暴にされたのもあって、白濁したものとともに赤いものが混じって零れていた。
「あーあ。最悪だ。」
現状の有様を確認し終えたエイトは後ろ手を付いて天井を仰ぎ。

……哂った。
その眼から涙が溢れ出し、頬を伝って落ちていく。

「あはは、惨めだな……あはははは……はは……っ」
乾いた笑い声を上げながら、泣く。
「はははっ、はは、あはははは……っ……は、……。」
しかしそれは次第に弱くなっていき。

「……っ……っく、はは、……っふ、……うっ……ぁああ」
最後は、嗚咽となった。

真実を言えなかった。
言うことが出来なかった。
どうしても、言いたくなかった。

――あの日。
他者に悟られないような手段と方法で、自分だけが呼び出された。
場所は、マイエラ修道院。
呼んだのは、マルチェロ。
彼はエイトを自室に呼びつけた。ククールのことで話があるからと言って。重大な秘密でも打ち明けるというような素振りで。
その招請には、素直に応じた。彼の血縁者から入手できる情報で、ククールの強い支えになれるかもしれないと思ったからだ。
その時の部屋には彼の性格からして似合わない、何かの花らしき微かな芳香が漂っていた。
事前に誰かとの面会があったのか? それとも来訪者に対する気遣いか? そんなことを考えながらも、部屋に入り彼の側に近づいた。

色々な疑念や疑問はあったし、警戒もしていた。
けれど相手の攻撃範囲外にいたし、周囲にも気を配っていた。
しかしながら、相手の方が一枚上手だった。
まさか、芳香に仕掛けがあるなんて。

相手の意味深な微笑に気づいた時には、身体の自由が利かなくなっていて――そうされた状態で、無理矢理抱かれた。柔らかなベッドの上ではなく、その部屋の冷たい床の上で暴かれて。
声は辛うじて出せたし、布で口を塞がれることも無かったが、大声を上げて人を呼ぶわけにはいかなかった。
――出来なかった。獣のように四つ這いにされて、ケダモノの体勢で貫かれている姿を誰にも見られたくなかったから。

しかし、それが悪手となった。以来、その件を盾にされて何度も呼び出されては、身体を重ねて穢れを募らせていった。
応じなければ良かった、と思うも後の祭り。ククールに知られたくなかった。その思いが判断を曇らせ、結果的に最悪な方向へいってしまったのだから始末に負えない。

更に嘘を重ねて、取り返しのつかない結末にした。
そうしたのは、自分。
そうなるように仕向けたのも、自分自身。

だからこれは、せめてもの罪滅ぼしと、その報い。
でも――これで良かったのかは、分からない。

「うっ、え……クク、ククール……ごめ、ん……ごめ、俺……っ、あああああ――」
エイトは一人、床の上に蹲って泣く。そういえば、あの時マルチェロの部屋を満たしていた香りはラベンダーだった、と今はどうでも良いことを思い出しながら泣き続けた。

ラベンダーの花言葉は確か――期待。
それと、疑い。不信、疑惑――沈黙。
これはククールを信じきれずに間違った選択をした自分へ科せられた十字架なのだと。
そう考えながら、そう思いこみながら、笑おうとして――笑えず、泣いた。
独りきりになってしまった室内は静かで、寂しく、酷く悲しかった。

...Broken Lover