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Absolute Emperor

5. 外に惹かれた君主、縋るは王



「――帰ったぞ、王。」
竜神王のいる空間に、覇気のある強い声が響いた。足音と共に、煌く気配が室内に満ちる。
その周囲の変化はまるで、絶対君主の帰還を告げるような。
竜神王が顔を上げて見遣れば、エイトが此方へ真っ直ぐに歩いてくるところだった。
そのエイトのどことなく嬉しそうな表情を見て取ると、少し沈んだ声で相手の帰還に応じる。
「……速かったな?」
「うん? 何を言う。早く帰還するというのが、確約だった筈だが。」
「……ああ、そうだったな。うむ……。」
「……王?」
エイトが首を傾げて、竜神王に近づいた。
何かを訝しむように眉根を僅かに寄せ、言葉を返す。

「どうした、随分と覇気が無いな? 言いたいことがあるのならば、今のうちに言っておけ。」
そう問うも、相手は首をゆるりと振って苦笑しただけだった。
「いや――……地上は、どうだった?」
「どう、とは? ……ああ、それなりに愉快なものが見れて楽しかったな。やはり、書物で読むのと実際に見るのとでは大きく違う。」
「そう、か。……興味を持ったか?」
「ん? ああ、まあな――」
エイトはそこで、竜神王の声音が暗く沈むのに気づいて何か言いかけようとしたが、一先ずそれには気づかぬ振りをして、相手の質問に応じることにした。

「――興味は生じた。故に、また降りに行くつもりだ。そうだ、今度は何か土産でも持ってこよう。地上には意外と珍しいものが多そうだった。……竜神王、何が良い?」
「……。」
嬉々として語るエイトとは反対に、竜神王の表情はやはり影が差していて。
反応を返さず、眼を伏せて項垂れた竜神王を見て、エイトが更に首を捻って訝しむ。
土産だけでは足りないのだろうか?

「そう黙りこくって、どこか具合でも――っ」
エイトが沈黙した相手の顔を覗き込んで訊ねると、急に強く腕を捕られ、そのまま深く抱き込まれてしまった。
強い力の抱擁に、エイトは僅かに眉を寄せる。
相手の顔を見上げようとするも、それを阻止するかのように胸に押し付けられて叶わない。
抱擁されるのが不快というわけでは無いのだが、少々息苦しくて困った。
「……本当に、何だ。どうしたんだ、竜神王。」
自分の声が篭り、変に反響して聞こえるのに眉を顰めながら声を掛けるも、返事が無い。
さて。これは一体どうしたものか……と。
王たるものの腕の檻の中で、エイトが逡巡している時だった。

「……なのか……」
ようやく聞こえた声は、しかし弱く掠れており、一部しか聞き取れない。
「何だ? よく聞こえない。もう一度言ってくれ。」
そう言って促すと、相手は項垂れたままの姿勢から切なげな声で呟いた。
「お前も――エイトも、あれの時と同じように、離れ行くのか。」
王のそれは問い掛けるというよりも、うわ言に近いものだった。
エイトは彼の腕の中で、無音の溜息をそっと吐く。身体の力を抜いて相手にその身を委ねる形をとってから、言葉を返す。

「過去を悔いるのは良いが、それを俺に重ねて見るのは止めろ。……俺に母を重ねるな、竜神王。」
エイトの台詞に、竜神王がびくりと反応した。
その硬直を服越しに感じたエイトが、また溜め息を吐く。今度の吐息には、音があった。
今の言の葉のせいか、抱く腕に力が篭ったのを認めながら、エイトは内心でやれやれと嘆息ついて小さく肩を竦めた。
何だか、寂しがり屋の子供にでも縋りつかれている母親のような気分だ。
もっとも、自分が物心着く前に母は他界しているので、その感覚は不確かなものなのだが。
けれども、恐らくはこんな感じなのだろうな……と。そんなことを思いつつ、エイトは竜神王の背に手を回すと、あやすように撫でながら言葉を紡ぐ。
「一体何を気落ちしているのか。王らしくない。……まあさりとて、別に悪い事では無いのだがな。」
甘えられるのは嫌いではないし、高位の存在にこうして縋り付かれるのも悪くはない。
自分の存在の在り様が、確認できるから。

「まあ、その……竜神王? 出来れば、もう少し力を抜いてくれると、呼吸がし易くなって助かる。」
そう言って軽く咽せながら、くつくつと笑ったところで、相手が慌てたようにエイトを解放した。
「む、済まぬ。そんなに力が入っていたとは……。大事無いか?」
心配げな顔をして話しかける竜神王に、エイトが弾けるように哄笑した。


◇  ◇  ◇


面白い、と思った。
この世界には、まだまだ自分の知らないものが多くあり、多く存在しているものだと実感した。
自分は結構な刻を生きてきたが、かなり無駄に過ごしてきたのだと痛感し、歯痒く思った。
閉鎖空間は、えてして自分の世界を狭くする。
見聞も、意識も。

ああ、何と勿体無いことをしてきたものか。
箱庭の寵児。
籠の中の鳥、孵化する前の仔が目覚める。

「世界は広い――……面白い刻が愉しめそうだ。」
そうして浮かべる笑みは、全てが平伏すような極上の微笑。

刻が動く。
眠りから覚めた君主を迎え、その前に跪いて粛々と。
全てはその世界で唯一高慢な存在の為に。