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Paladin Road

- 02 -

甘やかな日常

花の香りが甘く混じる、暖かな季節。陽気な気候は人々の気分を和らげ、穏やかにさせる。
木の枝に止まる小鳥が唄い、草原で花を摘んでいる少女を応援する。
井戸の側でおしゃべりに興じる、二人の女性。その片方は話に夢中になりすぎて、洗濯物に混じった指輪が井戸に落ちたことに気づいていない。
とかく、日々は柔らかな光で満ちていた。魔王を倒したあの日から。

世界は平和で満たされていた。――あの時が来るまでは。


◇  ◇  ◇


レイドック城その書庫に、一人の男がいた。部屋の片隅にある窓辺の席に腰を下ろし、ページをめくっている。
室内に漂う、微かな花の香り。少し開け放した窓から風が吹きこんで、ときおり男の髪を揺らすほかに変化は無い。
男は、黙々と本を読んでいた。側には、彼に拝読されるのを待つように、幾つかの本が積まれている。
「あれ。こんなところに居たのか。」
戸口付近から、声がした。
本から顔を上げた男が、そちらへ視線を向ける。そして相手の正体を確認すると、笑みを浮かべて片手を上げた。
「よお。邪魔してるぜ。」
「何か面白い本でも見つけた?」
笑顔で近づきつつテリーの肩口から覗き込んだエルドは、開かれているページに目を落とした。
細々した文章の間に、詳細な図解が挟まれている。そこには一組の男女が描かれており、矢印に添って動作を変えていた。女性がドレスの裾を軽く摘まんで持ち上げると、男が頭を恭しく下げて応えている。それは、貴族の挨拶だった。
「コレ……宮廷指南書?」
「なんだ、やっぱり知ってるんだな。」
「あはは。知ってるというか、覚えてる、って言った方が正しいかも。子供の頃、トムに散々読み聞かされたやつだからさ。」
懐かしい兵士長の顔を思い出し、エルドは目を細める。色々あって、彼とは狭間の世界の町でしか会えないが、それでも、幼かった自分を教育してくれた大切な人であることには変わりない。以前のように会いに行けるといいのだが、正式な身分――この国の王子となった現在ではなかなか都合がつかないので“いつか、また”の言葉通りになってしまっているのがやや切ない。

……などと、少々しみじみしすぎたせいだろうか。
ふと我に返ると、眉間に皺を寄せたテリーに睨まれていた。
恐らく、回想中にテリーから何かしらのコンタクトがあったことに気づかず、それが結果的に「無視して」しまうことに繋がったらしい。読んでいた本を閉じて口をヘの字に曲げているテリーは、臨戦態勢一歩手間、といった状態だ。
(これは機嫌が悪くなってるな。)
それにしても凄い変わりようだなあ、とエルドは苦笑する。初期に出会った頃の彼はクールで、どことなく冷たい感じのする剣士だったのだ。
それが今では、この反応。
テリーは険しい顔で睨みつけているが、自分の気持ちを素直に表現している今の彼は、相手にされなくて拗ねている子供を思わせて、どことなく可愛げがあった。
(……なんて。こんなこと言ったら、余計に怒るだろうから言わないけど。)
エルドは微苦笑を浮かべると、ひとまず自分が抱いた感想にフタをしつつ、しょんぼりしている獣……ならぬ、テリーに向かって、手を差し出した。
「なあ、テリー? 読書もいいけど、とりあえず、お茶の時間だから休憩しないか?」
だが相手は頷かず、手もとらない。両腕を組むと、ふいっと顔を背けた。
「しない。お前ひとりで戻れよ。」
完全に拗ねきっている。
機嫌の悪い猫。
へそを曲げた子供。
ああ、クールな青の剣士はドコにいった。
(まあ、こういうのも可愛いから良いんだけど……っと。ここで笑ったら大惨事になるな。)
思わず抱いた感想が表情に出かけたので、エルドは慌てて片手で自分の口元を押さえた。その際に、頬を少し爪で引っ掻いてしまったが、痛みで表情筋が引き締まったので丁度いい……と、思うことにする。
こほん、と軽く咳払いをすると、さり気なく話を続けた。
「残念だな。いい茶葉が手に入ったから、テリーにも飲んでみて欲しいんだけど、な。」
柔和な笑顔と声でそう返してみれば、相手がチラと視線を向けてきた。
「……。んだよソレ。毒見でもさせるつもりかよ?」
「あはは。違うよ。」棘を含んだ相手の台詞を笑顔で柔らかく包んで、エルドは続ける。
「そうじゃなくて。……これは、美味しいものをテリーとも分かち合いたいなーっていう、俺のワガママ。」
一撃の台詞。
テリーが耳まで赤く染めたのを、エルドは見逃しておく。チッ、と短い舌打ちが聞こえた。
「……。仕方ないな。お前がそう言うなら、付き合ってやるよ。」
そう言って視線を逸らしつつも、差し出したエルドの手をしっかり握ったテリーは、ニコニコする王子様を伴って、書庫を後にするのだった。

Vive hodie.