Pandoratic Balance
2
ただ愛して欲しかった。
少しでも良いから、名前を呼んで。
少しだけで良いから、抱き締めて。
それは浅ましい願いだったのだろうか?
今だ一度として叶えられた事は無く、願いを聞き届けてくれるものも無く。
思い描いた気持ちを虚ろに胸に抱く日々だけが、過ぎていく。
そうして今日も……――自分で自分を抱きしめる一日が、始まる。
◇ ◇ ◇
「未明にドニの村近辺にて発生した当院に向けてのデモクラシーですが、第二下位団員を派遣し、速やかに鎮圧致しました。尚、抵抗は完全に抑え込みましたので、以後、再発はしないでしょう。」
「……しない、では無く、”させない”だろう。」
「はっ、はいっ……、……申し訳ありません。」
「――続けろ。」
「……、はい。西方枢機院から、パルミド南東に野盗が出没。その制圧の為、我が団を貸して欲しいとの要請がありました。」
「ふん、面倒だな……が、まあいい。この機会に、恩を売っておこう。」
「……どう、しましょうか……?」
「無論、処断する。奴らの言葉に耳を傾ける事無く、な。それが一番、手っ取り早い。」
「……。」
「この件は――副団長、貴様に任せる。貴様一人で、事足りるだろう。」
「……ハイ。受け賜りました。」
「不満そうだな?」
「いえっ、そんな……ことは。」
だが受諾の言葉とは裏腹に眼を伏せたエイトに、口端を上げたマルチェロが近づいた。
そしてエイトの顎を掴むと、強引に自分のほうへと上向かせ、質問を続ける。
いや、それは質問という名の詰問だろうが。
「言いたいことが、あるのだろう? ――何だ。」
「……本当に、何でもありませ――うっ……く。」
更に強引に上を向かされ、気道が狭くなる。その苦しさにエイトは上体を仰け反らせ、呻いた。
だが、そんなエイトを見てもマルチェロは顎を掴み上げたままで尋問を続ける。
「眼を逸らすな。質問している私を見ろ。」
「ごめ、……なさ……兄、様……」
怯えた眼でマルチェロを見るエイト。双眸には涙が滲んでいる。
しかし、そんなエイトを見るマルチェロの表情にあるのは、只管に醒めた冷笑。
「――泣けば許されるとでも、思っているのか。」
「ち、違い……ます。俺は、そんな、……そんなつもりなど……っ」
「口答えをするな。」
バシッと、鈍い音が室内に響いた。
エイトが「あっ」と小さく声を上げたのと同時にマルチェロは掴んでいた顎を離した。へたり、と床の上に崩れ落ちたエイトを見下すように睨みつけ、吐き捨てる。
「目障りだ。――執務に戻れ、副団長。」
「……はい、兄さ……いえ、マルチェロ団長……殿。」
エイトは、泣くのを堪えるように唇を噛んで立ち上がると、退出の際の礼儀を欠かすことなく、静かに部屋から出ていった。
戸が閉まり、相手の気配が完全に去っていたのを確認してから、マルチェロが呟く。
「……全く……忌々しい……――。」
苦々しげに顔を歪め窓の外へと視線を向ければ、憎悪の視線がガラスに映る。
それは誰に向けてのもの?
面倒事を持ちかけてきた、西方枢機院?
その面倒事を一人で請け負うのを了承した、哀れで惨めな義弟?
――それとも。
そんな愚かなほどに健気な者の愛し方が分からない、自分自身?
憎悪と苛立ちは、誰に向けて放たれたものなのか。
……その答えは、マルチェロ自身にも分からない。
◇ ◇ ◇
「副団長。どちらへ行かれるのですか?」
武器庫で装備を整えていたエイトは、後から入ってきた部下に声を掛けられたので、肩越しに振り向いた。その際、マルチェロに打たれた方を、そっと隠す様にして。
「あ……。あの、パルミド南東の野盗討伐に。」
「ああ、例の……。しかし……もしや、副団長お一人で、ですか?」
「はい。私一人で制圧せよと、団長殿から命令がありましたので。」
「ですが……。いえ、別に貴方の実力を軽視しているのでは無くて……その、お一人では危険なのではないですか?」
相手の表情に心配げなものが浮かぶのを見て、エイトは微苦笑して答える。
「私如きの身を案じて下さって、ありがとうございます。」
「あ、い、いえっ――わ、私の方こそ差し出がましい発言を……!」
花のような妖艶な微笑にあてられ、男が動揺して赤面する。だがエイトはそんな男の反応に気づかないのか、一通りの装備を身につけると、振り返って。
「任務を遂行してきます――では。」
そう言って、呆然と立ち尽くした部下をその場に残して部屋を後にした。
自身の艶然な色香が相手を虜と化したというのに全く気づくことなどなく、憂鬱な命令に従って外の世界へ身を躍らせる。
その無防備な有様が、愚かな自覚のなさが、やがて不幸を呼び込む起因になるということも知らずに。