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牢獄Marionette

◇ 9 ◇



――しまった、と思う間もなかった。

視線が合った瞬間に腕を捕られ、通路脇の壁に押し付けられた時には相手の鋭い眼差しが間近にあった。両肩を押さえる相手の腕の力は強く、鷹のような獰猛さで食い込んでいる。
だが、エイトが一番驚いたのは、相手の腕力や俊敏な行動ではなかった。
エイトを睨みつける男の、その――顔。

それはエイトを招きいれた、あのぶっきらぼうな使用人であった。


◇  ◇  ◇


「大人しくしていろ、と言わなかったか?」
声は、先程に聞いたものとまるで違っていた。ぞんざいだった口調は冷たく、見据える瞳も今や油断無い光を帯びている。
腕力もそうだが、これは使用人のものじゃない。

「貴方は……使用人じゃないな?」
質問というよりほとんど断定する声音で問えば、相手は僅かに目を細めた。
「貴様こそ旅人じゃあないな。……目的は、何だ。」
誰かを思い出させる、冷静な声。
あの”使用人”は演技だったのか?
「手持ち無沙汰なんで、ちょっと、お屋敷探検を。」
「ふざけるな。」
ぎり、と腕を掴む手に力を篭められ、エイトは痛みで顔を歪めた。
ちなみに、首筋にはご丁寧にも短剣の刃が当てられていると言うオマケ付きである。
軽口を叩いて状況を回避するのは無駄……というより、これ以上茶化すと命が危なかった。
――じゃあこちらも演技はお終いにするか。
エイトは、ふうと呼吸を一つすると、改めて男を見つめ返して言い返す。

「お前達が拉致した人間を返して貰いに来た。」
すれば、男の眉がピクリと動いた。
――ああ、やっぱり知っているんだな。
男が、掴む腕の力を緩めた。そしてエイトから体を離すと、上から下までを見下ろし、口を開く。
「……神殿警備兵……でも、ないな。貴様の顔は、見たことが無い。」
(内情を知ってる?)
男は再びエイトに詰め寄ってくると、襟元をぐいと掴み上げて睨みつける。
「傭兵、でもない……口調が妙にキレイなところがあるからな。」
(知識もそれなりにある、ときたか。それにしても、観察眼が鋭いというか細かいというか……ん? 待てよ……?)
この眼、この口調、そして詰問めいた尋ね方。
先程から、妙な疑視感を覚えるなと思っていた。

”癖”として移っているのだとしたら?――エイトは考える。
警備体制は万全だった。それなのに、ククールとマルチェロは、そこから容易く拉致された。
エイトの脳裏に、パッと閃くものがあった。

(だとすると、コイツは――……ああ、そうか。)
エイトは襟を掴み上げる男の手を握り返すと、鷹の目を真正面から見据えて言った。
「そう言うお前は――神殿騎士だな?」
そして男の手の甲に爪を立てると、噛み付くように叫んだ。

「――従者が主君を裏切るとは何事だっ!」
「なっ――……ぐあっ!?」
その腕を掴んだまま、今度はエイトが相手を壁に叩き付けた。
無人の廊下に、短剣がカランと落ちた音が響く。
これで、彼らククールとマルチェロが簡単に連れ去られた訳が判明した。
内部に協力者――裏切り者がいたのだから、それはそれは楽にことが運べただろう。
男の腕を背中側に捻じり上げ、その顔を壁に押し付けながらエイトは唸る。
「恥ずかしくないのか。主君に……マルチェロに対して、悪いとは思わないのか!」
「き、貴様っ……クッ……!」
「答えろっ!」
「……っ……――俺の主はお嬢様だけだっ!」
「――!?」
エイトは驚きのあまり目を丸くする。
が、男は背を向けている状態なので気づかず、ただ苦しげに告白を続けた。
「お嬢様が望んだんだ……だから俺は、お嬢様の為に……!」
「……。」
「喜んでくれた……笑ってくれた。悪いことだと、分かっていたさ! でも……っ」
くうっと呻く音が聞こえた。
「ありがとう、って言って……頬に、キスをしてくれた。俺のような者に、彼女が。それだけで俺はもうどうでも良くなった! ……それで……罪悪感を、消してしまえると……」
ひたむきな忠誠。
子犬のように純粋な思いの告白に、エイトは居心地が悪くなり視線を逸らす。
しかし、それは免罪符にはならない。しては、いけない。

「……確かに、主君の望みを叶えるのも従者の役目だろうな。」
同意の意思を見せたエイトに、男が肩越しに振り返る。
だが肯定とは裏腹に、男を見つめるエイトの瞳は冷たいものでいた。

「それでも――子供じゃないんだ。善悪の判断は付けるべきだった。」
「主君に逆らえと言うのか!?」
「……阿呆。諫言も従者の役目だろ。」
そう言いながら男を壁の抱擁から解放してやると、エイトは懐からバンダナを取り出した。それで再び髪を纏めながら、男を見遣る。
同じ仕える者として気持ちは分からなくも無いが、これではダメだ。
エイトは感情的にならないよう溜め息を吐くと、静かな声音で男を諌める言葉を吐く。

「勿論、直訴に値するから罪になるだろう。不興を買ってしまうだろうし、何か罰を受けるかもしれない。――でもな。」
振り返るエイト。緋色のバンダナが揺れる。

「真に主君を想っての誠の行動で死ぬなら、それこそ本望だろう?」
そう言って、優しく笑った。
男は言葉を失い、暫くの間呆然とエイトを見つめていた。
だが、やがて同じように笑って、頷いてみせた。少しだけ、寂しく。
「そうだな……ああ、お前の言うとおりだ。……俺は間違っていたんだな。」
男は申し訳無さそうに頭を掻いて、謝罪の言葉を口にした。
意外と早い改心に、エイトは「まさかコレも演技じゃないだろうな」と訝しみ、男の目を見つめ様子を窺う。

素直な光。
苦笑交じりの顔つきなどは、まるで新米兵士を見ているようだ。
それはどこか昔の自分を思わせて、エイトは内心で苦笑する。

(……信じてみるか。)
男の葛藤と後悔、そして反省に賭けてみようと思った。
エイトは腰に手を当てると、男に笑いかけたまま頼みごとを言う。
「彼らの居る場所を教えてくれ。ま、案内してくれるのが一番嬉しいんだけど。」
「……俺を信じるのか?」
「うん。信じてみることにした。」
「何故だ? もしかしたらお前を別の場所に誘導して始末するかもしれないぞ?」
挑発する男の声は、最初に比べると随分と穏やかで、今はもう唯の自嘲にしか聞こえない。
エイトはヤレヤレといった風に肩を竦めると、床に転がった短剣を拾い上げて言い返す。
「兵士としては疑って掛かるべきなんだろうな。でも信じてみるのもいいかなと思ったし、それに……。」
短剣を懐に仕舞い込みながら男を振り返り、言葉の先を繋ぐ。

「――そう簡単に俺をやれると思うなよ?」
にこやかに笑うその顔は、旅人でも兵士でも無く。
「お前は……何者なんだ?」
額を流れる汗に気づいて手の甲で拭う男の質問に、けれどエイトは何も答えず、にこやかな表情で男がどちらの選択をとるのか待つのだった。


◇ ◇ ◇