Deadly Heaven
6
”忠誠は 我が誇り”
そんな言葉が描かれた軍旗が貼り付けられた壁の前で、俺はそれを冷める思いで見ていた。
ここは軍の司令部やら何やら、様々な機関が集束している場所。そんな面白味の無い所に、俺は所属している。
規律正しく、真面目以上の真面目しか無く、愚かで下らない輩共が居る空間。
傲慢、虚栄と、偽りの栄光が交錯し、無駄に、ごてごてと虚飾された世界。
そう、これが俺の世界。ココが、俺の居場所。
――全てが馬鹿馬鹿しく、その中で呼吸するのすら、耐え難い世界。
何故、世界がこうなってしまったのかは、誰も知らないし興味なんか無いだろう。
実際、気づけばこうなっていた。日常なんて、そんなもんさ。
発端も、終焉も。
いつか始まり、いつか終わる。誰も知らぬ内に、気づかぬままに。
そんな世界で生きている――いや、生かされているんだ、俺たちは。
◇ ◇ ◇
戦場に死神が現れたのは、何時の頃か。
闇を纏い、死を量産する化け物だというそれに、何故だか人は皆、幻惑され魅了されるという。
幻惑? 魅了?
血飛沫が飛び交う生臭い戦場だというのに、そんな感情はどこから生まれてくるのか気が知れない。素顔を間近で見た者など居ないと言うのに、噂だけが増幅し、広がって。
そしてそれは――俺の居る領域にまで、届く事となる。
「はぁっ!? 死神だぁ!? ……それ、本気で言ってんのか?」
「冗談など言わん。」
マイエラ院内の執務室。
俺は、腹違いの兄兼所属団団長のマルチェロと差し向かい、戦況の報告等をしていたのだが、その中で不意に聞かされた言葉に思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
ちなみに、これはちょっとした作法違反とかだったりする訳だが、まあ、とは言っても今ここには俺と奴の二人のみが居るだけなので、咎められることは……有るけど。こいつに。
しかも二人きりだから、手加減ないし。
いや、そんなことよりも、今はその無作法の原因を作った会話内容が先だ。
「いつ頃”それ”が現れたのかを知る方法は無いが、事実、”それ”は居る。」
相変わらず息が詰まりそうな生真面目ヅラで、けれど馬鹿みたいな話を言うマルチェロの様子に、俺は肩を竦めるしかなかった。本当は笑いたいところだが。
「……その、”死神”サマが居るって? おいおい勘弁してくれよ……アンタ、そういう類のもんは一切信じてないんじゃなかったのかよ。」
教会所属の騎士団団長の癖に、こいつは神などとといった超自然なものを信じていないし信仰すらしていない。……ま、この辺は俺も同じなので良しとしておいて。
そんな人間の口から、「死神が居る。」などと聞かされても、正直、どう反応したらいいのか分からない。もっとも、俺たちはあまり仲のいい兄弟ではないから、俺が何を返しても相手の機嫌を損ねてしまうわけだが。
「お前の耳にも、届いている頃だとは思うが?」
そう言って、マルチェロが片眉を上げて、俺を見る。
「……まぁ、そういうような報告書は見たけど、よ。」
朝方、地方の小寺院から持ち込まれた報告書に、それに関する記載があったのを見たばかりだった。
――けれど。
「そうは言ってもな……報告を受けただけで、俺は見てないんだ。だから、真偽の判別は付かねぇよ。第一、胡散臭すぎ。」
俺の言葉のどれかが気に障ったのだろう。ふん、とマルチェロが鼻を鳴らして気色ばんだ。
「お前の判断など、どうでも良い。私が言いたいのは、奴の捕獲について、だ。」
「捕獲……だと?」
死神を、か?
「そうだ。奴はどこにも属しては居ないようだ。だから、捕らえて私のものにする。……あれは、何物にも換えがたい戦力になるだろうからな。」
まるで野生の獣でも捕らえるような語り口調に、俺は口端を上げて呆れるように首を振ってみせた。
「――はっ。良いんじゃねぇの? まぁ、その死神サマってのがそう易々と捕まえられるんなら、な。」
全く、馬鹿らしい。
「さて、と――じゃ、報告も済んだことだし。俺は下がらせてもらうぜ?」
そう言って、部屋を出ようと踵を返しかけたところで、俺の背にマルチェロの声が飛んだ。
「待て、まだ話は終わっていない。」
足を止めて、振り向く。立場上、相手が上なので仕方ないのだ。怪訝そうな表情になった俺の視線の先にあったのは、何かを企んだ策士のような歪んだ微笑。
「これは、お前の任務だ。」
「はぁっ!?」
素っ頓狂な声も二度目となると、更に甲高くなるもんだな――と、俺はどうでも良いことを思った。
「死神捕獲の任務って……おいおい。性質の悪い冗談止めろよ。」
「冗談は言わん――最初にも、そう言った筈だが。」
「正気か、アンタ? そんな、空想かつ荒唐無稽な噂なんかを、信じてるのかよ?」
「噂だろうが何だろうが、戦力としてみればそれは貴重な逸材だ。死神だの何だの正体なぞ、どうでも良い事。……私の欲するのは、力。それのみだ。」
「……で? 何で、そのキチョーな任務を俺に下さいますわけで?」
俺の冷めた眼の問い掛けに、向けられるのは嘲笑めいた笑い。
「生憎と、今は忙しい時期でな。……暇そうなのは、お前だけだ。」
いちいち癇に障る言い方をしてくる奴だ。
でも、まぁ――この鬱々とした空間から開放されるだけでも、良いか。
そう思考を切り替えた俺は、その嫌味をさらりと受け流しつつ、深々とわざとらしく御辞儀をして、こう答えた。
「それは、有り難き幸せ――さすれば、団長殿の御意志御望みに添えるよう、心身ともに任務に努めさせて頂きます。」
普段使い慣れない言葉を使って、少しばかり舌を噛んでしまったが、その後で非常に悔しがってる顔のマルチェロを見れたので良しとした。
どうやら、俺の反応が想定したものじゃなかったようだ。
……まあ、当然な反応か。奴のこんな顔が見れるのならば、少しくらい舌を噛んでも構わないと思うことにした。
しかし、死神サマ捕獲の任務とはな。
人々を幻惑の虜にし、魂を魅了で束縛する”死神サマ”ってのは、さて一体どんな奴なんだろうな。俺は色々な想像をしながら、マイエラ院内の廊下を意気揚々とした足取りで歩いていった。
この時点で、俺はその任務を甘く見ていた。軽んじていた、と言い換えても良いだろう。
そう、俺は愚かにも、それは容易いものだとばかり思っていた。
――事実は全てに於いて、それ以上に深く。
深遠の中のように、渾沌としているものであるなんて。
それは、哀れで痛々しいほどまでに悲しく、儚いまでに孤独な龍の話だとは、その時の俺はまだ気づくことがなかった。