牢獄Marionette
◇ 5 ◇
――ひゅう、と。
目の前で鞭が揺れたと思ったら、直ぐ側の床上で大きくしなった。
バチッと頬を打つ力の何十倍も強い力で打たれた床を見れば、擦れた跡が出来ている。
「アンタのしていることは犯罪なんだぜ。分かってるのか?」――ククールが、そう質問しようと口を開きかけただけで、少女は突然鞭を振るったのだった。
隣のマルチェロもさすがに気色ばみ、息を詰めて身構える姿勢をとる。
対し、少女は金色の髪を指先で掬い上げると、コロコロと笑った。
「ごめんなさいね……でも、私の許しが無いのに勝手に喋ってはダメよ。私が良いと言うまでは、大人しくしていてくれなくちゃあダメ。」
「……。」
女王サマにでもなったつもりか。高圧的な物言いに、彼らはますます顔を顰めた。
その一方で、ククールがふと内心で、
(ま、よく考えたら、マルチェロもこういうとこあるから似たようなもんだな――……)
などと不謹慎なことを考えて忍び笑えば、すぐさま、ドン、と重い肘鉄を脇腹に喰らった。
見ずとも分かる、その殺気。
横目で窺えば、予想通り目を据わらせたマルチェロが、無言でククールを思い切り睨んでいた。
どうやら表情を読まれたようだ。
流石は頭の良い兄上サマだと尊敬する。
……ほんと、嫌になる程に。
悪かったよ、と小さく呟き返せば、相手はフンと鼻を鳴らしソッポを向いた。
手前の女王サマより、隣の兄上サマのほうがよっぽどおっかない。
少なくとも、今は。
「最近はキレイな殿方を見つけるのが難しくって……社交界に出ても、ツマラナイし。だから、貴方がたを見つけた時は私、本当に嬉しかったのよ。」
鞭の先を弄ぶその間も、悪趣味なことを語っている少女の笑みは絶えることが無い。
無邪気な微笑。
この悪趣味で犯罪なる状況を、心底愉しんでいるのだ。
歪んだ環境で育つと、みんなこういう風になるものなのか?
(なんて、訊いてみてえところだが――)
ククールがマルチェロに視線を向ければ、首を小さく横に振るのが見えた。
「むやみに口を利くな」という合図だろう。
――痛い目を見たくなければ、今は相手のオシャベリに付き合っておけ。
――それもそうだ。了解。
ククールは小さく頷くと、マルチェロの視線に同意して口を噤むことにした。
少女は、そんな彼らの様子を「畏怖して沈黙した」とでも思ったようで、またコロコロと笑う。
「フフッ……そう、それで宜しいのよ。良い子でいれば、私も何もしなくてよ。だって、キレイなものには傷を付けたくないもの。……ね、分かるでしょう?」
誰が解るものか、と兄弟は揃って心中で叫んだことだろう。
しかし表立って抗議すれば鞭の一振りが来るので、黙って相手を見つめるに留めておいた。
彼らの瞳に呆れた色が浮かんでいることを、少女が読み取ることはきっと無いだろう。
彼女の興味は、内面ではなく彼らのその”キレイな”外見にのみ向けられているのだから。
◇ ◇ ◇
少女が靴音を響かせて優雅に立ち去った後、部屋――という名の監獄に残ったのは、相も変わらずの甘ったるい菓子の匂いと、手枷を嵌められたままのマイエラ兄弟のみ。
少女はとにかく、ひっきりなしに喋っていた。
こういったオシャベリが嫌いなマルチェロは全く聞いていなかったし、女性の扱いに慣れているククールですら、流石に長々とした一方的なオシャベリにはウンザリしてしまった程だ。
少女が喋った内容のほとんどは途中から聞き流して覚えていないが、有益になりそうな情報だけはしっかり頭に留めている。
それはマルチェロも同じこと。
そうして記憶に残した話の内容から察するところ、どうやらここは彼女の屋敷ではなく別荘らしいことが想像できた。それも山奥の、多分は避暑地だろう場所の。
何とも優雅なことだ。
……どうりで、妙に静か過ぎると思ったら。
「あー……疲れた。」
ずっと座りっぱなしだったので、身体のあちこちが強張っていた。足を投げ出し上へ大きく伸びをすれば、ばきばきと嫌な音が聞こえてきたくらいで、それほどに、お嬢サマのオシャベリは長かった。
「もしかしてココって、三角谷とかトラペッタみてえな山ん中じゃねえだろうな。」
首を回しつつそんな事を吐き零せば、隣より疲労感を滲ませた声が答えてくれた。
「辺ぴな所に別荘を建てる金持ちも、そうそうおらんと思うがな。……だが、可能性としては捨てきれんぞ。」
「……どこの神隠しだよコレ。つーか、薬盛られたのは分かったけどよ、そこからどうやって俺達を運んだんだ? マイエラの警備って、そんなザルじゃなかっただろ?」
「ああ。それは俺も気になって考えていたんだが……――」
そこでマルチェロは両腕を組むと考え込むような姿勢をとり、ククールの疑問に言い返す。
「一見すると単なる悪趣味な貴族だが……奴らは、魔法に長けている。」
「そんなにスゴイもんなのか、コレ?」
手枷を見せびらかすようにマルチェロの目の前で腕を持ち上げ、その鎖をジャラリと揺らしてみれば、相手は眉間に皺を寄せたまま頷いた。
「そうだ。俺達を拘束しているこの手枷といい、マイエラより連れ出した手段といい……高等魔法でどうにかしたとしか、考えられん。」
「でもよ、マルチェロ? そんな高等っぽい魔法が、何であんな悪趣味な奴らに使えるんだよ。」
――エイトなら、ともかく。
そんな、ククールの心の声が聞こえたわけでも無いだろうが、マルチェロは溜め息を吐いて唸った。
「金に飽かせば不可能ではない。……例えソレが、希少で高価な書物であろうとも、な。」
「だから金持ちはキライなんだよ。」
ククールがついた悪態の後に続いたのは、冷静なマルチェロの声。
「……もしかしたら、だが……これは、エイトですら太刀打ちできん魔法かもしれんぞ。」
「……何だよ、ソレ。」
突如吐かれた不吉な台詞に、ククールが渋面を作ってマルチェロを睨んだ。
いつもの皮肉か、からかわれているのかと思ったのだが――相手の真剣な表情を見て、冗談ではないと知る。
「大丈夫だろ? エイトがいるんだし……あいつに勝てるやつなんて、そう居ねえじゃねえか。だから俺達は……大丈夫、だって……」
ククールは身を守るように膝を抱えると、そのまま黙り込んでしまった。
流石に正直に明かしすぎたか、と感じたマルチェロは溜め息を吐くと、すっかり落ち込んでしまったククールに腕を伸ばして。
「情けない声を出すな、阿呆が。」
その頭に、ゲンコツを一つ。
「痛ッ――何すんだよ!」
鎖が当たったらしく、顔を上げたククールは半分涙目になっていた。
そんな弟に、兄は強気な笑みを浮かべて言う。
「意気消沈している暇があったら、考えるんだ。そら、作戦を立てるぞ。」
「あ? ……お、おう。」
ククールは釈然としない顔でマルチェロを見つめていたが、やがて本来の自分を取り戻すと、子どものように膝を抱えていた姿勢から、余裕のある胡坐の体勢をとった。
そしてマルチェロと向き合うと、言われたとおりに早速考えた”作戦”を口にする。
「作戦かー。懐かしいな。……なあ。”俺に任せろ”とかどうよ?」
「……作戦の案どころか”さ”の字も出ておらんのに、任せるも何も無いだろうが。調子に乗るな、馬鹿者。」
「それもそうだよな。あー、……じゃあ――”テンション溜めろ”とか。」
「……作戦は俺が立てるから、お前は暫く口を開くな。」
そうだククール。
お前は消沈しているよりも、そうやって”馬鹿”な男のままでいればいい。
計画が成功したせいか、そのついでに度が過ぎてしまい、うっかり頭を撫でてやりそうになったところで大きく咳払いをして誤魔化した。
危ない危ない。
こういうのは、あいつ――エイトの役目だ。
(俺も随分と甘くなったものだ……さっきの娘のことは言えんな。)
それは不器用ながらも縁者の優しさであったのだが、エイトならばともかく、ククールは気づかず、頭に浮かんだことを楽しげに並べ立てていき、マルチェロの眉間の皺をどんどん増やしていく始末。
尤も、マルチェロとしても自分が向けた優しさに気づいて欲しくなさそうであるから、それで良いのだろう。