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Pandoratic Balance

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「兄様、どこです? 兄様――」

任務をサボタージュして木陰で昼寝をしていた時だった。突如聞こえてきたのは、誰かを捜し求める声。
安眠妨害――というほど耳障りなものでは無いが、そのせいで意識が覚めてしまったのだから一応これは妨害になるのだろう。
(……子供の声か? ……迷子にでもなったのかよ。)
昼寝を邪魔された俺は不機嫌な面のまま上体を起こし、声のするほうへと視線を向けた。

「……あっ。」
すると、気配に気づいた相手と眼が合う。
相手は子供ではなく、れっきとした青年だった。 濃紺の服に身を包み、腰元には帯刀。その出で立ちは、確かどこかの聖堂騎士のものだったと思う。……「だったと思う」と仮定形なのは、生憎とその手のものに関して勉強不足というか、単に覚える気が無いので、それがどこのものなのか分からないからだ。
まあ、知っても知らなくても、特に問題は無いだろう。
青年はこちらに真っ直ぐ向き直ると、騎士様特有の礼儀正しい態度で一礼した。

「申し訳ありません。御休息の邪魔をしてしまったようですね。」
見ていて胸がムカつくくらいに馬鹿丁寧な物腰に、つい顔を顰めて言い返す。
「あーあー、そうだな。俺が気持ち良く寝ていたところを、見事に邪魔してくれたよ、お前。」
わざとそんなことを言えば、相手は非常に済まなさそうな表情になって、また頭を下げた。
「……本当に、申し訳ありませんでした。こちらの配慮が欠けていたようです。」
「あ、いや……。ま、こっちも言い過ぎた。気にすんな。」
相手があまりにも綺麗な仕草で平身低頭するので、流石に罪悪感を覚えた。
目を逸らして口篭り、頬を掻いて一反省。何というか――真面目な奴を、あまりからかうもんじゃない。

「ところで、誰か探してたみたいだが?」
「あ、ハイ――……」
気まずさを回避する為に話の方向を逸らせば、相手はようやく謝罪を止め、顔を上げた。
そこで初めて、相手が中性的な美貌の持ち主だということに気づかされる。
騎士でここまで整った顔立ちの奴はそうそう居ないだろう。
(――まあ、俺のほうが格好いいけど。)
そんな青年の意外な美貌に呆けつつも、さりげなく心中で自画自賛していれば、相手が苦笑を浮かべ、質問の答えを返してきた。

「私は兄様――いえ、団長殿を探していたのです。」
「団長殿?」
「はい。あの、不躾にお尋ねしますが、肩口までの黒髪を後ろに撫でつけた、私と同じ服装をした方を見かけませんでしたでしょうか?」
「……いや、今まで寝てたから見てねぇが――」
青年の背後に視線を向けながら、言い繋ぐ。

「……お前の後ろから歩いてくる奴が、丁度そんな感じなんだが?」
「えっ――」
バシッ。

青年が振り向いたのと、その乾いた音が響いたのは同時だった。向こうから歩いてきた男が足早に近づいて来たかと思うと、振り向いた青年の頬を思い切り打ったのだ。
打つ、というよりもそれは最早「殴る」といった強さで、青年の頬は見る間に赤く染まった。
その男は、痛みに顔を歪めた青年が頬を押さえるのを睥睨しながら、吐き捨てる。
「全く手間の掛かる。……任務後は速やかに帰還しろ、と言っておいただろう。」
冷徹な声。青年は怯えたような眼差しで男を見上げ、口を開く。
「ご、ごめんなさい兄さ」
バシッ、と男がまた平手で打った。それも、同じ箇所を。

「――まだ執務中だ、副団長。」
「……申し訳ありません、団長……殿。」
青年が、打たれた箇所に手を当てながら俯いた。
頬は遠目でも分かるほど真っ赤になっていて、見ているだけで痛々しい。

「おい、アンタ! 何も、そんなに強く殴ることは無いだろうが!」
見かねて口を挟むと、男はそこでようやくこちらの存在に気づいたらしく、視線だけを向けて片眉を上げた。
「――貴方は?」
それは正しく慇懃無礼な態度そのものであり、嘲弄の感情を隠そうともしない態度は胸糞が悪くなるほどだった。
つい先程青年がとった行動と同じ属性だろうに、方向を捻るだけでこうも変わるとは。……勿論、良い方向ではなく、嫌な方向に、だ。
こちらも、聖人ではない。湧き上がる嫌悪感を隠しもせずに、言い返す。

「俺のことを訊く前に、まず自分から紹介するのが礼儀だろ。」
こう見えても城勤めをしている兵士の端くれである。だから、それなりに弁えている礼儀作法に倣った嫌味を込めて返してやった。
これには効果があったようで、男は煩わしそうに眉を顰めたが、それも僅かの間。直ぐに皮肉めいた笑みを浮かべると、嫌味たらしい口調で言った。
「……これは失礼した。私は、マイエラ所属の聖堂騎士団団長、マルチェロと申します。」
丁寧な、けれどこれ以上無い冷笑を以って答えた男に、こちらの不快感は上昇した。
言葉を返したくは無いが、かといって礼儀に乗ってきた以上は相応の答えを返さなければならない。
自分から仕掛けた以上は。
――チクショウ!

「――。俺は、トロデーン所属の一介の兵士だ。……名は、ククール。」
本当ならば名乗るのは身分だけにしておきたかったのだが、相手がキッチリ名前まで明かした以上は隠すわけにもいかない。礼儀作法に倣った俺が馬鹿だった。相手のほうが一枚上手だとは。
だが、これを切っ掛けにして、別に尋ねたいことがあった。

真に訊きたい相手――男に頬を二度も殴られた青年に視線を向けて、訊ねる。

「なあ。良かったら、そちらさんの素性も明かしてくれないか?」


◇  ◇  ◇


マルチェロが忌々しそうに顔を歪めたのが目の端で窺えたが、ククールはそれを軽やかに無視しつつ、青年のみに笑いかけたまま、もう一度同じ言葉を繰り返した。
「な。お前の名前は?」
「え? あ、あの、……。」
青年はオドオドして、マルチェロを見上げた。彼に判断を求めているらしく、どうしたらよいかといった問い掛けの視線を向けている。
それを受けたマルチェロは顰め面のまま、ふん、と鼻を鳴らして言った。
「……答えてやれ。」
「は、はい――」マルチェロの言葉を受けてから青年はククールに向き直り、答えを返す。

「……エイト、です。マイエラ所属、聖堂騎士団副団長をしております。」
「――副団長!? その年でか?」
自分より年下であろう青年が、自分より高い地位に居る事実を聞き、ククールは思わず驚いた声を上げた。その反応に、マルチェロが薄く笑う。
「何か驚くようなことでも?」
その態度が非常に見下したようなものであったので、ククールは途端に眉根を寄せて。
「……何でもねえよ。」
と、ぶっきらぼうに吐き捨てた。愛想良く出来るわけが無い。
しかしマルチェロは大して気にならなかったようで、ふんと鼻を鳴らして笑う。
「……自己紹介も済んだようですね。では、我々はこれで失礼します。」
言いながら肩越しに背後を一瞥し、命令を一つ。

「――戻るぞ、副団長。」さっさと踵を返し、マルチェロは歩き出した。
だが、エイトが速やかに行動しようとする気配が感じられないのに気づいたのだろう。肩越しに振り返ると、眉を寄せて今度は恫喝を一つ。
「とっとと付いて来い、副団長! 今度はぐれたら、承知せんぞ!」
「ハ、ハイッ!」
鋭い一喝は、痛みでぼんやりしていたエイトの身を竦ませ、正気に返らせた。
「申し訳ありません! 今、参ります……!」慌ててその後を追い、駆け出すエイト。
「――エイト!」
その背に向かって、ククールが声を投げた。
名を呼ばれたエイトが立ち止まって振り向けば、ククールが続けて叫ぶ。

「またな!」
微笑をつけて、優しく一言。
「あ、はい……」
エイトは一瞬きょとんとしたが、ククールの笑みにつられてか、微苦笑交じりに頷いた。
そして何か言い返そうとしたのだが――。

「構うな、副団長!」
「はいっ……!」
それも、マルチェロの一喝ですぐに終わった。
エイトは、もうそれ以上足を止めることなく、マルチェロの後に追い縋るように走り去っていってしまった。一度も振り返ることないままに。
それが少し惜しかった。

けれど。

「ま……アイツの素性は判明したから、良いか。」
一先ず自分をそう納得させると、再び木陰に寄って昼寝の続きを再開した。

城に戻るのは、もう少ししてからにしよう。何せ、きちんと昼寝が出来なかったのだから。
そう勝手に決め込んで、午後の仕事もサボタージュする兵士が一人。


◇  ◇  ◇