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Deadly Heaven

2



俺が眼を覚ました時、冷たい石造りの部屋にいた。
身の回りに置かれた調度品や宝石、魔法道具はどれもこれも初めて見るものばかり。
見知らぬ部屋。だが、そこが何であるのは識っていた。
王族のみに伝えられる隠し部屋だ。王族が身を寄せる場所。
なのに……ここには今、俺一人しか、いない。

「姫……? ……陛、下?」
皆は、どこだ?
妙に頭がぼんやりする。
そういえば眠りの魔法を掛けられたのだ、と思い出して、原因である靄を振り払う呪文を唱えてから体を起こした。
俺のような身分ではそうそう触れることの出来ない寝具は柔らか過ぎて、どうにも居心地が悪くなったが、そればかりが原因ではないのだろう。
目覚めてから、漠然とした不安が胸中を占めている。
喧騒は収まったのか、辺りは静かだった。防音効果もあるのだろうが、それはあまりにも静か過ぎた。
音どころか人の気配すら無くなった城、それが意味するところは――。

「まさか――!?」
嫌な胸騒ぎを覚えた俺は、精神も足取りも不安定なままだったが勢いよく部屋から飛び出した。
眠りに落ちる前に聞いた悲鳴が、耳について離れない。


◇  ◇  ◇


「姫! 陛下! ――みんな、無事かっ!?」
腰に下げていた剣が見当たらなかったが、そんなものは城のどこかで手に入ると分かっていた俺は、大声を上げて城内を走っていた。
無音の城内。
人の気配は無く、ただただ音が無い様は不気味というよりむしろ不安を抱かせて。
隠し部屋から一般の通路に戻った俺は、そこでようやく異変を見つける。

壁に、床に、何かが飛び散っていた――血痕と、肉塊らしき”何か”が。

「――っ!?」
鼓動が早くなる。
気持ちが悪い。
これは何だ?

”これ”は――”誰”だ!?

「皆! 誰か居ないのか!? クロエ! アベルト! ……誰でもいいから返事をしてくれ!」
敵らしき者の姿が見えないのは、すっかり引き上げたからだろう。
だが安堵は出来なかった。同僚や部下の名前を呼ぶも、どこからも応えがないからだ。
その代わりに、あちこちで壁や床に飛び散った赤い塊や液体を見つける。多くの赤を。多くの……肉片、を。
人らしい”原型”は未だ目に付かず。俺は、尚も声を張り上げて呼びかけ続ける。

そのうち、何かを引き摺ったような跡を見つけた。
それは、廊下のずっと奥まで続いている。こちらを導くように――哂うように。

「この方角は……謁見の間か?」
自分のペースを見失った状態でがむしゃらに走っていたので、息がすっかり上がってしまっていたが、それでも額の汗を手の甲で拭うと、軽く呼吸を整えて道標を追いかけた。
謁見の間へは、その前にある大広間を抜けなければいけない。
そこへ続く扉を開けるのには、かなりの勇気が必要だった――なにせそのドアにも血や肉片が飛び散っており、酷い事になっていたのだ――が、意を決してそこへ踏み込んだ。
そうして飛び込んだ俺の目の前に広がっていたのは、正に悪夢と呼べる現実だった。

饗宴……いや、”狂宴”がそこにあった。

「あ……ぅあ、……ああっ……!」
壁には、飛び散った兵士”だった”者が居た。床には、大量の血痕と肉片とが撒き散らされている。
それらは全て、自分の仲間だった。
家族のように共に過ごした仲間たち。それらが、まるでおもちゃの人形のように、壁に、床に叩きつけられ、縫いとめられていた。ゴミのように。人としての扱いはそこに無く、道徳も何もかもを無視した有様で。

「――何だよこれは!?」
吐き気よりも先に、苦しさが襲う。息が詰まりそうな臭気の中で辺りを見回すが、そこに動くものの姿は無かった。
辺りにあるのは、人の原形を留めていないものと、底冷えのするような死の空気。
肉塊の側に、折れた剣が落ちていた。その柄の模様で、それらが――”彼ら”が誰であったのかを嫌でも知ってしまい、涙が零れる。主君を守ろうとした部下が、同僚が、今は無力な塊に成り果ててそこらじゅうに散らばっていた。

「皆……最期まで、戦ったんだな……」
勝ち目がなくとも、目の前に確実な死が迫っても、それでも怯むことなく役目を果たした彼ら。
なのに自分ときたら、安全な場所で眠りに落ちていたのだ。それが自分の意思ではなかったにしろ、兵士として――兵士長としての己には充分な汚辱だった。
「俺だけが――……っ!」
唇を噛んで俯きかけたが、けれど直ぐに顔を上げた。
まだ、探さなければいけない人の姿を見つけていない。
「姫と、陛下、は……っ、……ミーティア姫! トロデ陛下ぁっ――!」
叫び、周囲を見回す。
視線の先には、謁見の間に続く大扉。酷く血で汚された扉の横には、何かが積み上げられていた。……その”何か”は、ビロードの絨毯よりもなお赤黒く染まった血溜まりの中にある。――無造作に置かれて。
「酷い、ことを……っ!」
吐く息が震えた。怒りと、悲しみのせいで。それと、何も出来なかった自分に対して。
ここに来るまで、幾つの屍を見ただろう。赤々とした模様。鉄錆に似た匂い。
かつて陽だまりのような場所だった城は、今やどこかしもが血と死の匂いで溢れていた。
「こんな……こんな、ことが……!」
何故許されるのか。
だが言葉が続かない。震える足を引き摺り、前に進むのに臆しそうな心をどうにか支えながら扉の前へとやって来た俺は、ゆっくりとした動作でドアを押し開けた。

「あ……、あ、ああ……」
そこに待っていたのは、愛しい人の姿では無く。

――永遠の、絶望だった。


◇  ◇  ◇


主君――トロデ王は、国旗と共に壁に打ち付けられていた。その四肢を錆びた短剣で縫い止められ、まるで蝶の標本のように貼り付けにされていた。
側の壁には血で「THE HANGED KING」と嘲るように書かれている。――王族に、これ以上の侮辱は無いだろう。

「……陛下ぁっ……!」
あまりにも惨い主君の姿に、つい俺は情けない声を上げてしまった。
「陛下、陛下っ……! ああ、こんなこと……こんな格好……!」
もつれそうになる足元に気をつけて駆け寄り、手を伸ばす。壁から下ろそうにもしかし、高々と掲げられた陛下の体は遠く、俺の背では届かない。もしかしたら、わざとそうしているのかもしれなかった。
仕方無しに玉座を引っ張ってきて、それを踏み台にする。無作法なのは承知していたが、問題にしている場合ではない。四肢を貫いている短剣はかなり奥まで刺さっていて、俺は陛下の身体をそれ以上傷付けないようにしながら、ゆっくりと引き抜いていった。
その行動は恐ろしいほどの精神力を必要としたし、情けないことに俺の手や身体は震えてしまっていたので、作業には長い時間を掛けてしまった。
真紅のビロード調の布を――かつて国旗だったものは盛大に裂かれていて、原型をとどめていなかったが――広げて、床の上に陛下の身体を横たえる。
血の気を失って蒼白とした顔はまこと死人でいたが、それでもその面差しに主君たる威厳を見つけて泣きそうになった。
「う、あぁ……陛下、陛下、陛下……陛下、すみ、ま、せ、……俺っ、俺は……っ!」
震える手を組み、いつか書物で見覚えた鎮魂歌を紡ぐ為に口を開こうとしたのだが、かちかちとなる歯鳴りがなかなかに止まず、ただ嗚咽だけが零れた。


◇  ◇  ◇


ようやく動けるようになったのは、長いようで短い時間が過ぎた後。
絶望に打ちひしがれて立ち上がるのも億劫だったが、それでも最後の希望――愛しき姫君を探すことにした。
見たことも無いものに祈りながら、必死になって城内を駆け回る。その都度、他の人々の惨い様を見せ付けられながらも足を止めることなく走り続けたのは、微かな希望に縋っていたからだ。

神様神様神様。
どうか、せめて、あの人だけは許してください。
俺から、もう奪わないで。
せめて姫だけは――あの人だけは、生きていて欲しいんです。
彼女に罪は無い筈だ。
だから、助けて下さい彼女だけは。
神様、神様。どうか、どうか……お願いします。
これ以上、もう……俺の光を、奪わないで下さい。

とにかくそう祈り続けて、冷たい廊下を独り駆け抜ける。
その願いを叶えよう、という声は何処からも聞こえてこなかった。


◇  ◇  ◇


そして俺は、姫君の自室で彼女を見つける。
しかし、それは俺が願った結末では無かった。
そこには各場所と同じように血が飛び散っており、光景も大広間で見たものと同じものが待っていたのだから。

全くに、同じものが――ああ……言葉どおりの”惨劇”が、そこに。

「姫……っ……ミーティア姫――っ!」
語るにはあまりにも酷い状態で、彼女が居た。
白いシーツも何もかもがどす黒く変色した寝室の上で、仰向けに横たわっている。身に着けていた衣服は……無かった。片足に、シーツが包帯のように絡んでいたが、けれど近づいてみると引き裂かれたシーツに見えたそれは彼女が身に着けていたドレスだということが分かった。暴行と陵辱を受けた跡。生々しく残されていたそこに、願っていた命は無く。

「ひ、め……あ、あああああ、何で……こん、な……っ!」
俺の精神はもう殆ど限界で、姫の身体をシーツで包んで抱き締めた。最期に見た彼女が俺にしたように、優しく。
あの時の彼女の腕の中は温かく、柔らかく、甘い香りがした。
けれど今の俺の手は血塗れで、冷たく冷えていて……優しい言葉を掛けることなど出来ず、見っとも無く泣きながら、彼女を抱き締め続けていた。
ふと、ベッドの側に剣が落ちていることに気付く。
護身用の剣ではない。姫君の部屋にはどうにも似つかわしくないそれは……それは俺の、剣だった。

「これで、貴方は戦ったんですか?」
彼女は剣を握ったことは無い。刃を握るには、彼女は優しすぎた。
護身用に軽く教えたほうがいいのではないかと言う意見もあったが、反対した者たちが多く居た――俺もその筆頭で、彼女の手はその心同様に美しく、汚したくなかったのだ。
過保護だと言われてもいい。俺が側に居て守ればいいと思っていたからだ。
そんな彼女の側に、俺の剣があった。
少しだけ血で濡れている。扱ったことも無くて戸惑っただろうに、それでも彼女は俺の剣で戦ったのだ。……勝てる見込みはゼロであったというのに、それでも最期まで戦った姫。

「俺なら、貴方を護れました。……護ることがきっと出来たんだ。」
責めているのではない。悔しいのだ。
俺の剣は主君を守ろうとしたのに、剣の持ち主である俺は何も出来なかったのだから。

「それでも……君は頑張ったんだな、ミーティア。」
冷たくなったその唇に、そっとキスを落とす。
最初で最後のキスは甘くも温かくもなく、冷たい死の味しかしなかった。

「うあ、ああ――あああああああああ――ミーティアあああ……っ!」
彼女の身体を胸に抱いたまま、俺は慟哭した。
誰も居なくなった城内で、俺の声だけが響き渡る。おかしくなる一歩手前だった。
そのまま自分の胸に剣を突き立て、共に逝こうと考えたその時、不意に俺の脳裏を過ぎった彼女の言葉に我に返った。

『貴方は……私たちが、護りますから。』

そうだ。あれは、どういう意味だ?
彼女は……いや、彼女と陛下は何かを知っていた。それも、俺に関する何か、を。
正気に戻った俺は彼女から離れると、彼女の身体を綺麗に拭いてやり、服を着せた。彼女が一番大好きだった、白亜の絹の生地に空色が広がったドレスを。髪もきちんと梳き、胸の上で両手を組ませた。
彼女だけは、こうしてやりたかった。あのままの状態にさせておくには、許せなかったから。

俺はそうして身を整えた後、涙で濡れたままの顔で、部屋を出た。
出て行き間際に振り返り、何か言葉を言おうと思ったが、何も出てこなかった。それは口にするには愚かしく、おこがましい想い。

(ミーティア……俺も、君のことを……)
その言の葉の先は形にすること無く、そのまま、胸の奥深くへと沈めて廊下を歩いていく。

次に向かった先は、城の書庫だった。


さよなら陽だまり