牢獄Marionette
◇ 14 ◇
「それは……私に聞いて、いるの……?」
人形のように虚ろな表情をしていた少女の瞳が、僅かに正気づくのをエイトは見た。
男の言葉には、あまり耳を傾けようともしなかったのに。
エイトは優しく頷いてみせると、彼女の側に片膝をついて目線の位置を合わせた。
そして、見下ろすのではなく対等な高さから、子どもにするみたいに優しく、エイトは少女に語りかける。
「そうですね。返事をしてくれた貴方が言うのなら。」
穏やかに笑って、丁寧に。
だが実のところ、平然としているように見えてその内心では緊張していたりするのである。
元々、女性との会話は得意な方ではないし、むしろこういったことは、背後でこちらを見守っている銀髪の男の方が、ずっとずっと巧い。(――とエイト自身は思っているが、相変わらず自分のことに関しては鈍いようだ、と他者は溜め息を吐くだろう。誰とは言わないが。)
(でも、俺が切り出したんだから俺が話さないとなあ……)
……それに、とエイトは思う。
ククールには頼れない。
頼る時じゃない――今は、まだ。
情けない汗が出ないよう気をつけながら、エイトは少女に向かって質問を続ける。
「貴方は、このままで居たい? それとも……眠りたい?」
「わ、たし……わたし、は……?」
「彼女から離れろっ! お嬢様、そいつの話を聞いてはいけません!」
男が身を乗り出し、エイトと少女の間に割って入ろうとした。エイトは一度顔を上げると、そんな男を見つめ、一言返す。
「邪魔をしないで下さい。」
「うっ……ぐ。」
穏やかに、はっきりとした声で制したものの、男にのみ向けた視線は、冷徹で。
(流石にアレで気圧されるか……。まあ、普通の人間ならばそうなるだろうな。)
微笑だけで相手を威圧しつつ黙らせたエイトを見て、マルチェロはフンと鼻を鳴らし、腕を組み替えると苦笑を一つ。
私事と仕事を区別したエイトは、寒暖の差がありすぎる。
物腰柔らかな兵士の姿と、剣を持ち戦う姿の両方を見ているにも関わらず、このギャップにはどうにも慣れていなかった。
だが、エイトがこの状態になると、大抵の問題は片付いてしまうので安心も出来るわけだが。
ともかく、マルチェロとククールはエイトから何かしらの指示があるまでは、見守る役に徹することにした。
さて……どう動くんだ、兵士長?
◇ ◇ ◇
「俺の名前は、エイト。貴方の名前を教えてくれると嬉しい。」
「わたし、の……名前、は……――」
膝の上に乗せた手で何かを掴むような仕草をしながら、エイトの質問を前に少女は言い淀んでいる。自分の名前を口にする、唯それだけのことなのに、少女はどこか苦しそうで。
「い、や……いや、嫌……っ!怖い……っっ!」
不意に怯えた声を出し、後退さろうとするその手に柔らかく触れ――腕を掴むことは決してせずに、エイトは少女に同じ質問を投げ続ける。
「俺は何もしない。だから、怖がらないで。」
後ろ手に短剣を握り締めている物騒な行動とは裏腹に。
穏やかな態度で、会話に臨む。
「貴方の名前は?」
目の前。
赤いバンダナのしっぽが揺れる。
誰かの微笑んでいる光景がフラッシュバックする。
「あ……」
カタカタと震える両手で頬を包み込んで、少女は瞳を見開いていく。
「止めろ!止めてくれ!」
男が悲痛な声を上げるが、もう結果が分かっているのかその場から動かなかった。
少女の瞳は、エイト――というよりは、肩口の影から覗くバンダナに引き付けられていて、微動だにしない。
エイトは続ける。
彼女に質問を。
「誰と一番遊んだ? ――遊んでもらったのは、誰だった?」
「な、なに……? ……遊んで……もらった?」
「そう。覚えているんだろう?」
エイトが手を差し伸べる。
少女はその手に、別の誰かの残影を重ねて見た。
ほっそりした手。金の指輪。
鏡台に、髪を梳いてもらっている少女を見ている自分の姿がある。
柔らかな髪を結わえる、その絹のリボンがいつも羨ましかった。
羨ましい? ――どうして?
「あれは、私のリボン……指輪だって、お母様から譲ってもらった――」
髪が揺れる。
目の前にいるエイトに視線を移せば、どこまでも優しい眼で自分を見ている。
この瞳を、自分は知っていた。
いつも”少女”を見つめていた”彼”の瞳だ。
「あ、ああ……」
羨望の眼差し。
自分と同じ、叶わぬ願いと想いを持った悲しい人。
少女の変化に気づいたエイトは、言った。
最後の質問を、少女に。
「貴方の名前は? ――……お姫様。」
「わたし、の、なまえ……わたし、私は――」
探し物を見つけたような、探すものが見つかったような――そんな驚きの表情で、少女は少しの間、在らぬほうを見つめていたが、やがて視線をエイト、そして男に向けた。
「お嬢様――……」
男は泣きそうな声で少女に呼びかけた。
だが、少女は首を横に振って。
「お嬢、様……? ……いいえ――いいえ、私は――」
そうしてから、半ば呆然とした声音で呟いたのは質問の答えとなる言葉。
「私は、人形。”彼女”が大切にしていた、お人形。それが私。……でしょう?」
エイトを見上げて尋ねた少女に、返されたのは寂しげながらも綺麗な微笑。
「正解がどうかは、俺が答えるんじゃない。――そうだろう?」
エイトが言葉を返したのは、少女ではなく彼女の背後に居た男に向けて。
男はガクリと膝をつくと、顔を覆って呻いた。
それが、答えだった。