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Deadly Heaven

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戦場を舞う。風と共に。
たちまち死を量産していくその様に、目撃者は彼の名を呼ばず、各々口にするのは通り名ひとつ。
それは様々で、一定していない不安定なもの。
けれど、確実に「彼」だと判る暗号のようなもの。

死の誘い手。
闇の死神。
虚空の殺戮者。

彼の人の功績によって、生かされたり救われたりする命もあるけれど。
人々がそれ以上に記憶するのは、死に関してのみ。

――”死”と”彼”は、常に等しくある。
それ故に彼は、ずっと死の名を冠していた。

本当は、茨の城の、生き残り。

そして――茨の城の、死に損ない。

これは、何処かの世界の話。
戦火の中、白銀の剣を手に駆け行く者の話。

死を背負い、血に塗れた龍の――決して語り継がれることの無い、緋色の物語。


◇  ◇  ◇


今でも覚えている。
あの時の出来事を。

トロデーンという、山と緑に囲まれた平和で静かな国があった。
そこの門前に置かれた籠の中に俺は居たという。所謂、”捨て子”という形で。
出生の知れない、しかも城門前に捨てられていた俺を、陛下は――トロデ王は、何の迷いも無く拾い上げ、そうして育ててくれた。
しかも、陛下や彼の姫君――ミーティアという名の美しい姫は元より、城に居る全ての人々は、その国が示す気候や環境そのものが如く優しさと穏やかさを持っており、捨て子である俺にすら平等に接してくれていたのだから恐れ入る。

いいや、難しい表現は止めよう。
――俺は彼らが大好きだった。日の集まる場所、陽光溢れる庭、笑いの絶えない城内。
それは正に幸せと呼ぶに相応しい場所だった。
彼らの為に、俺は剣を習った。
勿論、護る為に。必要以上に血を流す事は彼らが許さなかったので――誰かが傷つくことに心を痛めるものだから――俺も、その”掟”には従った。自ら望んで。
そう、そこに血はあまりにも無粋すぎた。
平穏で、緩やかに――そうして、刻は移ろい流れていく。

――筈だった。
あの日が来るまでは。


◇  ◇  ◇


何が切っ掛けでそれは起こったのだろう。
俺が外郭の見回りから帰還し、謁見室で陛下に報告をしていた時だった。
城門前の方が騒がしい――と思った次の瞬間に、それは突然、怒号に変わった。
続いて、剣と剣が重なる音。
そして……人々の、悲鳴。

一体、何がどうしたのか。確認しようにも、広間からでは城門前を窺うことが出来ない造りで在った。
とにかく、俺も急いでそこに向かうべきだと思った。俺は、その為に居るのだ。
剣を取って、立ち上がる。
――が、陛下と姫君がそれを制した。二人の手が、柄を握っている俺の腕をいつの間にか押さえている。これでは動けない。
「……どうなさったんです? 離して、下さい。早く私も皆の所へ向かわなければ……!」
「だめです、エイト……貴方は、出てはいけません。」
姫が俺の腕をしっかと掴み、悲痛そうな表情をして言った。
「何故です? 私は、近衛兵士長です。私が行かないと――」
「いけません!」
強い口調で制された俺は、眉を寄せて首を傾げる。
「……姫?」
「貴方は、出てはいけない……私が……私たちが、護りますから。」

――護……る?
主君が、仕える者を守ると?
剣が護られるなんて……聞いたことも、無い。
悲鳴が小さくなる。
怒号が大きくなる。

「何を……言っているのですか。それは、私の役目です。」
ああ、乱雑な足音が聞こえる。皆が、仲間が倒れゆく音が踏みにじられている。
ああ、剣が人であろうものを切り裂く音が聞こえた。悲鳴が上がるも、それはすぐに途切れて。
「私が貴方がたを守ります! 皆も、俺が! だから、どうか手を――」
「エイト……すまんな。」
「……? 陛下?」
激昂しかけた俺を諌めたのは、トロデ王の何処か寂しげな微笑だった。
「その気遣い、優しさを、ワシらは嬉しく思う。……すまぬな、エイト。」
「あ、ありがたき……御言葉、ですが……ですが、――」
怒号が迫ってくる。
剣と剣がぶつかり合う音と悲鳴が、近づいてくる。

「陛下、姫。ここは危険です。私が敵を引き止めておきますので、その間にどうか、お逃げになって下さい。」
そう言って僅かな隙を突いて走り出そうとした俺の腕を、姫は尚も離そうとせず……いや、逆に引っ張り返し、俺をその場に止めた。
「エイト……ごめんなさい――」
「姫――!?」
振り向き様、俺を襲ったのは深い眠りに誘う呪文。
「ひ、……め……? なぜ、です……」
膝をつき、床に崩れかける身体を両手で支えながら、何とか疑問を口にする。
「逃げて、くだ……さい……私、が……貴方……がた、を……護ら……な、……」
体が、瞼が、重くなる。
どうしてこんなことを。
何故、俺を悲鳴が上がるほうへ行かせてくれないのですか。
何故、この剣を振るうことを――皆を護る為に、皆が居る場所へと行かせてくれないのですか。
何故、俺が引き止められるのですか。
こんな一介の兵士を、どうして貴方たちが守るなど。
俺を守ろうとするなんて……どうして……。

眩む視界。倒れ掛かる俺の体を、姫がそっと抱き寄せた。
温かな腕の中、花のような香りが強制的に眠気を強くする。眠りの粉による重ね掛けだと気づいたが、最早この体に自由は無い。
鈴のように優しい声が、頭上から振ってくる。
「……エイト。貴方と過ごした時間を、私は忘れません。」
「……ひ、め……」
「そうじゃ。ワシらは、お主を誇りに思う。……永遠にな。」
「へ……い……か……」
そんな事を言わないでくれ。
何もかもを過去形で語ろうとする声で、今生の終わりのようなことを言わないでくれ。
足に、腕に、力を込めて立ち上がろうとするのだが、二重の眠りには抗えなかった。
「エイト……貴方は、何があっても生きてくださいね。」
「……よ、せ、姫――ミー……ティ、アっ……!」
意識が途切れかける俺に降ってきたのは、姫の優しいキス。

「愛してます、エイト。」
「愛しておるよエイト。ワシらだけでなく、城の皆も、お主を愛しておった。……それだけは、どうか忘れぬようにな。」
完全に気を失う瞬間に聞いたのは、そんな彼らの最期の言葉。

「貴方だけは、生きて――生き延びて。それが、私たちの望みなのです。」

それが、皆と俺との最期の記憶だった。

goodbye dragoner