牢獄Marionette
◇ 6 ◇
とある山奥。
人気の無い獣道めいた街道を、青年が一人で歩いていた。
片手には、地図にしては少々厚みのある紙の巻物。もう片方の手は、巻物を読みふける青年の顎の下に添えられている。
「これが、こうなるとしたら……領域の磁場転換はどうなるんだ?」
何やら不明瞭な、恐らくは彼自身にしか分からないであろう独り言を呟きながら、頬を掻く青年のそのバンダナを、吹き抜ける山風がひゅうと揺らした。
蜂蜜を少し焦がしたような色合いの髪が、柔らかになびく。
呟きは、続く。
「いや待てよ……この近くには泉があったから……ああそうか。水の位置を――」
緑が多く、山中深くにあるせいか、鬱蒼とした景色の中で、青年の巻くバンダナの赤が燃える炎のように目立つ。
そのうち、青年は垂れた前髪を指先で掻き上げると、そこで視線を紙面から周りの景色へと移した。
辺りには人の気配は無く、時折、鳥か何かの鳴き声が聞こえるだけ。キョロキョロと見回し、それから方角でも確かめるように指先をある一点に止めると、ふうと息を吐いて呟くのは疲労ではなく愚痴。
「それにしても、世界が平和になっても阿呆はいるもんなんだな……はぁ。疲れる。」
そして少し大袈裟に伸びをすると、巻物を懐に仕舞いこみつつウンザリとした声を零す。
「あーあ。神鳥の魂が使えたら楽なんだけど、それだと見落とす可能性があるからなあ……ったく!本当に面倒臭いことをしてくれる!」
周囲に誰も居ないせいもあってか、青年――エイトの口調は、いつもより荒かった。
ちなみに、もうかれこれ三時間ほど歩きっぱなしである。
だから、珍しく気が立ってても仕方の無いことかもしれない。
疲れの為か、足取りも徐々に重く、ゆっくりしたものになってきているのがその証拠。
「犯人の見当が付いても、その後がコレだもんなあ。……単独行動は失敗したかなぁ……いや、でもこれが最良だったしな……――」
エイトは唸り、出立前にあったことを思い返す。
◇ ◇ ◇
マルチェロの人徳は以前に比べて、だいぶ――いいや、かなりといっていいほどに回復したらしい。
むしろ、大幅に上昇しているようだった。
何故ならば、エイトが「大体の目的と行方の見当がついた」と報告をした途端、彼の部下達が一斉に息巻き、それぞれに武器を取って乗り込む準備をし始めたのだから。
……戦争でも始める気か。
マルチェロとククールの誘拐事件自体が既に頭の痛いことなのに、その上、この暴動寸前行為を眼にして、エイトはただ呆れるほかなかった。
もう止めたりなどせず放っておこうか、とも一瞬考えたが――それで死者が出ては堪らない。
結局、彼らを落ち着かせ、行動を抑制する為の説得でそれから小一時間ほど費やす羽目になってしまったのだが、損害が出る前に阻止できたのでよしとしよう。
武器を手にいきり立った彼らのとった行動は、愚かで短絡的なものであった。
けれども――それほどまでにマルチェロを敬愛し、ククールを心配している姿が微笑ましく、エイトが好意を持ったのも、また事実である。
そのせいで、説教がつい柔らかいものになってしまったが――まあ、しょうがない。
最終的に、”偵察”と称してエイトが単独行動役を買って出たことで一応、その場の纏まりが付いたのだから、これもよしとしよう。
それにしても――。
「こうも人気者になってるとはなー。」
空を仰ぎ、笑う。
気にしてくれている人が、いるんじゃないか。
心配してくれる人たちが、いるんじゃないか。
愛してくれる人がいるんだ、こんなにも。
それは、つまり。
「……俺じゃなくても、良いってことだよ、な……?」
少しばかりの寂しさを声に混じらせ、エイトが表情を曇らせる。
嫉妬じゃない。
そんなんじゃない。
……嫉妬、なんかじゃ……。
エイトの歩みが、そこで止まった。
じゃり、と砂が鳴る。
俯き、しばらくそこで佇んでいた。
そんなエイトを我に返らせたのは、肩に落ちた何かだった。
「……雨?」
空を振り仰げば、パラパラと雨が落ちてきた――と思うまもなく、その勢いを増してきた。
「いや、こんな山奥で!? ど、どうしろって言うんだよ――!」
周囲を見回したが、雨宿り出来そうな木々は生憎と見つからず。
その結果、エイトは走ることになった。
獣道を進み、走り、前に進む。
つい先程まで、心を、表情を曇らせていたエイトは、もう居ない。
ただ真っ直ぐに走るその横顔は凛々しく、まるで姫君を救うべく悪の元へと立ち向かう騎士のようでいた。
雨に背中を押されるかのように、さあ向かえ龍の騎士。