Nightmare×Knight
[2] Bad Bedmate 7
散らばった欠片、その破片の行方は知れず。
カシャン、と床に何かが落ちた音が静かな室内に微かに響き渡った。
「……? ……あ?」
その音を聞いたククールが、ハッと我に返る。そして、自分が何をしているか――いや、何をしていたかという事に気づいて大きく目を見開いた。
細い身体の上に馬乗りに圧し掛かり、その白い首筋に手をかけて。
――首を、締め上げている。
「――エイトッッ!」
慌てて手を離して上から飛び退くも、しかしそれは遅すぎた判断だった。
いつからこうしていたのだろう? ククールは震えながら床の上に立つと、唖然とした表情でエイトを見遣る。
「……っ、エイ、ト……?」
酷く狼狽しながら名前を呼ぶも、相手は目を閉じたまま微動だにしない。
――息をしていない!?
肺腑が凍りつくような恐怖が、ククールの全身を駆け抜けた。
「エイトッ! ……エイト、エイト、エイト!」
外はいつの間にか夜に暮れていた。薄藍の空間の中で、ククールは切迫したような、押し殺したような悲鳴を上げながら、動かないエイトの身体を揺さぶる。
必死に、狂ったように。
その都度、自分を悔恨で満たしながら震える声で名前を呼ぶ。
「エイト、エイト……エイト、……エイ、ト……」
壊れたように何度も名を呼んでみるも、眠り姫は目覚めない。相手は窓の外から差し込む月明かりよりもなお一層青褪めた光を纏って、静かに眠ったまま。
「エイト、こんな、……嘘だろ……」
泣きそうな声で――いや、既に涙を流しながらエイトの身体を抱き起こし、震える手で抱きしめる。
「嘘だ、こんな……」
ククールは完全に狼狽していて、魔法以外の蘇生法すら思いつかずに人形を抱き締める子供のように胸に顔を埋めた。
とくり。
その身体は、まだ、微かに温もりがあった。ハッとし、彼の胸元に顔を埋める様にして耳を押し付けると、僅かに伝わる音が聞こえる。
とくり。
小さなそれは生の証の鼓動音。
「――エイトッ!」
堪らず強く抱き締めれば、胸を圧迫されたエイトの状態が僅かに仰け反って。
「……かふっ、……っ」
――声が、した。
「……は。」
生きている。……生きていた!
仰け反ったエイトが咳き込み、そうして荒いながらも息を吹き返したのを見て、ククールは、ああ、と少しばかりの安堵の息を吐く。
いつしか体の震えは止まったが、それでもククールはしばらくエイトを抱き締め、その胸に顔を埋めた格好を崩さないでいた。まだ現実感が無く、それが自身の幻覚ではないことを確認したかったのだ。
「ぐ……、っは……あ。……ク、クー……ル……?」
意識を取り戻したらしいエイトが、途切れ途切れに名前を呼ぶのが聞こえた。ククールが顔を上げれば、焦点を定めることもしないままに虚ろな表情で見ているエイトと目が合う。
息を吹き返した相手は、安堵の中に居るククールを突き落とす言葉を吐いた。
「……何、だよ、……途中、で……正気に、返るな……。」
「……エイト?」
それはまるで生き返ったことを嘆いているようで。
生き返らせたのを、責めているようで。
ククールはどうしてエイトがそんなことを言うのか分からず、今にも泣き出しそうな表情で問い返す。
「何で、そんなこと言うんだよ? お前、俺に殺されかけたんだぜ?」
いや一度は殺したようなものだ。
「もっと怒れよ。殴るとか、何でもいいから俺にぶつけてくれよ。」
責められる覚悟はしていた。
だが、エイトは非を咎めているのではなく、生き返ったことに――生き返らせたことに対して文句を言っているのだ。
「罵れよ。今度はちゃんと聞くから、だからそんな」
気持ちが込み上げ、エイトに縋りついて軋んだ声を上げる。
「そんな、死にたかったようなことを言わないでくれ……!」
悲壮な面持ちで言葉を吐くククールに、しかしエイトは目を逸して溜息のような声で言った。
「やっと……」
「え?」
「やっと、眠れると思ったんだ……眠りたくて、だから――これで、ようやく眠らせてもらえる、と……思って、たのに」
言葉を紡ぐ声は、落胆していた。ククールよりも酷く落ち込んでいるようだった。
「……望んで、いたのに。――だから、臨んで……いたのに……」
望みを喪った悲しさからか、声は一層か細く、儚くなり、そして悲しみの度合いが強くなる。
「また、生殺しかよ。」
咎めるような言葉が、ククールの心臓に突き刺さった。
「……もう、嫌なんだ。」
ククールの腕の中で、エイトはどこか遠くを見つめながら話す。
まるで独り言のように、淡々と。
「……何で眠らせてくれないんだよ。」
嘆々と、言葉をぶつける。
「何で……それすらも叶えてくれないんだ。」
断罪するような言葉が続き、そして懇願するような台詞を呟いた。
「――もう、赦してくれ。」
幼い子供のように泣きそうな声でそう言ったところで気力が尽きたのだろう、エイトは再び目を閉じた。
白い頬を、透明な涙が伝い落ちる。それはククールの肩に、吸い込まれるようにしてポタリと落ちた。
音も無く零れ、赤い服に、白いシーツに。
ポツンと黒い影を落とした。
「死にたかったのか、お前は。」
エイトの糾弾めいた言葉は、ククールを例えようの無い感情の中へ放り込み、強い後悔を生じさせた。悲しみ、哀しみ、微かな憎悪と――深層の、愛情。それら全てが一緒くたに混ざり、どこか遠いところで渦を巻く。
「そんな馬鹿な願いってあるかよ……!」
けれどここまで追い詰めたのも、その歪んだ願いを叶えようとしていたのもククール自身なのだ。
「違うんだ……こんなこと、俺は、――俺は……っ!」
繋げる言葉が見つからず、ククールは小さく首を振りながらエイトの身体にしがみ付く様にして強い力で抱き込んだ。
床に散らばる何かの破片が、蒼い月の光を受けて煌いていたが、それはやがて静かに光を失った。