Deadly Heaven
4
「君は、己のことを何処まで知っている?」
イシュマウリは質問を投げかけてきたそれは唐突なもので、真相を聞きたかった俺は少し面食らった。
「生憎だが、俺は自分の出生を知らない。――捨て子だったらしい、から。」
けれど、俺は俺自身のことならば幾らか分かっているつもりだった。
一旦息を吐き、気を落ち着ける。
「俺は……多分、人ではない……それは、知っている。」
「……そう、か。分かっていたのだね、幾らかは。」
――俺は昔から、傷の治りが人よりも随分早かった。
おかしいな、と気づいたのは剣を習ってから。
人じゃないかもしれないと感づいたのは――戦を経験してからだった。
一度だけ、俺は戦場に出た事があった。ある時、何処かの城主に加勢を頼まれた陛下が悩んでいることがあって、俺が進み出たのが切っ掛けだった。
そして戦場で、俺は完全に知った。
俺は、人では無いと。
もっとも、その時の記憶は曖昧で、よく覚えていない。
だが、俺の中の何かが覚醒した感覚は残っていた。
「……君は、人と竜人の間に生まれた子だ。」
イシュマウリの声が、俺を過去から現世へと引き戻す。
「そう、か……。」
大して驚きは無い。俺はそれ以上の驚きをもう体験しているから。
「あなたは、俺の両親を知っているのか?」
「ああ。少しだけ。……二人とも優しく、いいヒトたちだった。君は、そんな二人に良く似ている。気高く、聡明で、美しく、勇敢で。本当に――良く、似ているよ。」
何処か遠い眼をして語るその姿は、非常に寂しげな感じだったが、俺は気づかない振りをした。
イシュマウリの話し方は、過去形。そうすると、導き出される続きは――。
「……その口振りからすると、俺の父も母も、もうこの世には居ないんだな。」
「……その通りだ。」
やっぱり、な。
感想は、それだけ。薄情かも知れないが、記憶に無いのだから悲しみようが無い。
俺は少しばかりの黙祷を捧げ、会話を続けた。
「……。では、次を聞こう。何故、城は襲われた?」
「……。」
「……答えてくれ、イシュマウリ。」
「だが……それは。」
「……約束、しただろう? 俺は、死のうとしない、から……教えてくれ。……頼む。」
縋るように懇願すると、相手が重く息を吐いて、言った。
「……龍の血には、様々な効果があると言われている。それは、知っているだろうか?」
「ああ、本で読んだことがある。童話などにもよくある……が、……まさ、か……?」
万能の薬。奇跡の雫。
子供の頃、風邪を引いたミーティアの為に探しに出かけようとしたら、周囲に止められたことを思い出す。あの頃は、血塗れの未来が待っているなど誰が想像しただろう。
「龍の血は、絶大な特効薬になる。そして……、」
ここでイシュマウリが言葉を切り、辛そうに眉を寄せ、ひと息ついてから言葉を続けた。
「そして、人と龍のハーフの血は、その希少さのせいか万物全てに効果がある神薬となる、と言われている。」
「……御伽話じゃ……なかったのか?」
足元が揺れる。ぐらぐらと。
「確かな真実は明かされていない。本当のところは誰も分からないのだよ。けれど、これらの効果は、血の持ち主の意思によって変化すると言われている。――毒にも、薬にもなると。」
「俺、次第で……?」
「ああ。使い方次第では、君一人で一つの城を……いや。きっと、国すらを落とせることだろう。」
「そんな……そんなの、って」
まるで人でなく、兵器みたいな扱いじゃないかと叫びたくなる。
けれど、それだけでは合点がいかないことがあった。
それだけが原因では無い筈だ。
それだけで、あんな……惨いことが。
一瞬、城の惨劇の眼にした全てが脳裏に浮かびかかったが、寸でのところで思考を封鎖した。
あれは、おかしくなる。それ程の威力と衝撃の記憶だから――今は、抑える。……抑えないと、俺は狂乱してイシュマウリから情報を引き出せなくなる。
眼を閉じ、視界の幕を下ろし気を静める。それから再び眼を開け、質問を続けた。
「皆が、惨殺……された、のは……何の為、だ……?」
声が震えてしまうのは、多分まだ記憶の封鎖が曖昧だからだろう。
俺の様子を見て、イシュマウリの表情に哀切のようなものが滲む。
「それは――恐らく、血を調べていたのではないかと。」
「血、を?」
「そうだ。それとも……これは、仮定の話だが。もし、血の持ち主が居るのならば、死者を蘇らせようとするだろうと考え、誘き出す為に、そうしたのかと――」
そんな。
じゃあ、あれは。
あの惨劇は、俺を誘き出す為に……ただ、それだけの為に、行われた、と?
城内で見た光景が、脳裏に浮かんでくる。今度は、完全に。
飛び散った血、肉片、人であったものが解体されたような様であちこちに転がっていた。
赤、赤、赤。
何処もかしこも赤で汚れ、汚され、彩られ。
血の池の中に、仲間が、部下が、友が、家族同然だった者が、物のように散らばり、捨て置かれていた。
子供も、老人も、男も、女も、問わず無差別に殺戮の刃で裂かれ、原形など、何も無かった。建物以外には。
四肢ごと、壁に貼り付けにされた陛下、寝室で酷い仕打ちを受けて絶命した姫。
それら全てが、俺の為に。
俺の。
俺の、せいで。
愛しい者たちの変わり果てた姿が、全て完全な映像となって蘇る。
黄泉返ってくる――今度は、完全に。
「う、あああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ――っ!」
「エイト!」
頭を抱え、俺は絶叫した。
何という事実、何という理由。
そんな為に、あの人たちは殺されたのか?
そんな為に、あんなに惨たらしい目に遭ったと……遭わされたと、いうのか?
こんな……。
こんな、誰も守れない下らない奴の為に!
「あああああああああっっ! うわ、ああ、っあああああああああああ!」
「エイト、落ち着け! エイトっ――……!」
赤が、思考を侵す。様々な死が、脳裏を過ぎる。
気が狂う。おかしくなる。
全てが、歪む。
俺が殺したようなものだ。
俺が居たから。
俺のせいで。
――俺が殺した!
「俺、が……! 俺が、俺の、せいで、俺の、為に、俺っ……!」
「待て、己を責めるな! それ以上は考えるんじゃない、エイト――!」
もう涙なんか出ないと思っていたのに、瞳から、いや身体の奥から感情ごと崩壊するように溢れ出す。何かが。
暴発する、全てが。何もかもが。
見かねたイシュマウリが、身体を包むように抱きしめる。
けれど、慟哭は止まらない。――止めることなど出来そうにない。
「皆が……っ……俺、っ……俺の、せいで俺、が……殺した! 殺されたのは、俺が居て……俺のせいで……俺がっ……皆を、陛下を、姫を、殺した!」
「エイト、駄目だ、エイト。そのままでは壊れてしまう――」
イシュマウリは、もう片方の手で側にあった銀琴を引き寄せると、旋律を奏で始めた。
細やかな流曲線を描いて柔らかな音が室内を満たし、微かな光の煌きが二人の周囲を漂いはじめる。
それは、愛しい人たちが遺した言霊だった。
『エイト。貴方と過ごした時間を、私は忘れません。』
『ワシらは、お主自身を誇りに思う。……永遠にな。』
『貴方は、何があっても生きてくださいね。』
『愛しておるよ、エイト。ワシらだけでなく皆、御主を愛しておった。……それだけは、忘れぬようにな。』
最期まで優しく気高く、死を目前にしても恐れずに、彼を護り通してくれた人たちの想いが、エイトを徐々に正気に返らせてくれる。
『愛してます、エイト。』
透き通った幻影がエイトの前までやってくると、その手を伸ばして頬に優しく触れた。
微笑む彼女は、もはや幻。
けれどエイトは大粒の涙を流し、その手に己の手を重ねるようにして呻く。
「あ……あぁ……ミー、ティア……っ」
忘れるものか、忘れられるものか。
忘れる事など、許さない……許すものか。
きっと俺の正体に感づいていただろうに、忌み嫌わず、優しく普通に接し、愛してくれた。
こんな俺を、誇りに思うと言ってくれた。
死へと誘った俺に、生きろと言ってくれた。
愛している、と……言ってくれた。
「うああ……ああああああ――」
最期まで、俺の身を案じ、笑顔でいてくれた貴方たちを、俺は忘れない。
永劫、胸に抱いて……魂に刻み込んで、生きていく。
生きていかなければ、いけないんだ。
そう彼らが願ったから。
願われたから、生きなくては。
守ろうとしたものに守られ、死に損なってしまった俺には相応しい祈り。
なんて酷い……約束。