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Deadly Heaven

3



城内にあるが為に、書庫も例外ではなかった。
あちこちに血と本が散乱していてる。暴かれ、汚された証拠だ。想像していた通りの光景ではあるが、それでもやはりこのようなものを見るのは辛かった。
ここに来るまでにも思ったが、城を襲った何者かはどうも何かを探していたようだ。

――何を探していた?
倒れ、崩れている本棚の間を潜り抜けながら、棚や書物を調べてみた。だが特に変わった物はなく、目立ったものも無い。血と肉片以外には。
それこそ壁から床から隅々までを調べ、目に入る全ての書物を読み漁ったが、手掛かりらしきものは何も見つからなかった。
無駄な時間の浪費。――俺がその行為の無意味さに気づいた時には、既に日は暮れかけていた。

「……ここじゃ、無いのか?」
だが、ここ以外の資料室を俺は知らない。
「……ここじゃ無いの……なら、他に……何処がある……?」
王家のみに伝えられている場所が、まだ何処かにあるのだろうか。
もしかしたら、そこに手掛かりが……?
けれど、俺はそれに触れることは出来ない。知ることは許されていても、暴くことは俺自身が赦していない。
俺は王族と民草の分別を弁えていた。高潔な彼らの領域に、兵士が土足で踏み荒らすのは赦してはいけない。

――これ以上、我が主君を汚してなるものか。
だが、自分に強いたその掟はココから先の道を閉ざしてしまったのだが。

「……どうすればいいんだ。」
成す術を失った俺は、壁に凭れてずるずると床に蹲った。
「俺に、何が……城の皆をこんな風にしてまで、俺に何の価値が……」
頭を抱えて、嘆く。こうしている間にもどんどん時間は過ぎていくのだ。
焦る。苛立ちが募る。
「何も出来ないのか、この役立たず……!」
自分自身に罵倒したその時、ふと、何かが頭の上を過ぎった気がした。
「……? 何だ?」
顔を上げると、それは窓枠の影だった。
黄昏は気づけば夜の帳へと姿を変え、窓からは青白い月が顔を覗かせている。その影が伸びて、俺の上に落ちたのだった。
「……もう、夜か。」
呟いて床に眼を落とし――仰天した。
「何だ……コレッ――!?」

影が伸びていた。
月のせいかと思ったが、月が勿論動く筈は無く、高さにも変化は無い。
「動いているのは、影のほうか……?」
それは俺が背を預けていた壁の上を辿り、ある高さで止まった。
「壁に窓枠の影、が……――っ……!」
そこに扉が出来たみたいだと思った瞬間、その”扉”から光……というには生ぬるいほどの眩い閃光が走り、俺を丸ごと包み込んだ。
「くっ……!」
白い世界。あまりの眩さに俺は目を閉じる。
ぐらり、と身体が後ろへ傾き、背を預けていた壁が、まるで扉のように内側に開いた感覚を感じた。
(まさか、あの影が開いたのか!? だめだ……意識が……)
しかし、俺はどうも必要以上に疲労困憊していたらしい。
振り重なった突然の奇妙な事態に、俺の脳は対処しきれず――意識はそのまま、白い世界に落ちていく。


◇  ◇  ◇


ひやり、と。
何かが頬に触れた。少し冷たい、何かが。
(ああ、これは指先だ。)
意識の海で揺蕩いながら、無意識のままそれに触れてみる。
温度は、頬で感じたものと同じだった。
くすり、と誰かが可笑しそうに笑う声を聞く。
(……? 今のは……声?)
「ん……。」
そこでようやく俺が目を開けると、側に居たのは長い髪をした男だった。
見知らぬ、人……いや、”それ”は人の気配ではない。

「――何者だ、貴様っ!」
城を襲った奴かと思った俺は、頬に触れていた相手の手を払い除ると、咄嗟に身を起こして睨み付ける。
本当ならば剣を突きつけてやりたかったのだが、不思議なことに何故かそういう気持ちにはならなかった。相手はというと、こちらの無礼にただ苦笑だけを返し、口を開いた。
「落ち着きたまえ。……私は、君の敵ではないよ。」
静かな声だった。しかし油断はできない。
「その言葉が真実だと、どうして言える? 城の中で、俺が知らないものは無い。だが、俺は貴様を知らない。それに……」
「それに?」
「……。少なくとも、貴様はヒトではない。違うか。」
躊躇いながらもハッキリとそう言えば、相手は特に気分を害した様子も無く俺の言葉を肯定する。
「そうだね、私は君の城の者ではないし、ヒトでも無い。……だが、敵という立場でも無い。」
男は、まるで子供に言い聞かせるように柔らかに語る。
「それに、ここは私の世界。――部外者は、私では無く、君の方なのだけれどね?」
「俺が……部外者?」
その言葉を聞いて、俺は唖然とする。
周囲を見回してれば、そこは何とも透明な世界だった。
家具や寝具などはあるが、それらはオルゴールのような細工に似ていた。繊細で、何処か儚げな印象を与える不思議な光景だ。
確かに、ここはトロデーン城では無い。それ以前に雰囲気自体が現世のものではない。
心地は悪いものではないけれど、透明すぎて――少しばかり、居心地が悪い。丁度、上質なベッドに寝かされた時に感じたあの所在無さと同じように。

「……ここは、何処だ?」
思わず呟いた言葉に、男が静かな声で答えた。
「君は知っている筈なのだけど。」
「俺は、ここを知っている……?」
言われてもう一度室内を見回すが、どれにも全く覚えが無かった。
初めて見る場所、初めて訪れた世界だ。記憶の何処を探っても、この場所は知らない……筈だ。
こんな透明な居場所を、俺は――多分、知らない。
困惑して押し黙った俺を見て、男が溜息を吐いた。
「ああ、そうか、君は――……いや、今は止めておこう。」
男は何かを言いかけたが、眉を顰めて言葉を止めた。そして俺を見て、優しく微笑する。
「ともあれ、私に対する警戒と誤解は解いてくれるかな?」
「あ……ああ、すまなかった。少し、気が立っていて……いや、これは言い訳に過ぎないということは承知しているが……」
「ふふ、そんなに畏まる必要はないよ。君の動揺も解らないわけではないからね。」
男は何処までも優しい。……こちらが不安になるくらいに。
「そう言ってもらえると、助かる。それから……貴方に訊きたい事があるんだが、構わないだろうか?」
口調を丁寧にしたのは、この世界に汚らしい言葉は似合わないと思ったからだ。
男が、穏やかに微笑む。
「構わないよ。だがその前に、自己紹介をしておこうか。」
男は微笑したまま、近くに置いてあった銀の竪琴を抱いた。男にしては綺麗な指先が、琴線を弾いて澄んだ鳴らす。
「私の名は、イシュマウリ、と言う。」
「イシュ、マウリ……? ……俺は――」
答えようとした俺の言葉を、琴のほろりとした音と男の声が遮った。
「君のことは存じているよ。……エイト、だろう?」
「……!? 何で、俺の名前……!」
驚く俺に、イシュマウリは琴線を一つ、鳴らしてみせた。透明な音が、伸びるように空間に広がる。
「君は私を忘れて……いや。私のことを”知らない”だろうけれど、私は知っていたんだよ。ずっと前から、ね。」
「どうして?」
「そんなことよりも、エイト。君がいま知りたいのは、別の事であるべきだろう……?」
イシュマウリが寂しげに微笑して言うのを聞いて、俺はハッとなった。
そうだ、俺が知りたかったのは。

「知っているなら……教えて、欲しい。あの城が、トロデーンが襲われた理由を。あの惨劇、その原因は、もしかして……」
「……ああ、そうだ。あれは……君が、目的だった。」
自分で想像した通りの答えだったが、他者からこうして肯定されるとやはり心臓が跳ねた。
あの惨劇は、やはり俺のせいだったのだ。
「……どう、して……なのか……知って、いるのか?」
「それは――」
辛そうに唇を噛む俺を見て、イシュマウリが言い淀む。それは俺の表情がそうさせているのではなく、これから告げる言葉が凄惨なものであるからだろう。
俺は表情を引き結び、相手を真っ直ぐに見つめた。
「頼む、教えてくれ。あれが俺が原因で起きたことだとするならば、俺は尚更知りたい。いや……知っておかなくては、いけないんだ。――あの人たちのことを、想うならば。」
俺が引かないと分かったのだろう。イシュマウリが、沈痛な面持ちで溜息を吐いた。
「……。分かった。教えよう。――しかし、これだけは約束してほしい。」
「……約束? 何をだ。」
訊ね返せば、今度はイシュマウリが真っ直ぐに俺を見つめた。

「死のうと、しないでくれ。」
イシュマウリは俺に約束をさせてから、話してくれた。
明かしてくれた。あの惨劇の裏側に潜む事実を。そして、それは俺を更なる深遠に突き落とすことになる。

運命は、何処まで残酷なのだろう。
神は、何処まで無慈悲なのだろう。

イシュマウリと交わした約束の真意を、彼の残酷までな優しさを。
俺は、後から実感する。
そこに絶望の慟哭を伴って。


陽だまりの絶望