牢獄Marionette
◇ 3 ◇
「顔だけが取り柄の存在」だと言われ続けて育った過去は、何の役にも立たない代物だ。
ただ、そうして外見にのみ惹かれて集まる人間というのは、唯一の遊び――享楽めいた堕落行為に耽る材料となるから、こちらとしても特に困ることも無かった。
一夜だけの関係。
それは使い捨てる紙のように正しく薄っぺらで、退屈が束の間満たされはするが、その反面、虚しさが募る一方だった。
それも、今は昔。
もう、あの過去には戻りたく無い。
なのに――それなのに。
「なあ。こういうのって、何て言うんだっけ? ……『水の中の魚』?」
「そのままだろうが阿呆。……それを言うなら、『網の中の魚』じゃないのか?」
「おーソレソレ!やっぱマルチェロだよなぁ!」
ハッカグリーンで塗られたドアや窓枠は相変わらず涼しげだが、監禁された状態では豪華だろうがセンスが良かろうが、全くもって意味が無い。
そんな中で、ククールとマルチェロは、やはり床の上に座ったまま、差し出された食事を摂っていた。
普段ならば、ここで隣の顰め面兄様が「行儀が悪いぞ」などと言ってくるのだが、生憎と手枷の鎖の長さに制限があるものだから、仕方が無いのだ。
ちなみに、鎖はハッカグリーンの壁に頑丈に固定されている。どうせなら絨毯があるスペースに繋いで欲しかった、と思うがそれは贅沢だろうか。
ちなみに、食事を差し出されたとは言っても、実際に給仕人の顔は見ていない。
何故ならば、部屋に入ってきたのは頭から爪先までを長いローブで身を隠した人物だったからだ。
ククールやマルチェロが話しかけても、何も言わず、応じず。
男か女かも分からぬその給仕人は、ただ黙々と彼らの前にトレイを置くと、さっさと部屋から出て行ってしまった。
そういったことがあったものだから、彼ら囚人兄弟は初め、何かしらの薬(例えば毒薬など)が混入されているのではと疑い、なかなか食事に手を付けようとしなかった。
しかし、よくよく考えてみれば、わざわざ檻の中に閉じ込めておいて毒殺するのも可笑しな話である。
だから、これは大丈夫だ。――と、そういう結論に至るまでちょっとした諍い――兄弟喧嘩という名の口論をした結果、一応は毒の有無を確認して安全だと分かった上で、結局はそれらの食事に手を付け始めたのだった。
……空腹に負けた、というのも理由の一つではあるが。
銀のトレーに白磁の食器が眩しい。
パンは焼き立てで香ばしく、付け合せの肉は上等で柔らかかった。
ティーポットには、薫り高い紅茶がなみなみと入っていて、それに手を伸ばしてカップに注いでいたククールは、何を思ったか不意に苦笑を浮かべて言った。
「なんかこのメニューって、エイトが作るやつみてぇだよな。」
すると、肉を咀嚼していたマルチェロが失笑して応じるのは同意。
「クッ……ははっ!ああ、確かにな。」
元々、あまり仲の良くない兄弟だった。
それが突然このような環境に置かれ、しかも異常な状況の中で、急に二人きりになってしまった――させられてしまったものだから、どことなく気まずい沈黙が続いていたのだ。
それなのに、食事の提供で若干緩和したと思ったら……たった一人の青年の名前を口にしただけで、あっと言う間に溝が消えてしまったのだから笑ってしまう。
肩を並べて談笑するなどとは、昔の関係からは予想もつかない未来図である。
これもエイトの御蔭か?
などと、ククールは心中で笑った。
多分、マルチェロも同じ事を考えて笑っているだろう。
尤も……これが牢獄ではなくどこかの一室、腕の鎖が手錠ではなく何かしらのアクセサリーであったならば、本当に良かったのだが。
◇ ◇ ◇
「あー食った食ったゴチソーサマ。」
食器を部屋の隅に置くと、ククールは大きく伸びをして一息ついた。差し入れられた場所に戻していないのは、せめてもの反抗である。
さて、空腹が満たされたので次にとる行動といえば――……。
「昼寝だよな。」
「阿呆。脱出の策を練るんだ。」
ごろりと横になったククールに、隣から窘める声がした。
面倒くさそうな顔をして見上げれば、眉間に皺を刻んだ兄上様とバッチリ目が合った。
「エイトの助けを待つんじゃねーのかよ?」
「……お前は本当の阿呆なのか? それとも、そのままお伽噺のヒロインになりきるつもりか。」
「あ? 何だよソレ。」
「自らは何もしようとせず、ぬくぬくと王子様の助けを待つ馬鹿者かと聞いている。」
「待つしかないって言ったのはアンタだろ!」
先程マルチェロが言った言葉を思い出して言い返せば、相手は額に指先を押し当てて唸るように言った。
「本気でその言葉どおりにするとは言ってないだろう、阿呆。せめてエイトの負担を軽くしようとは思わんのか。」
「……出来るのか?」
「それを今から考えるんだろう、阿呆が。」
「……。」
この兄上様は、どうしてこうも一々「阿呆」を付けて喋るのだろう。
かと言って、これ以上の口論を展開したくは無い(どうせ勝ち目もない)ので、ククールは喉まで出かかった言葉を一旦飲み込むと、気を取り直して訊ね返す。
「そうは言うけどよ。魔法は使えない、武器も無い。こんなんで大丈夫なのか?」
「だから、何もせんよりはマシだと――」
マルチェロは言いかけた言葉を止めると、唇にそっと指先を当ててククールを一瞥した。
視線だけで意図を読み取ったククールは、頷いて押し黙る。
カツン、カツンと。
廊下に靴音を響かせて、何者かが近づいて来る。
彼らの視線がドアに集中した時、その豪奢な造りに似つかわしくない重々しい軋みと共に、開かれた先から何者かが姿を現した。
「ウフフ……ご機嫌よう、私の王子様たち。」
蜂蜜色の巻き毛が美しい少女は、鈴のような声で挨拶をした。
相も変わらず、無邪気に。