Absolute Emperor
2. 遭難迷子、遭遇不遜
目を覚ました俺がまずとった行動は、自己の確認だった。骨が折れていないか、血が出ていないか。そういった怪我の有無を調べたが、驚いたことに軽い打撲だけで済んでいた。
気味が悪かったが、笑ってしまった。その、運の良さに。……そもそも、本当に運がいいならこんな事態に巻き込まれていないわけだが。何が起きたかわからないままだったが、それでもこうして無事だったので……運について考えるのは止めておこう。
「……一応、ツイてるんだよな? ……ははっ。」
そういうふうにまとめて、取りあえず笑っておく。そう呟くことで不幸の影を振り払っておきたかったのだ。
それから落ち着きを取り戻した後で、ようやく辺りを確認した――訳、だが……。
◇ ◇ ◇
「な、……んだ、こりゃあ!?」
視界の前に広がっているのは、岩、岩、岩、も一つおまけに岩。
しかも周囲はやけに靄が多くて、道なんか空中庭園みたいになってる。ちなみに、下がどうなっているのかなんて考えたくも無い。見る気はないし見たくもない。
「つーか――ここはドコだぁ!?」
叫んでみても、声は空しく周囲に響くばかりで誰の返事も無い。
「……こういう場合は、じっとしてたほうが良い……の、か?」
首を捻って、考える。
進むか、戻るか、留まるか。――散々悩んだが、前に進むことにした。いや、単に後ろが洞窟だったんで、得体の知れないほうに進むのならば、目の前にすっと伸びてる道を選んだ方が無難だと思ったからだ。……確信は無いが。
まあ、アレだ。男の勘ってやつ?
そんなこんなで葛藤しつつも、行く当てもないままにとにかく道なりに進んだ。
目の前に広がる光景といえば、長い長い道。
それから、岩、岩、岩。止めに靄、靄、靄。モヤモヤ。なんつって。
……悪い、ジョークだ。……しかも笑えねぇし。
このまま行けども行けども道が続いてたら、さすがに引き返して洞窟の方に行こうか……と思い始めた頃に、景色に変化が出た。
道の先に、何かが出現した。近づいてみると、それは何と――墓石。表面に何やら文字が刻み付けられていたが、古いせいもあって所々掠れており、何が書いてあるのか解読不能になっていた。
【エ……リオ ここに 眠る……】
辛うじて読めたものといえばそれだけで、誰の墓なのかは分からなかったが、謎のままにしておいた。
謎解きに興じている余裕は無い。何故なら、下手をすればその文面は俺にも当てはまる状態だから。
『ククール ここに眠る』……とか。
いや、この状況下だと名無しのまま埋められそうだが。
「……冗談じゃねえ!」
頭に浮かんだ嫌な想像を振り払うと、その場から逃げるようにして道の先に進んだ。
やがて、岩の門が現れた。
城塞のようにそびえ立つ頑丈そうな造りと威圧感に怖気づきそうになったが、勇気を出して押してみた――が、びくともしない。
「鍵でも掛かってるとか? うわ……マジかよ。」
見たところ、呼び鈴やライオンの飾りがついた輪っかなんかって洒落たものはない。強固な岩壁が、かべえええっとばかりにあるだけだ。
「はぁ~……どーするかな。」
この岩門の前で、声を張り上げてみようか。それとも潔く――格好悪く――よじ登ってみようか?と思案していた、その最中に門が、開いた。あっけなく。しかも、内側から。軋む音などは、無く。
ぎくりとして身構えた俺の前に、いつの間にか一人の人間が立っていた。
逆光のせいで、顔は良く見えない。相手は両腕を組んで悠然とした格好で、俺を上から下まで眺めた後、話しかけてきた。
「何だ、人間じゃないか。それも、”動いてる”。」
「……生きてんだから、動いてんのは当たり前だろ。」
疲労もあって、俺は愛想悪く答えてしまう。礼儀なんか、くそくらえ。ぶっきらぼうな声で返せば、相手――男か?――が、口端を上げて笑うのが見えた。
「はは。言葉まで話す、か……面白い。お前、名前は?」
「……は?」
「名前。無いのか? あるのだろう? それとも、名無しか?」
「いや、あるけど、よ……」
「では名乗れ。」
居丈高に言われて少しムッとするが、何故かそれ以上に強く出ることが出来なかった。
コイツが纏う、尊大だが高貴な空気は一体何なんだ? 岩壁の門に感じた威圧感とは全く違う――いや、それ以上の気配があった。完全に気圧されてしまった俺は、正直に名前を名乗ってしまう。
「……ククール、だ。」
「ふぅん。ククール? ……良い響きだな。」
「褒めてもらって光栄だが、そういうお前は?」
「ん? ああ、俺か。俺の名は、エイト――この里の、護法龍だ。」
「里? ……え? は? ――護法……龍!?」
俺の馬鹿みたいな驚きように、踵を返しかけていたエイトが足を止めた。振り返ったエイトは目を細めていて、艶然と微笑む。
「うん? 龍を見るのは初めてか?」
逆光の無くなった視線の先、そこにあったのは言葉に出来ない程に眩しい至高の美貌。それがまた恐ろしく妖艶すぎて、ゾクリとした。
何だか俺はとんでない場所に迷い込んじまったんじゃないか、と思ったが、逃げ道など無く、帰り道すら分からないこの状況ではどうすることも出来ない。
選択は、唯一つきり。
この青年――エイトに着いて行く。
ただ、それだけしかなかった。