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牢獄Marionette

◇ 11 ◇



「……何を仰っているのか、分からないわ。」
凍りついた声。無表情な瞳。
だが鞭を持つ手が震えているのを見た限りでは、動揺しているのは目にも明らかだった。
少女は逃げるように、ゆっくりと彼らから視線を外すと、ただ一つある窓の方を向いて口を開く。

「いるわ。みんな。いないわけ、ないじゃない。」
単語ごとに区切って、少女は言う。その不自然さにククールは訝しげな顔になるも、質問を続けることにした。
「俺達は料理を運んできた奴しか見ちゃいないが、その割には、ここは妙に静かすぎる。
他に人がいるって言うんなら、会話も足音も全く聞こえてこないのは、どういうわけだ?」
「……いるわ。いるのよ。静かじゃ、ないわ。」
窓ガラスに雨が当たる音に合わせる様に、少女はポツリ、ポツリと言葉を繋いでいく。

「お父様は上の寝室でお酒を飲んでいらしてるし、お母様はその隣で編み物をなさってるわ。
今年の冬は寒くなるからって、お父様と私の着る物を編んでくれているもの。」
「――? お父様って……おい、あんたのオヤジは、」
そこで、グイと背後から髪を引っ張られた。
痛みで歯を食い縛りつつ振り返れば、マルチェロが警戒の眼差しでククールを見つめている。眉間に皺を寄せ、首を振って「それ以上は言うな」と目顔で告げていた。
不満なのか、眉間に皺を寄せたククールが視線だけで抗議を返す。

(まだ防御に回んのか!? もういいだろ、反撃しても。)
(まともに身動き出来んのに、阿呆か。まだ耐えるんだ。)
彼らがそんな「会話」を交わしている中、少女はどこかぼうっとした顔をして、独白のように喋り続ける。

「みんな、いるもの。そう……いつもミミエッタが起こしに来てくれるわ。エリーザは髪を結ってくれる係よ。アリエンヌは一番似合うドレスを見立ててくれるし、ファナナは掃除が上手だわ。」
早口に、淀みなく、少女は言葉の形をなぞる。
まるで朗読のような語りから零れるのは幸せの欠片――であるのだろうが、この不吉さは?
彼らは「会話」を止めると、寒気がするように腕を掴み、言いようの無い空気に身構えた。
少女は尚も、機械人形のように台詞を朗読する。
「ディアトは美味しいクッキーを焼いてくれて……そうよ、みんないるわ……――みんな……っ」

そこで、不意に言葉が途切れた。
少女がゆっくりと振り向き、彼らに視線を向ける。
甘い匂い。
しかし少女の顔は怒りと苦痛に歪み、凄惨なものとなっていた。
震える手が鞭を掴み直すのを見て、ククールはギクリとする。
少女は突然意味不明な叫び声を上げると、彼らに向かって鞭を振り上げた。

空気を切り裂く音がした。


◇  ◇  ◇


エイトは男と共に廊下を歩いていた。
雨の音と自分達の靴音しか聞こえないせいか、屋敷はやはり妙な静けさを保ったまま。
とにかく、静かだった。
そのせいかまたは単に山の気候のせいか、とにかく冷えた空気が漂っている。
少し、寒い。

「なあ……あのさ……」
エイトとしては無言の空間など別に気にならなかったが、男の方が沈黙に耐え切れなかったらしい。溜め息を吐きつつ、会話の口火を切り出してきた。
「お前の職業が何か、聞いても良いか?」
「俺?」
エイトは横目で男を見遣ると、苦笑を浮かべて答える。
何度吐いてきたか分からない、いつもの台詞を。
「俺は、唯のしがない”一兵士”さ。」
「その割には……」
男は廊下の途中で立ち止まると、エイトをしげしげと見つめた。そして、口を開く。
「あまり筋肉がついていないよな。身体の線も細くて、まるで女――」
「――。」
エイトは無言で短剣を抜くと、目にも留まらぬ速さで男の喉元に突きつけた。その上で微笑を一つ付けて、一言。

「――まるで?」
「いや、その……悪かった。侮辱するつもりはなかったんだ。信じてくれ。」
謝罪に、エイトが剣を収めた。その様子を見ながら、男は冷や汗を拭いつつ会話を続ける。
「あ、あと、身のこなしも軽いし、口調も丁寧だから……もう少し上の職業だと思ったんだ。」
「少し上? ……例えば?」
「最初は、俺と同じ神殿騎士かとも思ったんだが……今の動きもそうだが……お前には、どこか全体的に洗練された雰囲気がある。」
そこで男は真顔になると、緊張を混じらせた声で言った。

「お前、いや……君はもしかして――王族の関係者ではないのか?」
「……。」
エイトは瞬きし、男を見つめる。
長い沈黙。雨の音。
やがてエイトは少し肩を揺らしたかと思うと、ぶっと噴き出し、ケラケラと笑い出した。

「あははははっ! 俺が王族? はは、いやこれは参った。それは買い被りすぎだ。何回も言ってるけど、俺は兵士だよ。そこらに居る、城勤めの仕事馬鹿さ。」
「……城の名は?」
「トロデーン。そこが俺の居場所だ。」
「……、トロデーン……?」
男が、不思議そうな顔をした。
首を傾げ、眉間に皺を寄せる。
「山に囲まれた小さな城だと聞いているが……あんな辺ぴなところの?」
「辺ぴって――……」
エイトは、表向きは少しばかり、そして内心では思い切りムッとした。
こういう時にまで感情の抑制をかけてしまう自分の職業病が恨めしいが、とにかく失礼なやつだな、と思った。

確かに、トロデーンの周囲は山で囲まれている。かつては呪いを掛けられ、茨が巻きつき、廃墟一歩手前のような有様にもなった。
しかし「元凶」はとっくに倒したのだし、今は普通に人がいるのだ。
それに、これは元から言える事だが――小さい国では無い。
主君は至って平和的な人格者だが、城の戦力はこれでもサザンビークと同じであり、それと併せて「二大軍事国家」と呼ばれているのだ。

なのに、何を小さいだの辺ぴだの……と考えていたエイトの思考が、そこで止まった。
何かを思い出したようにハッとした顔をし、男を振り返る。
相手は、その視線を受け止めると首を傾げて。
「何だ。何か変なことを言ったか?」
「あ……、いや……。」
そうだ。
そうだった。
エイトは男に気づかれぬよう慎重に深呼吸すると、笑みを浮かべなおして言い返す。

「トロデーンは……そんな、言うほどに辺ぴな場所なんかじゃない。近辺には町があるし、貿易だってしている立派な城だ。」
毅然と、無意識に胸を張って答えたエイトに、男は笑う。
「そうなのか。……ああ、すまない。こちらの不勉強だったみたいだな。」
「……うん。ところで、まだ着かないのか?」
「ん? ああ、もう直ぐだ。その角を曲がった先に地下へ降りる階段がある。その先が、彼らの居る場所だ。」
「そう、か。――じゃあ、早く行こう。案内してくれ。」
「分かった。」
そうしてエイトは再び、廊下を歩き出した。
僅か先を行く男の背をじっと見つめるその瞳に、何かを憐れむような光を宿して。

ふと、今は何時くらいなのだろうと思い、廊下を曲がる手前で窓際を一瞥してみたが、ガラスは冷気ですっかり白く曇ってしまっていて、外の様子を窺うことは出来なかった。


◇ ◇ ◇