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Absolute Lord

2.Repair Kiss



「王よ。最近、何か悩んでいるのではないか?」

それは唐突な質問だった。
その日のエイトは王座へ真っ直ぐに歩いてくるなり、開口一番にそんなことを言いのけた。
それも不躾に、挨拶もなく――まあ元々が不遜な性格であるから、まともに挨拶をした試しなどないのだが。
竜神王は目を丸くしながらも、すぐに苦笑を交えて言い返す。
「どうしたのだ突然。悩みなど、さしてありはしないが。」
「本当か? では自身の体調は?」
「うん? いや……、特に具合が悪いことも、ないが。しかしエイト、一体なんだというのだ?」
「……。」
だがエイトは竜神王の問いには答えず、更にずかずか歩いてくると、側まで近づいてきて。

「――ならば、これはどうした。」
言うなり無遠慮に竜神王の髪を掴むと、自分の方へ軽く引き寄せた。
観察でもするかのように眺めた後、竜神王に視線を戻す。そして眉根を顰めて言い繋ぐのは、咎めの言葉。
「見ろ。張りはあるが、艶が無い。」
「エ、エイト、何を……!」
「俺の好きな髪が台無しだ。王よ、何故こうなる前に、俺に相談しなかった。」
「……相談も何も、そのように大層な悩みでは無いのだ。だから、我は己で……」
「御託は聞きたくない。とりあえず修復作業だ。――奥の部屋へ行くぞ。」
「待てエイト、これはそう大袈裟なことでは無いと――!」
「王の髪は、俺が好むものの一つだ。そのままになど出来るか。それは俺が許さない。」
真っ直ぐな視線を向けて凛として言い切ったエイトに、さすがの竜神王もたじろぐ羽目になる。
これではどちらが君主だか。

「一から整える。まずは洗髪からだ。――よし、風呂だ。風呂へ入ろう。俺が洗ってやる。」
「……分かった。汝の気が済むまですればいい。」
「ハハッ、任せろ。元の通りに戻して……いや、それ以上にしてくれる!」
そうして竜神王は、意気揚々とするエイト共に奥の部屋へ。
面倒なことになったが、けれど――彼の肢体が拝めるならば、これでいい。

「こういうのは確か……”役得”と言うのだったな。」
「竜神王? 何か言ったか?」
「いや……何も。」
「可笑しな王だな。しかし嫌いでは無いぞ、そういうところは。」
エイトがそう言って、目を細めて柔らかく微笑するのが見えた。
それは本当に彼の母親が見せたものと、良く似ていて。
竜神たる王といえど、愛し子の我侭には甘くなるらしい。
胸の奥に僅かな痛みが走るのを感じつつも、不遜なるも魅惑の君の好きにさせることにした。

――その対価は、存分に払われる。

浴室は広く清潔で、微かながら香気が漂っている。
しかし石造りの浴槽の中はそう大きくはなく、エイトだとどうにか足が伸ばせるが、竜神王は膝を立てねばならなかった。
「単なる体躯の差だと分かっていても、何だかやるせないな。」
「うん?」
竜神王の足の間に腰を下ろし、両足を伸ばしていたエイトが呟いた。その声音は羨望でもあり、羨慕でもあった。――端的にいうと、「妬み」があった。
そうした感情を零すエイトは珍しく、竜神王が疑問を抱いて訊ねる。
「エイト、今の発言は何に対してのものだ?」
「……戯言だ。聞き流せ。」
「それは受諾できんな。」そう返し、背後からエイトの腰に腕を回して抱き寄せる。
「我にまた新たな悩みの種を植える気か?」
「――っ。」
耳元で囁き、エイトの耳朶を軽く噛めばその体が微かに揺れた。
「……王。」
エイトが眉を顰め、腰に巻き付く相手の腕を掴んで肩越しに咎める。
「俺は、聞き流せと――」
「――我ではお前の役には立てないか?」
それは王の声というよりは、一人の男の声だった。
縋るような、甘えるような――けれどエイトではない”誰か”の為の、ような。
香気漂う浴槽の中、自分よりも大きな男に縋られてエイトは一度目を閉じ、ふうと溜め息を吐いてから口を開いた。
「人型をとった時の王の体躯は立派なものだと、感嘆していたんだ。」
「その羨望が何故、気鬱めいた独白になるのだ?」
ああ、所詮は人と神。
機微を読んではくれず、素直な疑問と共に羞恥の中へ踏み込んできてくださる。
正直、それ以上の詮索はせずに放っておいてくれと突っぱねたい。構うな、と突き放し、突き飛ばしてみせたいところではあるが、この竜神王、心を傾けている者に拒絶をされるといたく傷ついた顔をする。
常日頃に傲岸不遜なエイトでも、その消沈ぶりに困惑するほどに。
しかしエイトはそれ以上の答えを口にすることはせず、己の肩口に顎をのせて答えを待っている彼の君に視線を向けた。
「俺の事よりも、王よ。今は貴方の髪の修復途中だ。」
「エイト、我はお前のことを訊いて――」
「このような場所で長々と悩み相談なぞしていたら、茹でトカゲになるぞ。」
「トカっ……エイト、我もお前も竜の――」
「もう少しして十分に温まったら、出るぞ。寝室へ戻ったら、修復の続きだ。」
「エイト――」
「――これ以上の癒しは不要か、王よ?」

もう少し深く満たされたくはないか、と。
蟲惑的な笑みを作り、視線で問いかければ竜神王は僅かに怯み、エイトの頬を伝い流れ落ちる水滴に目を奪われて……。
こくり、と。
小さく聞こえたのは喉が鳴る音で。
「……癒してくれるのか?」
「王の対応次第だ。」
内から暴けば蜜は無く。
外から入り直せば、待つのは満ち足りるであろう甘い果実。

一瞬の沈黙。
ちゃぷり、と水音を立て、竜神王が口を開く。
「……では我は、我がことを優先しよう――これで良いのだろう?」
諦めにも、苦笑にも似た声音で答えた王に、返されるのは高慢で悠然とした言葉。
「ああ、それでいい。――そのほうが良い。」
どちらが王だか分からぬ声音でエイトが微笑み、褒美の先払いだと言って自ら唇を重ねた。

それからすぐに彼らは――主に竜神王が、意気揚々とエイトを抱き上げ――浴槽から寝室へ移動する。
悩みを解決するつもりでいた彼の王は、柔らかな寝台の上の温かい寵児を前に、見事に我を忘れて相手の許すままにその甘露たるものを貪った。
そうして満たされ――見事に欺かれた彼の王は、しかし満足げにその存在を胸に抱いて眠りについた。
その腕の中で、寝返りを打つように天井を仰いたエイトが溜息を零す。

「はー……疲れた。」
神の慈愛と竜の欲望。
優しくしたいのか、酷くしたいのか。もしくは両方か。
「気遣いつつも遠慮なく抱き潰すあたりは、正しく竜だな。」
淡い苦笑と気怠さの混じる吐息を零し、エイトもまた王の眠りに意識ごと身体を預けたのだった。


その髪に口づけを