牢獄Marionette
◇ 12 ◇
意味をなさない悲鳴と鋭い鞭の音が、室内を飛び交う。
ククールとマルチェロは手枷のせいで逃げることが出来ず、辛うじて動ける距離――壁際までギリギリに下がると、前屈みに身を伏せて鞭の乱舞に耐えていた。
(お前が追い詰めるようなことを言うからだぞ!)
(悪かったよ!でも、まさかこんなイキナリ壊れちまうなんて、普通は思わないだろ!?)
ひそひそ声で喧嘩をしている彼らは、余裕があるのか無いのか。
その頭上を、鞭が一閃する。
花瓶か何かがガチャンと壊れる音がした。絨毯に至っては、もう雑巾のようにボロボロになっていて原型を留めてきていない。
(あーあ。高級そうな代物なだけに、なんつーか勿体無――……ッ!)
そんな無駄なことを考えるククールの真上を、鞭が通過した。
マルチェロが頭を押さえつけてくれなければ、まともに顔に当たっていただろう――が、その兄上サマの”優しい反応”の御蔭で、勢いよく床とキスする羽目になったのだが。
ぶつけた鼻が、めちゃくちゃ痛い。
(っつー……!おい!鼻血でも出たらどうすんだよ!)
(お前が呆けているからだろう!気を抜くんじゃな……っ!)
今度は、マルチェロの目の前に一撃。
服を引っ張るより早く、さっと難なく身をかわしたマルチェロに、ククールは何だか面白くないといった顔をしたが、気をとられている場合ではない。
縦横無尽に、鞭が踊る。
強い繊維で作られている筈の絨毯が毛羽立っていくのを見て、彼らは更に後ろへ下がりつつ、それでも喧嘩だけは止めなかった。
視線だけでよくもまあ意思疎通ができるものだと、ここにエイトが居たならば感心していることだろう。
少女は相変わらず何かを叫んで鞭を振り回しており、髪すらも振り乱しているその姿は最早、気が触れているとしか思えない。
(あー……腰とか背中とか痛くなってきた……。)
かわすのは良いが、そろそろ精神的に限界になっていたククールは床に視線を落とし、溜め息を吐く。
狭まっていく退路。
呪文は使えず、武器も無きこの状態は本当に無力で、正しく籠の中の鳥。
雨と鞭と少女の悲鳴が、耳に痛い。
(いい加減、止まんねーかな、このお姫サ……)
「……どうして、逃げるの?」
ハッとして顔を上げれば、直ぐ目の前に少女が立っており、ククールを虚ろに見下ろしていた。
距離が近い。
背後は壁で、それ以上に下がれる余裕はどこにも無い。
「貴方も私を置いていくのね? 私を。私だけを置いていくのね?」
ぱきり、と何かにひびが入る音を聞いた気がした。
「どうして? ――ずっとまっているのにどうしてぇっ……!」
「やっ……べっ……!」
「ククール!」
間に合わない――!
◇ ◇ ◇
『……ッ。あー痛ぇ……ゼシカにメダパニが入ると、ほんっと凶悪なことになるよな。』
『お前、ファントムマスク付けてるのに何で毎回攻撃受けてるんだよ。……ほら、こっち来い。ホイミかけてやるから。』
『そこはベホイミだろ? いーよ、俺も使えるから自分で治しとく。それにしてもエイト、お前さ、よくかわせるよなアレ。流石は兵士長サマってやつ?』
『阿呆。お前が鈍臭いだけだろう。』
『あんなもんそう簡単に避けらんねーっての!ヤンガスだって喰らってんじゃねえか。』
『……ヤンガスはともかく、仲間内で一番素早さの高いお前には問題があるとしか思えない。』
『フン、偉そうに……油断なんかしてなけりゃあ、俺だって鞭の一つや二つ掴めるっての。』
『……へぇー。言うじゃないか。そこまで言うんだったら、これから前線はお前に任せても大丈夫だな、聖堂騎士サマ?』
『……すいません調子乗りました。』
いつだったか、そんなやりとりをしたことがあった。
しかし、結局は試すことも結果を見ることもないままに旅は終わってしまったものだから、そういう事はすっかり忘れてしまっていた。
自分の発言は勿論、ジョークのつもりだった。
本当にそれが出来たのなら、絶対に大笑いするだろうな、とすっかり馬鹿にしていたのだ。
……――けれど。
その光景を実際に目の当たりにして、笑えない自分がここにいる。
仲間の存在を――いいや”彼”を、これほど頼もしく感じたのはいつ振りだろう?
毅然と立ちはだかる背中に龍の翼を見た気がしたが、見間違いでも構わない。
乱舞していた鞭の先を掴む手は、手袋もつけていない素手の状態ながらも力強くあり、ただ赤いバンダナのしっぽが、ふわりと揺れただけで、他に乱れは無かった。
目視で鞭の軌道を見切り、素手で掴んで動きを制す――そんなスキルが、あっただろうか?
何にせよ、今ククールが見ているものは幻では無い。
「二人とも、無事か?」
少女から視線を逸らさず、背後の彼らに向かって掛ける言葉はいつも以上に優しく、凛々しく聞こえる声は福音。
マルチェロは安堵の息を吐き、ククールは姿勢を崩して言い返す。
「フン。一応は、な。」
「無事じゃねえけど、まあ、何とか無事ってところだな。」
「どっちだよ……でも、目立った怪我はして無いようだな。待ってろ、今どうにかするから。」
エイトは肩越しに彼らを一瞥すると、今度はドアに向かって叫んだ。
「今だ! 彼女を抑えてくれ!」
「おい、エイト……誰に向かって――」
「――お嬢様っ!」
ククールの質問は、エイトの叫びに合わせて部屋に入ってきた男の声によって掻き消された。
何事かと目を丸くするククールに対し、側にいたマルチェロは表情を険しくして口を開く。
「……エイト。これは、どういうことだ?」
やはり見覚えがあったのか、少女を抑えにかかっている男をマルチェロが睨みつける。
無理もない、と思った。何せエイトですら頭にきたぐらいなのだから。
とりあえずエイトは彼らの側に近づくと片膝を付き、男より借り受けたらしき鍵を取り出した。
そしてそれぞれの枷を外してやりながら、説明を始める。
どうやってココに連れてこられたのか。
誰が、何の目的で。
何を望んで。
エイトは二人に話を聞かせてやりながら、そっと後ろの様子を窺った。
少女は糸が切れたように力無く床に座り込んでおり、放心しているような表情で宙を見上げているが、鞭からは手を離していない。
男はそんな彼女の傍らに跪き、躊躇いがちにその肩に触れて何かを囁いている。
父親のように。
母親のように。
労わり、慰め、話しかけているその姿はまるで。
まるで――何かを演じているようで。
エイトはその光景から視線を逸らすと、こちらを見上げている兄弟達に視線を戻した。
さてここからが問題なのだ、と軽い眩暈を覚えながら、ククールとマルチェロに説明の先を話していく。
部屋に漂う甘い匂いが、何だか薄くなっているような気がした。