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Absolute Emperor

7. 惑乱ティータイム



「ふむ。意外と良い葉を使っているな。美味しい。」
目の前で、絶世の美貌を持った存在が悠々とお茶を飲んでいる。
その仕草は優雅にして鮮麗。誰もが同じようにしてみせる普通の行動なのに、仕草一つ、言葉一つが憎たらしいほど美しい。
それゆえか、視線が、意識が惹き付けられ、離れない。

否――逃げられない。

「ん? 何だ。俺の顔に、何か珍しいものでも有るのか。」
「……何を言っている。」
相手が目を上げたところで慌てて目を逸らせば、ころころと笑う声。
「ここで空惚けるか。今、此方を凝視していただろう?」
「なっ……誰が貴様なぞ!」
「――見ていただろう? 俺に嘘は通用しない。まあ、お前が否定するならそれで構わないがな。突き詰めて訊き暴いたところで、どうなるものでもないのだし。」
相手が唇に指先を当て、眉を僅かに寄せつつも困ったような笑みを浮かべた。
それは素直でない子供を見守る、母親のような笑い方。
普通ならば怒りを覚えてもよさそうなものなのに、不快にならないのはどうしたことか。

全てを見通したような物言い、全てを看破するはその慧眼。
そうして悦楽に目を潤ませて微笑する姿は、何もかもを忘れるほど、艶かしく、妖しく。
思考が、理性が――麻痺する。

こんな、圧倒される存在があったとは。
得体の知れなさに、恐怖すら覚える。
あまり関わりにならないほうが良い、と意識下で強く警告するものがあるのだが……どうやらそれも、遅すぎたようだ。


◇  ◇  ◇


「――さて、マルチェロ? 談笑は良いとして、俺を処罰しないのか?」
一息ついたのか、かちゃりとカップを置いてエイトが言った。
口にした言葉は、笑いながら告げるものではない。なのにこの暴君は極上の笑みを浮かべて言いのけたものだから、マルチェロは眉根を顰め、相手をジロリと睨みつけてやった。

「貴様……処罰というのが、どういうものなのか――知ってて言っているのか?」
低い声で凄んでみせるが、エイトの綺麗な微笑は崩れない。
それどころか優雅に足を組み替え、笑う。
「知っているさ。一通りのものは、書物で識っている。何せこちとら、嫌でも読書する他無かったからな。」
その時エイトは微かに眉を寄せたのだが――生憎とそれについては明かさず、己の話を続けた。
「そうだ。何ならば、説明してみせようか。どれが良い?」
数え唄でも歌う調子で、指を折りながら刑罰を挙げていく。
「そうだな――先ずは拷問。水責め、串刺し、車裂き、断頭、磔刑、火刑に――……」
子供のように無邪気な口調で、つらつらと怖ろしい言葉を。

「針串、絞首、切り裂き、突き落とし、生きたまま獣に食わせる、それと――……ああ。あの地下室にあった、鉄の処女も部類に入るな。」
「――もういい。……知識のひけらかしはそこまでにしておけ。」
すっかり気分が悪くなった。
自分も悪趣味な方だが、どうやら相手はそれ以上らしい。頭痛を覚えて額を押さえれば、くくっと笑う声。

「たかが言葉の羅列で調子を崩すとは。……意外に繊細なのだな、マルチェロは。」
見下した口調というよりも、それはすっかり親の――しかも母親の――声音。
「――っ……年下の分際でほざくな!」
あまりにも腹が立ったので、ダン、と強めに机を叩いてエイトを怒鳴りつけた。

それでも、ああ。
この青年には他愛無きことらしい。
あからさまなものではないが、何処か憐憫を感じさせる眼差しをして、エイトが口を開く。
だが紡がれた言葉は、慰めや謝罪ではなかった。

「言動は自由からの産物で、制限は無い筈だ。それとも、そういうしきたりでも在るのか?」
「しきたりも何も……貴様は上の者に対する礼儀を知らなさすぎる!」
「成程。無礼であったのならば、謝罪しよう。だが、もしお前が俺に媚態を求めているとしたら却下だ。それらは俺の道理に反するからな。」
「貴様の道理など知ったことか。口の訊き方に気をつけろと言っている!」
マルチェロがそう言い返せば、途端に相手の眼差しが鋭くなった。

一閃する氷の眼差し。
赤い唇が、吐息を一つ。

「その言葉、そっくり返してやろう。――俺とて、お前達の道理など知らぬし、知ろうとも思わないさ。」
エイトは椅子を引いて立ち上がると、マルチェロを見据えて先を続ける。
「だが、この世界は好きだ。愛している、と言っても過言では無いだろう。……例えこの世界の者達が俺を嫌おうとも――敵に回ったとしても、な。」
堂々と言いのけた告白は壮大にして寛容。
マルチェロは目を丸くし、エイトを見つめる。

世界を愛しているだと?
全てが敵になっても、それでも――!?
何と傲慢なこと。
何処まで不遜なのか。

神にでもなったつもりか?
それとも、神を気取るか。
どちらにしろ、何とも身の程知らずな。
そう言い返し、嘲笑おうとするのだけれど――言葉は続かず、ただただ唖然とするばかりが精一杯。
そうしてマルチェロが半ば呆然としていれば、エイトが再び優雅な微笑を浮かべ、言う。

「まあ、ともあれ……マルチェロ、お前との談笑は楽しかった。礼を言う。」
感謝の台詞にしては態度が大きいのは、どういうことか。
エイトは軽やかな足取りでマルチェロの側を通り抜けると、その背後にある窓へと近づいた。
「待て、何をするつもりだ。まだ訊きたい事が……おい、何処へ行く!」
窓を押し上げて桟に足をかけたエイトに、ようやく我に返ったマルチェロが席から立った。
そして腕を掴んで引き戻そうと手を伸ばすも、肩越しより向けられた視線により動きが止まる。
いや止められた、というのか。
エイトは眼差しだけで柔らかに制しつつ、にこりと微笑んで一言。

「今度来る時は、菓子を付けろ。――じゃあな、マルチェロ。」
「――!」
待て、と言いかけた言葉は、その背より出現した金色の羽根によって遮られた。
溜め息が零れるような美しい龍翼をはためかせ、彼の暴君の姿は見る間に空へと吸い込まれていった。
後に残ったのは、飛び立った際に抜け落ちたらしき羽が、一つ。
マルチェロは床の上の羽を拾い上げると、窓辺に近づき、空を見上げた。
そこには眩しい青しか広がっていない。
溜め息を吐き、マルチェロは呟く。

「勝手なことばかり……何が菓子を付けろだ。誰が貴様なぞに。」
苦虫を噛み潰したように顔を顰めるマルチェロ。
だが言葉とは裏腹に、羽を乗せた手の平は慎重に動かされ、机の引き出しを開けた。
そして光の欠片は、そっと小箱へと収められたのだった。