Absolute Emperor
6. 傲岸君主と騎士団長
たまたま通りかかったその建物の前で、エイトは不意に足を止めた。
それから顔を上げると、眼前の建物の外観をしげしげと眺める。
第一の感想は、あまり大きな建物では無いな、だった。
何せ、これ以上に大きい存在を知っているだけに、その建物はむしろ小さく見えて。
「ひとひねり」という言葉が思い浮かび、つい忍び笑いが零れる。
それから、ふと考えた。
何故、興味など湧きそうも無いコレに、自分は意識を向けたのだろう?
どうして、足を止めたのだろう?
その建物の入り口で、そんな事を黙々と考えていた時だった。
うっすらと笑みを浮かべながら、佇む姿が悪かったのか、門前に居た人間の目についたらしい。
相手は厳しい表情で近づいて来るなり、大きな声で叫んだ。
「貴様、何が可笑しいか! 無礼だぞ、神聖な当院を見上げて笑うとは!」
(はて。この姿は、何処かで見たことがあるな――?)
兵士の青い服に、ふと何かの引っ掛かりを覚えた。
尚も側で怒鳴る相手の言葉を無視し、エイトが別な方向に思考を巡らせる。
コレとよく似たものを、つい最近にも見たことがある。
――何処で?
ああ、そうだ。”コレ”は……。
ククール、という者が身に纏っていたのと、似ている。
色こそ違えど、この作り、この形。
(するとここは、ククールと何か関係があるのか?)
石造りに十字架のシンボル。教会だったか、寺院だったか。確か神に祈りを捧げる場所がそう呼ばれているものだった、と過去に読んだ書物のどれかに載っていた知識を思い出す。
(しかし――……神聖、だと? この場所が?)
纏う空気、放つ気配は穢れて淀み、歪んでいるものばかりだというのに。
神聖、と言いのけるか?
ココを。
自らを。
「くっ……はは……――ははははははっ!」
堪らず、エイトが哄笑した。
挑発。嘲弄。当人にそう言うつもりが無くとも、その行為は到底、好意的には取られなかった。
門番騎士たちの顔に、怒りの――否、それは既に激怒といっていい――色が浮かび上がった。
「このっ……怪しい奴め! おい、俺はコイツを尋問室へ連れて行く。お前は、団長殿を呼んで来い!」
そんな会話を聞きながら、エイトは腕を捕られて中へ引き込まれたが、けれどこの先の展開が愉しみだったので、特に抵抗もせずに大人しく連行されてやった。
「こんな愉快な輩を率いる頭目とは、これら以上に愉しませてくれるのだろうか?」――そんなことを考えながら、自身の顔に浮かべている笑みを、一層深くした。
◇ ◇ ◇
「――ようやく来たか、頭目殿が。」
怪しい奴を捕らえたので尋問して欲しい、と部下に言われて、マルチェロが地下の尋問室に赴けば、中へ入った瞬間に、不遜な笑みを浮かべた相手の声に出迎えられた。
それは地下の暗い中でも輝いてみえるような気配と凛とした強さを纏い、その姿は悠然と片足を組んだ姿勢で、こちらを見据えて座っている。
――”これ”は、何だ?と思った。
室内の周囲を見渡せば、側の壁に鞭や短剣など簡単な拷問を施せるものが存在しているし、また微かに血の跡も飛んで残っているというのに、それらが見えてはいないのだろうか。
それとも単に、状況把握能力の低い愚かな旅人だろうか。
そんなことを考えながら、とりあえず相手の前に差し向かい合うように座れば。
「茶は出ないのか?」と言われ。
その場に居た全員が、目を丸くした。
恐らく自分も、同じような表情をしたと思う。
その反応を見て、相手が笑った。
くすくすと、まるで子供のように。
「ははっ。どうした、皆揃って。何か可笑しなことを言ったか?」
艶然とした微笑、室内に響く声は深く低く、耳触りが良い。
「……。これは奇怪なことを言う。」
マルチェロは、見蕩れそうになった自身に舌打ちしながらも、それを打ち払うように机上を拳で強く叩き、唸るように言い返した。
「ココがどう言った用途で使用される場所なのか、知らないようだな?」
上辺だけの慇懃銀無礼な言葉遣いをする気は、最早ない。
それよりも、自分が置かれている立場をキチンと理解させてやろう。そう考え、これ見よがしに壁に掛けられた一部の拷問器具に意味ありげな視線を送ってみせるも、しかし相手は怯む様子など一切無く、口元に手をそっと当て、また艶やかに笑った。
「……何が、可笑しい?」
眉根を寄せて睨みながら問えば、相手は緩やかに首を振って。
「ああ、気を悪くしたのなら謝罪しよう。すまないな。」
「……私は笑った理由を聞いているのであって、謝れとは言っていない。」
「うん? 俺が笑っている理由か。言ったほうが、良いのか。」
言いながら相手は足を組み直し、背筋を伸ばして言った。
「お前の声は良いな、と思ってな。」
「なっ……!?」
紡がれた言葉は、驚愕のみを与えて周囲の刻を止める。
その中で、一人。色鮮やかなままの相手が、笑みを深くして立ち上がった。
「もう少し会話をして愉しみたいものだが……しかし、この空間は気怠くて重いな。」
言いながら、柳眉を顰めて天井を仰ぐ姿すら煌々としていて様になる。
まるで、一枚の絵画がそこにあるような。
周囲が呆然といる中で、その相手が、ふっと軽く溜め息を吐いて、呟いた。
「気分が悪くなる。――帰ろう。」
「待て! まだ話の途中だろう!」
誰一人、それに魅入ったまま動かない中で、マルチェロだけが立ち上がり、出て行こうとした相手の腕を掴んで引き止めた。
「それに、誰が帰って良いと言った!」
その台詞を聞いた相手が振り向き、首を傾げる。
「俺は、自分の意思でココに来た。故に……帰るのもまた自分の意思であり、お前の許可を得る必要は無い筈だが。」
「そういう道理が通用すると思うな! 貴様に対しての尋問は、まだ終わっていない!」
「ふむ、ならば――お前の道理は、何だ?」
「な、に……?」
「物事のそうあるべき筋道、すなわち理を聞いている。お前が俺に求める道理とは?」
「……、私の道理とは、貴様のような得体の知れぬ不届き者を、厳罰に処することだ!」
そう息巻いて、マルチェロが怒鳴り返した。
静かな部屋に、きいんと怒声が鳴り渡る。
相手は僅かに目を丸くし――それから、何故か喜悦に似た微笑を浮かべた。
「少しばかり不足な箇所がある、が……真っすぐで、良い。気に入った。」
マルチェロに向かってゆるりと手を伸ばすと、その頬に触れて続けるのは命令のような言の葉。
「場所を変える気があるのならば、もう少し付き合ってやる。……どうだ?」
不変たるは不遜。虚勢ではないだろう。
「……貴様。まだ名前を聞いていなかったな?」
「訊くのが遅いな……まあ良い。俺の名は、エイトだ。それより、返事は? 否が応か、答えろ。」
相手が浮かべる表情は悪魔のように艶やかで、誘うような妖しい微笑。
問う、というよりも完全に命令する口調で言い放つ言葉は、抵抗する気すら殺ぐ強いもので。
何故それを承諾してしまったのか。
――その答えは、今でも分からない。