Deadly Heaven
7
戦場というものは、正直言って気持ちの良いものではないし、居心地は最悪だ。
それが例え最低の世界で行われているものだとしても、価値は変わらない。
犠牲になるのは、大概が無辜の民草。
剣と剣のぶつかり合う音、騎馬の蹄、嘶き、怒号と歓声、戦火の渦。
混じるのは、人々の慟哭。
鬨の声が鳴り響く。迎えるは死の葬列。
光を求め、平和を、統合を盾にして行われるのは唯の欲望行動。
人など、こんなものだ。
けれど。
「本当にこんなものだったのか、人は……?」
◇ ◇ ◇
「――。」
頬に付いた誰のものとも知れない返り血を手の甲で拭って、俺は戦場から少し離れた場所に立っていた。離れていても、嗅ぎ付けるのは、何処か甘ったるい感じのする、死の匂い。
戦いを乞うような、鍔鳴りがする。
唸る人の声は、陰鬱な感情のみしか含まれていない。それら全てが耳に届き、唸るように大気に響き渡る。
俺は、それに惹かれるように、呼ばれるように――喚び出されるように、足を向ける。
まるで、誘蛾灯に誘われる蛾の如く。
人々の……いや、既に人で無くなった者たちの思念が、足元に絡むように纏わり付く。
救いを求める受難者のそれは、既に遅すぎたもので、かといって生前にそれをしたとしても、俺は何もしないのだろう。
慈悲を、救いを乞う相手が違うのだと、諭すのみ。
俺がする事と言えば、きっとそれだけ。
そんな事を思いながら、塵芥を踏み砕き、戦火の残る地を歩いていた時だった。
「――……っ。」
悲鳴を聞いた気がした。
立ち止まり、耳を澄ませば、それは確かに人の声。それも女性の。
どうやら何かに――人かモンスターか知らないが――襲われているらしい。
現に、今度はしばらくして「助けて」と人の声が聞こえた。それは、通常の人間の聴力では聞き取ることが難しいものだろうが、生憎と俺はヒトでは無いから。
――人じゃない俺が居たから、城の皆は……。
沈みかけた意識を、再び聞こえた悲鳴が中断してくれた。
声のする方向を見て、考える。
赤の他人を助ける必要が、あるのか?
恩義も義理も、何も無いのに。
だが、そんな考えとは裏腹に、足は自然と声のする方へと向かう。
助ける為に――?
……わからない。
俺は、自分のことなのに、自分の行動が分からないでいた。
◇ ◇ ◇
着いた先に居たのは、モンスターではなく人だった。
人が、人を襲うところだった。
女性の周りを取り囲むように、数人の男共が居た。その身なりから、恐らく敗残兵かと見受けられた。いやこの場合、追い剥ぎか?どちらにせよ、下らない連中だということには変わりない。
それに、人が人を襲うなんて別に珍しく無いことだ。この歪みきった世界では、それは通常にして、よくある事なのだから。
よく見ると、女性の前に、別に男が居た。
男共から守るように、彼女の前に立つ青年が一人。
赤い服に身を包み、状況が不利にも関わらず、悠然と立っている。俺はその青年の立ち振る舞いを見て、一般人では無いと思った。
纏う空気と構え方から、それは傭兵のものでは無い。もっと上の――騎士辺りか。
何にせよ、これで俺の出番は無くなった。
後は、この騎士”殿”にでも任せて、俺は俺の道に戻ろう。
ところが、踵を返しかけたところで、状況が少し変わった。物陰から仲間らしき男共が更に湧いて出たのだ。文字通り、虫の様に。
一対数名が、あっという間に一対十余りになったのを見て、青年騎士の顔色が若干、苦々しいものに変わった。まあ、心中は察するが。
だが俺は、こうも思う。自分の手に負えないものに、迂闊に手を出すなと。
そりゃあ初めは、この程度でこの人数ならいける、と思ったからこそ女性の前に立ったんだろうが。
――詰めが甘い。ああいう類は一匹見たら何匹もいるものなのだと、予想しておくべきなのだ。
青年騎士が肩越しに女性に振り返り、何か言葉を囁くのが見えた。
そよ風にすら掻き消されるような、音の無い会話。
けれど、俺には聞こえる。
聞こえてしまう。その内容が。
「俺が奴らを引き止めておいてやるから、あんたは逃げるんだ。」
「でも……っ!」
展開される、ありがちな会話。……下らない、と思った。
けれど――……。
それを聞いた瞬間、立ち去りかけた俺の足が止まることになる。
聞く気は全くなかったのに、聞こえてしまった会話。
俺の足を止めたのは、男が次に言った台詞の一部分。
「俺の事は良いから、逃げるんだ――”ミーティア”。」
「――っ!」
懐かしい名前が、かつての残像を呼び覚ます。
眠りから起こされるのは、ヒトであった頃の記憶。俺の僅かに震える手が、我知らずと剣を抜く。そして、ほとんど無意識に、そこへ歩いていく。
人違いであったとしても、その名は、俺を動かすだけの力があった。
強い引力に惹かれるように。
今も色褪せぬ幻影とともに、輪の中へと向かう。
その行動は、きっと助ける為に。
今度こそ、助ける。
助けてみせるから――ミーティア。