Pandoratic Balance
4
そうして覚悟を決めたククールは、相手が近づいて来るのを待ち受けていたのだが――……。
「……。」
掃討者の歩みは、少し距離を置いたところで止まってしまった。
その上、どうしたことか相手は何処か呆然としている様子で立ち往生している。
怯えていた男達はその態度を一様に不審がり、首を傾げた。ククールも、同じように「何だ?」と訝しんだ一人であったが、じっと視線を凝らしてみたところで、ハッとする。
相手の正体に気づいたのだ。
「――マジ、か……?」
濃紺の神殿騎士の服に身を包み顔を隠しては居たが、その眼で分かった。
自分が深く惹かれた、あの瞳は――……。
「エイ、ト……?」
恐る恐る名を口にすれば、相手が――エイトが驚いたのか、びくっと後ろへ身を引いた。
「ク、ククール……さん? な……何で。……どうして。」
「それはコッチの台詞だ。お前、何しに来たんだよ。」
言いながら酷く狼狽しているエイトに近づくと、その緊張して強張っている肩に触れて話しかける。
「こんなもの巻いて、顔隠して……勿体無ぇ。」
「――っ!」
首に巻いていた布を解かれ相貌を露にされたエイトは、更に身体を強張らせながら、ククールを見上げた。困ったような、戸惑ったような表情をしているその顔に、先程の掃討者の気配は無い。
「……あ、あのっ……。か、返してください……!」
「おっと……。何でだよ? 良いじゃないか、そのままで。」
布を取り返そうと手を伸ばすエイトを制し、ククールが笑う。
「俺は、このままのエイトが良い――それじゃ、ダメか?」
「え? この、ままって……何で……。」
「このままの方が、可愛いから。」
「な、っ……! 何を……言って……。」
瞬間、エイトが頬を紅潮させて俯いた。胸の前で両手を組み合わせ、おろおろしている。
その可愛らしさに思わず和み、頭を軽く撫でてやった。
「この程度で照れるか? ……くくっ、お前、ホント可愛い――……。」
だが、ふと何かに思い当たったのか、ククールは言い掛けた言葉を途中で止めた。
そして不審げに眉を顰めると考え込むように沈黙し、少し間を置いてからエイトを見て、訊いた。
「なあ、お前が……その、”蒼灯”……なの、か?」
そう問い掛ける声は、低い。不安に警戒する、獣のように。
間違いであって欲しいと思っていた。
けれど、答えは普通に返ってきた。
この場には相応しくない柔らかな微笑を浮かべ、エイトが言う。
「あ……。確か、まだ詳しい所属までは明かしていませんでしたね。失礼致しました。」
そして綺麗にお辞儀をしてみせながら告げるのは、悪夢のような肩書き。
「されば再度、自己紹介を。私の名前は、エイト。――マイエラ聖堂騎士団、蒼穹幻灯部隊に所属しております。」
顔を上げて、綺麗な笑みを返した。恐ろしいほどまでに、穏やかな微笑を。
……こくり、と誰かが息を呑む音を聞いた気がする。それは恐怖の為か、それとも魅了のものか。
誰もが言葉を失い、魅入られたかのように立ち尽くす中で、口を開いたのはククールただ一人。
「……こいつらを、殺しに来たのか?」
険しい表情で問い詰めるように言うと、エイトの表情から笑みが引いた。
狼狽の色が浮かんだ眼を伏せ、口篭る。
「あ、あの……私、は……。」
癖なのか、胸の前で祈るように両手を組んで惑うエイトの姿に、ククールは何故か怒りを覚えた。
声が、大きくなる。
「殺すんだろ! 違うのかよ!?」
ククールの鋭い声に、エイトがびくりと身を震わせて顔を上げた。それから辛そうに唇を噛むと、小さな声で答える。
「……は、はい……。謀反人は、全て処断せよ……と、仰せつかっております、から。」
”処断”、という言葉に、周囲がどよめく。
恐怖という剥き出しの感情が向かう先は、原因であるエイト。その強い感情をぶつけられ、エイトは僅かに後退った。
そんなエイトを、黙ったままでいたククールが腕を掴んで引き寄せた。
「……っ!」
急に距離を詰められ、エイトが息を呑んで相手を見上げれば、瞳に険の色を滲ませたククールが唸るように言った。
「処断って言ったな? つまりは、殺すってことだろ?」
エイトを腕の中に閉じ込めるようにして、詰問する。
「奴らの意思も何もかも聞かず、命ごと踏みにじって楽しいか?」
「……。」
エイトは口を噤んで何も言おうとしない。その上、眼を逸らしたのでククールが強い声で咎めた。
「眼を逸らすな! ――逸らして良いことじゃ、ねぇだろ。」
その言葉に弾かれるように、エイトが伏せていた顔を上げる。
「あ、……っ。……その、……俺っ……。」
エイトは眼の端に涙を浮かべながら何かを言いかけるが、あまりに動揺しているのか上手く言葉にならない。ただ怯え、戸惑い、ククールをじっと見上げている。
その大きな黒瞳は涙で潤み、噛み締められたことによって唇は妖艶に薄赤く染まっている。
こんな時だというのに、その哀願する姿は妙に艶かしく映り、妙にそそられるものがあって。
気づけば、無意識に相手の頬に手を伸ばしかけていた。
そこで我に返り、愕然とする。
(……っ!? 馬鹿か俺は! こんな状況で、何を!?)
何をしようと、していた?
思わず頭を振って、心中に澱みかけたモノを払拭する。
イライラした。
こんな状況なのに、エイトに見蕩れた自分が。――こんな姿態を見せる、エイトが。
そんなククールの苛立ちなど気づかないエイトは、項垂れたまま目を閉じた。
そして自分の腰の帯剣に自然と手が伸びるのを感じながら、唇を噛み締めて沈黙する。
(駄目だ、止めろ……っ嫌だ……嫌だ、もう……人を、斬るのは……っ……)
震える手、足の先から身体が冷えていく。
ククールの言う通り、命を踏襲する行為は辛かった。けれど、でも。
そうしないと、嫌われてしまう。あの人に。
兄様が、見てくれなくなる。昔みたいに。
役に立てないと見放される。
捨てられたら、俺は――独りに……。
(嫌だ! 兄、様……っ……兄様、俺は……俺は――!)
エイトは何かを振り切るように、ぎゅっと強く唇を噛み締めると、顔を上げて呟いた。
「……乱す者には、粛清と……静寂、を。それが、私、の……属する場所の掟……です。兄様が……そう、望む……から。」
唇に血の玉を浮かべて、抑揚の無い声で継げる言葉は沈んだ決意。
「な、に……? エイト、お前――ちょっと、待て!」
がらりと声音の変わったエイトに、ククールが怪訝に思って視線を向けた時だった。
キンッと。
抜刀する音と共に煌いたのは、つい先刻のあの凍て付いた殺気。
刃よりも鋭く怜悧な気迫。
「エイト!」
刃の一閃をどうにかかわし、後退りながらククールが叫ぶが。
「――従わない者は、切り捨てる。静かな死へ逝くか無様な生に縋りつくか……選ぶが良い。」
そう言い放つエイトの相貌からは、感情は消え失せて。
あるのは、冷酷な波動。それだけが向けられる。
そうして今、目の前に立つ。
”掃討”という名の殺戮者が。