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Deadly Heaven

8



任務の途中、何となく通りがかった道で、女が男たちに襲われかけているのを見かけた。
それは、俺がよく行く酒場で働いている女だった。
そのまま通り過ぎることなど出来なくて。
少しばかり剣に自信があったのも拍車を掛けてしまい。
……迂闊に手を出したのが、不味かった。

敵さんは、まあ流石、何と言うか――しぶとく生き残った敗残兵らしく、無駄に居た。
残り……いや、追加が。
兄貴に、もう少し考えて行動しろ、と毎度言われていたのを思い出した。あの小言を喰らっている時は、全く聞く耳持たなかったのだが――この段になって、まさかあの説教が身に沁みるとは何てことだ。
俺は自分の情け無さに溜息を吐きかけたが、女性の手前、それは心の中で実行した。

……で、だ。
この場を、さて、どうするか。とはいっても、こんな状況下で浮かぶ方法は一つしかない。
俺自身を囮にして、女を逃がす――だ。
ま、仕方ない。もっと先を読んで行動すれば良かったんだろうが、こうなっては後の祭り。後悔なんて、何の役にも立ちやしない。無駄な時間を使ってる場合じゃない。
それならば、せめて何処までも潔くありたいじゃないか。女性の手前ならば、尚更。
――いや、死ぬ気なんて更々ないがな?

しかし……上手く逃げ切れるかね、俺……。
まあ、足は速い方なんだがな。御蔭様で。


◇  ◇  ◇


そんな事を考えながら、ひとまず背後の女に向かって「逃げろ」と言った。そして前方に向き直り、剣を構え、さあ誰から相手してやろうかと男たちを見据えたが、状況が不利なことに変わりは無い。数人を相手に何とか戦ったものの数が多すぎた。
何人目かのところで息が上がり、よろめいたところを突かれる。相手の斬撃を、ぎりぎりのところでかわせたが……利き腕をやられた。
思わず剣を取り落としそうになるのを耐えたが、地に片膝を付いてしまった。
慌てて何とか体勢を立て直そうとしたところに、襲い来る第二撃。それは、今度はかわすことが出来なくて。

「ククール!」
女――ミーティアが叫ぶのが聞こえた。
(……くそっ。こんなところで死ぬのか、俺は!)
あまりの悔しさに歯を噛み締めた、そんな時だった。

がくり、と。
俺に斬りかかろうとしていた男が、突如、膝をついた――と思ったら、そのまま地面に倒れた。
見ると、男は背中からばっさり斬られていた。容赦無い斬撃は残酷だが、けれどその腕前は見事、と感じてしまうほどの鮮やかさだった。
「な、何だ――?」
言葉を紡ごうとした俺の前に、人影が舞い降りた。いや、実際は立ちはだかっただけなのだが、どうしてか舞い降りたように見えたのだ。

そう、舞い降りたのだ。
優雅に、静かに、音もなく。――まるで、鳥の羽のような軽やかさで。
俺が唖然とした表情で見上げると、その舞い降りた奴はコチラに背を向けたまま、俺たちの前方に居た男たちを見て、口を開いた。

「この場を去れ。」
端的だが、それに込められていたのは恐ろしいまでに冷たい殺気。突然現れた謎の人間に、俺だけでなく男たちも暫し呆然としていたが、やがて一人が我に返り、叫んだ。
「何だ、貴様は!」
敗残兵であっても、そこは元が兵士のせいか、言葉が野党のものではない。威勢は良いのだが、しかし残念なことに声に怯えが混じっていた。
(まあ、あんな殺気を向けられたら、なぁ……。)
実際、俺もこいつの殺気に当てられて、心の何処かが震えている。闇に怯える子供のように。肺腑が凍りつきそうなほどの、威圧。色に例えるならば、それは完全な闇。
(こいつ……一体、何者だ?)
後姿を見つめる俺の耳に、奴の声が届く。

「ここから立ち去れ、と言っている。二度は無い。」
静かな声なのに、やけに響いて聞こえるのは何故なのか。男たちもそこで素直に引けば良かったのだが――元、兵士なのが災いした。
「な、舐めるなよ貴様ぁぁ!」
見下されたような感覚に男たちが激昂して、一斉に奴に飛び掛った。

「危ねぇ――…!」
が、俺の台詞が完成する前に、決着が着いていた。
俺が見たのは、……いや、見えたものといえば、一閃の太刀筋の残した光の残像。
次に、ものも言わず一斉に地面に倒れる男たちの姿。
何が起こったのか、はっきりいって分からなかった。見えたものが少なすぎたのだから。
勝敗は最初から予想がついていたが、このあまりにも速い事態の収束に、俺は息を呑むことしか出来なかった。動けなかった。まるで、金縛りにあったかのように。

「いつまで呆けている気だ、そこの。」
背を向けたままで相手が言った言葉に、俺はそこでやっと我に返った。立ち上がり、服の埃を軽く払いながら、相手を見て言い返す。
「そこの、って……お前な。まあ、良いか。ひとまず、礼を言わせてくれ。ありがとな。」
「礼など不要だ。先読みを誤ったな、貴様。……それでも騎士か?」
返ってきた相手の言葉は冷淡で、俺はさすがに気色ばんで顔を顰めつこととなる。
しかも、事実なだけに腹が立つ。何せ、自覚したばかりのことを突かれたのだから。
「あーハイハイ、それは悪うございマシタ。」
俺は顰めっ面になりながらも、女性の居る手前、何とか苦笑に戻して言い返すのだが――相手はドコまでも冷淡に攻めてきた。
「それで済んだのが幸いだがな――そのままだと、次は死ぬぞ。確実に…な。」
「……。」
死ぬ、と言われ、さすがに黙り込む。それでも相手は容赦なく、止めの一撃を吐いた。
「まあ……他人の生死など、どうなろうが俺には関係ないのだがな。」
そう言って、哂った。
嘲るように。
憐れむように。
その表情に、カッとなった。

「て、めぇ――こっちが黙っていれば、調子に乗りやがって!」
「調子に乗っていたのは、貴様だろう――先程の展開を、もう忘れたのか。」
激昂する俺に対し、相手は静かな声で言いながら無表情に俺を一瞥する。
その眼の何処にも感情は無かった。
感情どころか、何も無い――虚空と、虚無の色。

「守りきる事が出来ない奴など――……死ねば良い。」
そう言い捨てて立ち去る男の声に恐怖を覚えながらも、俺の目は尚も男の背を見つめ続けていた。その姿が、視界から完全に消え失せるまで。
恐怖で魅了されたのは、初めてのことだった。
無機質な闇色の瞳に一瞬浮かんだ哀しい色が、何故か胸に強く焼きついた。


絆を捨てきれない者