牢獄Marionette
◇ 4 ◇
「食事は貴方たちの口に合ったかしら?」
少女が部屋に入ってくると、甘い砂糖菓子の匂いがした。
甘い――ああ、これは本当に甘やかされた少女だ、とマルチェロは瞬時に見て取った。
そして、隣の様子を窺い見る。
これは「女」という生物に弱い男だから、多分、阿呆みたいに見蕩れているのではないかと思ったのだ。
だからこそ、もし魅了されてしまったのならば肘鉄の一発でも食らわして目を覚まさせてやらねばなるまい、とまで考えたのだが……けれど。
女に甘い弟は――ククールは、ひどく難しそうな顔をして少女を見つめていた。
顰め面は魅了された者の表情ではない。
それが警戒しているのだと解り、一先ず安堵する。
そこまで阿呆ではなかったか、とククールが聞いたら腹を立てるような感想を抱きつつ、マルチェロもそこで再び少女の方へ視線を戻した。
少女は小鳥のように首を傾げ、甘い微笑を浮かべている。
つと片手を頬に当てると、蜜のような声で言った。
「こうして並べてみると、キレイなものはキレイね。」
うっとりと呟かれた台詞は、警戒で強張っていたククールとマルチェロの表情を、より一層引き攣らせてくれたのだった。
◇ ◇ ◇
(おいマルチェロ……どういうこったよコレ。)
肩が触れるか触れないかギリギリの距離からの囁き声で質問をした弟に、兄上サマはフンと鼻を鳴らし、こちらも同じ声量で言い返す。
(どういうことも何も……意味は”分かる”だろう。愛玩用として拉致されたんだ、俺達は。)
(いや、そうじゃなくて。……あのお姫サマ、どっかで見たことあるんだけど。)
(当たり前だ。……マイエラの、上得意先の……娘、だ。)
(ああ……。)
娘の顔は知らずとも、その”親”の顔は知っていた。道理で見覚えがあると思ったら。
子どもであろうとも……いや、子どもだからこそ需要があった、あの昏い世界。
遺伝子とはげに怖ろしきものだとククールは内心で息を吐き、現在にまで蔓延っているこうした裏の世界を垣間見て、嫌悪した。
あの世界はもう切れたと思ったのに。
断ち切った過去だと……思っていたのに。
彼らの顰め面に気づかないのか、少女は無防備に歩み寄ってくると、軽やかに笑った。
「具合の悪いところはないかしら? うふふ……薬の分量には気をつけたのですけれど。」
(薬――!)
そこでククールはすっかり思い出した。
どのようにしてこうなったのか、を。
◇ ◇ ◇
ククールは相変わらず定職に就かず、放浪剣士として世界を回って旅をしていた。収入が限られてしまう身分は、たちまちに旅費という名の生活費を減らしていく。
その上、そう言う時に限って割の良い仕事は見つからない。
放浪剣士と言うのは事実、傭兵と同じ風に見られる為、日雇いの仕事はツテが無いと得るのが難しくなっているのだ。
それもこれも世界が安定したからなのであるが、傭兵に属する者にとってはとても大きな痛手となっていた。
結果、ククールもその一人になってしまい、兄弟の縁もあってマルチェロの元へふらりと足を運んでみることにした、というか、そうなる羽目になったと言おうか。
今回、マルチェロはマイエラに居た。
出戻り――などでは勿論なく、単純に気分転換である……らしい(と、これはエイトの想像談)。
そして、そこの執務室でいつものように大量の書類――何度見ても反吐が出る量――に囲まれた中で黙々と仕事をこなしていたものだから、旅費を貰ったついでに手伝ってやることにしたのだ……が。
「邪魔だ阿呆。」
「良いからやらせろって。分担した方が早く済むだろ?」
「エイトの仕事馬鹿が伝染ったか?」
「うるせえっての。」
などと言い合いながら、それでも一応手伝うことを許可された。
それぞれに山のような書類を小山へと切り崩しつつ、何となくその時間を過ごしていた時に、訪問者はやって来たのだ。
断片的に、記憶が浮かぶ。
客人のもてなし。
供されたティーセット。
無邪気な微笑み。
甘い……匂い。
不自然な香りに一服盛られたのだと気づけば良かったのだが、その場には紅茶だけではなく菓子も出していたので、「分かれ」と言う方が無理であったかもしれない。
だがせめて――少女の顔に”過去”が重なって見えたあの時に、少しだけ警戒していれば……。
天使の微笑、裏に隠されていたのは悪魔の姦計。
――やられた、と思った。
「もし具合が悪くなったのならば、遠慮なく仰って下さいませね。うふふ……まあ、大丈夫そうではありますけれど。」
くすくすと笑う少女の声で、ククールは我に返った。そして少女に目を戻した途端、更にうんざりさせられることになる。
見れば、そのほっそりとした手には、いつの間にかしなやかな鞭が一本握られていた。
清楚に見えるこのお姫様は、どうやら魔女さながらにサディストらしい。
悪趣味も遺伝するもんなんだな、と。
そんな心底湧き上がる吐き気を堪えながら、ククールはこの先の行動を問う為にマルチェロを見遣った。
マルチェロもまた、同じ感想と感情を抱いたのだろう。
眉間に皺を寄せた目が「これはかなり面倒なことになりそうだ」と言うことをハッキリ告げていたので、ククールは頭痛を覚え、大きな溜め息を吐いたのだった。